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自分を消す、看護師の専門性

「病気を受け入れる」という言葉がある。

 病棟では今日も、
「あの患者さんは、自分の病状を理解してない」
「病状の受け入れが悪い」
「現実から目を逸らそうとしている」
 といった言葉たちが舞う。
 医療者はそうやって密やかに、病気に抗おうとする患者をどこか上から目線で揶揄する。

 僕はそういう言葉を見つけると
「そもそも患者さんって、その病状を受け入れないといけないんですかね」
 と告げてきた。認識を改めるべきは僕らの方ではないか、と。

 しかしある時、そんな対立構造に対して、ある看護師から驚くような言葉が飛び出した。
「誰が受け入れるとか、受け入れないとかではなく、その病があるってことを感じさせないようなケアをすれば良いのではないですか?

 彼女は何を言っているのだ。
 最初は理解できなかった。
 でも、その意図することを聞いていくうちに「看護ってすごいな……」と思わざるを得なかった。

失ったものに気づかせないケア

 最初から議論を振り返ってみよう。
 ある看護師が「患者は病状を受け入れるべき」と発言した。
 分かりやすいように「がんが進行して衰弱し、自力でトイレに行くことが難しくなった患者」を想定してみよう。
 看護師は
「もうトイレに行くのは難しいので、オムツの中で排泄してください」
 と促す。
 しかし、まだ若いその患者は
「いえ、手伝ってさえ頂ければまだトイレに行くことはできます」
 と答える。
 看護師も面倒くさがっているわけではない。トイレに行くたびにゼイゼイと苦しそうに呼吸し、正常であれば90%後半はある血中酸素飽和度も、80%以下に低下してしまう。トイレに行くたびに、寿命を削っているのではないかと心配なのだ。そして、時々失敗して下着やベッドシーツを汚しては、
「こんな俺はもう死んだ方がいいんだ」
 と泣くのだという。看護師が、
「そんなことないですよ。だからこれからはオムツを穿きましょう」
 慰めても、患者の表情は暗くなる一方。
 患者と看護師の言い分は平行線。そしてナースステーションに戻ってきた彼女は「病状を受け入れてほしい」と呟いたということだ。

 それに対し僕は、
「患者は病状を受け入れないとならないんだろうか?」
 と返す。
「受け入れられる人はいる。でも受け入れられない人もいる。だから、僕ら医療者側がその『受け入れられない』ことを受け入れるべきなんじゃないか」
「具体的に言えば、患者がやりたい、できると言うことがあるなら、『どうすればそれを助けることができるか』を一緒に考えたいし、もしそれで失敗して落ち込むことがあっても『落ち込むことは当然ですよね』って、言葉に出さなくてもそういう気持ちをもって僕らの方が支えていけばいいんじゃないか」
 と話したのだ。

 その看護師は僕の言葉に考え込んでいたが、そこに口を挟んできたのがもう一人の看護師だった。
「誰が受け入れるとか、受け入れないとかではなく、その病があるってことを感じさせないようなケアをすれば良いのではないですか?」
「病があることを感じさせないような……? それはどういう意味ですか」
 僕は、その看護師の方に向き直って尋ねた。
「患者さんたちは、病気が進行するにつれて次第に様々な機能を失っていきますよね。私たち看護師は、理想的には『その失っている部分を失ったと気づかせないようなケア』ができたらいいなと思っているんです。例えば、さっきの患者さんで言えば、彼が『トイレに失敗して惨めだ』って感覚を抱かせないようにする」
「そんなことが、可能なんですか?」
 僕は、いぶかしげな顔をしながら尋ねる。
「そうですね。仮に、オムツの中で便をする状況だとしましょうか。そこで本人が『恥』と感じていた部分を、『便が出て、良かったですね』という視点へとずらす……ということなんですけど。がんの患者さんたちって、病気が進行するにつれて、だんだんとできることが減ってくるわけじゃないですか。その失われた機能を『まるで自分でやっているかのように』感じられるようなケアが看護の理想だと思っているんです。失われた部分を『失った』と気づかせない。そういうケアをすれば、本人は『恥ずかしい、惨めだ』ではなく、『便が出て、ああスッキリした!』としか思わないですよね」
 その看護師は事もなげに語るが、僕らはにわかにはその現実が信じられない。看護師は説明を続ける。
「看護師をやっていると、患者さんの表情や雰囲気から『今日はあなたが担当なのね』と感じられるときがあるんです。それは、オムツの中で便が出てしまう、と言うことも含めて、何かがあってもこの看護師と一緒なら大丈夫、っていう安心感かな……。自分の体の一部が『ある』って感じられるようなものだと思います。もちろん、全ての患者さんがその感覚を持てるわけではないし、看護師によっても違うと思いますが。患者さんにとって『自分の力で歩んでいったと感じてもらう』ことが大切だと思うんです。実際には看護師が様々なサポートをしていたとしても、その存在を感じさせずに、自然にそうなっていくように思われるケアが理想的と思っています」

(この先のマガジン購読者限定部分では、医師や心理士などの職種と看護師の専門性を対比して考えてみます)

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