2021年1月10日 アン・フーンさんの法話

2021年1月10日に全国のサンガ向けに行われたアン・フーンさんの法話です。

今の世界ではたくさんのことが起こっていて、人々は状況に圧倒され、プラクティスをするのに苦労している人も多くいます。日々のプラクティスを維持することが困難で、坐布の上に静かに坐るということが簡単ではありません。坐布の上に坐っていても心が静かにならず燃える炭の上にいるように感じている人もいます。

これまでのように人に会うことができず、一緒にプラクティスをすることもできません。友人や生活から切り離されたように感じている人々が多くいます。そしてその「人々」の中には私たちも含まれています。私達も周りの人たちとつながっているからです。

困難な状況の中で、その状況に直面したくないという強いエネルギーが湧き上がってくるのを感じます。多くの人々がとても疲れて、孤立して、無力だと感じています。最善の意図を持っていたとしても、自分自身をケアすることが難しくなっています。それは何年も瞑想している人であってもそうです。自分の期待に沿ったような状態に自分自身がならずに、そのことに失望したり、怖れを感じたり、疲弊している人々がいます。

その根にあるものは何かというと、自分の中に今湧き上がってくるものに「Yes」と言うことができないで抵抗しているということです。今私達の中に湧き上がってくるものがその瞬間の命であるにも関わらず、それを認めることができないのです。大事なことは、起こっていることが何であれ、それがどんなに困難であっても自分の中と外で起こっていることに対して「Yes」と言うことです。

命は河です。いのちは固定されたり、期待に沿って修正したりできるものではありません。誕生があり、変化があり、病気があり、老いがあり、いわゆる死がある。それが命です。命とは誕生だけでなく、すべてを抱きしめるということなのです。命はどこにでもあります。小石にも鳥にも。そして一瞬一瞬感じる心地よい感情も不快な感情もすべてが命なのです。

自分が作り出したストーリーや感情や孤独に囚われると命を感じることができなくなってしまいます。自分自身の物語や感情、自分が作り出した見方の虜となり、命全体と触れ合うことができません。生命や人生に対してオープンになれなくなってしまうのです。本当にそこにいることができたら、自分自身が生命の海で泳ぐ魚だったら、エネルギーに満ち、生命のエネルギーの宇宙の中に存在することができます。人生の山や谷を経験する中で今ここにいることはできるのです。でも、心が朝の空のように開かれていなければ、本当にそこにいることができず、一番良い自分でいることができません。生命の海の中で泳ぐことができず、行き詰まってしまいます。

入ってくる呼吸の始まりから終わりまでに「Yes」と言うことができて、出ていく呼吸の始まりから終わりまでに「Yes」と言うことができる時、自分自身が囚われていたストーリーや滞っていた感情を流れ出させることができます。

小さな虫がどこかで行き詰まってもがいているところを想像してください。お腹が上になった状態でもがいている虫や動物が罠にはまって囚われている姿を見たら慈悲の心が湧いてきて助けたいと思うでしょう。私達も行き詰まってしまうとますます動けなくなります。より死ぬことを怖れて、動けなくなり、さらに行き詰まってしまいます。明晰さは失われてどうしたらいいか分からなくなります。

タイ(ティク・ナット・ハン師)や何代もの先生たちが教えてくれたことは呼吸に戻ることです。自分の呼吸を抱きしめ、信頼することを教えてくれました。呼吸に留まることが錨になります。嵐の時に錨を降ろすということ、それが呼吸です。

自分自身の呼吸に対して「Yes」と言うこと、つまり自分の呼吸に対して大丈夫ということで、洞察が生まれます。それが大事な錨となり、大きな嵐の中で自分自身を留めてくれます。この「Yes」は「コーヒーを飲む?」とか「お味噌汁を飲む?」「お茶を飲む?」と聞かれた時に自分の選択に対して「はい」と返事する事とは違います。入る息、出ていく息に対して「それでいい。これなんだ。」と命を肯定するということです。それが行き詰まった状況を変えていくのです。

お茶やコーヒーを飲まなくても死にません。他の選択肢があります。でも、呼吸と命に「Yes」と言うことができずに、錨を降ろすことができずにいると怖れや怒りの嵐に翻弄されてしまいます。絶望や孤独、怖れに飲まれてしまいます。

痛みや傷、怖れに対して「Yes」と言うことは簡単ではありません。でも、木や花、美しい夕日には「Yes」と言うことはそれほど難しくありません。しかし、実際には美しい夕日や緑の森や海の魔法の音と同じように、孤独や心の痛みも命なのです。私達はそのことを忘れてしまいます。自然の美しさに「Yes」と言うことができたら、心の状態にも「Yes」と言うことができるのです。朝の美しさに「Yes」と言うことができたら、寂しさに「Yes」と言う力も育まれているのです。

目覚めた心と妄想にまみれた心というのがあります。私達は目覚めた心を持ち、妄想にまみれた心は持ちたくないと願います。東京に前に滞在していた時にあるお坊さんが窓ガラスを磨いている姿を見ました。その窓は磨かれる前には曇っていたのですが、磨かれると非常にキレイになって、中から外がよく見えました。まるで間にガラスがないかのように透き通って見えました。私はそのお坊さんは窓ガラスを磨いていただけでなく、自分自身の心も磨いていたのだと思いました。

呼吸をマインドフルにして、自分の呼吸に「Yes」という時、それは自分の呼吸だけでなく命に対して「Yes」と言っているのです。それは心を磨くということです。自分の心の窓ガラスを磨いているのです。息をして息が身体に入り、100%自分に「Yes」と言うことができる時、忙しくて慌ただしく落ち着かない心が段々と変容して目覚めた心になっていきます。

入ってくる息、出ていく息に対して「Yes」とたゆみなく言い続けることができた時に、その時呼吸は自分の鼻からお腹の範囲で起こっているのではなく、それは宇宙とすべての命とつながる呼吸になります。私達の周りにある癒しのエネルギーは外にあるものではなく私達と宇宙の間にあり交流しています。自分は自分の身体だけに閉じ込められた存在ではなく、宇宙と一つにつながっています。

あなたが実践をする時には私達の中の安らぎや健やかさが育っていきます。それは自分自身だけでなく、周りの人の安らぎや健やかさでもあります。悲しみや怖れや孤独を感じることがあっても、それでも幸せでいることができます。私達は自分が思うよりももっと大きな存在なのです。

みなさんに実践してほしいプラクティスが一つあります。それは坐る瞑想の習慣がなかったとしてもできることです。朝夕に鐘の前に座って招き棒を手にして鐘と宇宙にお辞儀をして「Yesと言えるように助けて下さい」と願いながら、招き棒を片手に、もう一方を胸に当てます。半鐘を鳴らして、宇宙全体がその音を聴いていることを感じます。そして鐘を招きます。そして入る息全体に「Yes」と言います。朝の空気が身体全体に行き渡るのを感じます。そして息を吐く時に「Yes」と心を込めて言います。自分の細胞のすべてが「Yes」と言っていることを感じます。一つの鐘に対して少なくとも3回呼吸をしてください。大地から呼吸をします。そして次の鐘を招きます。鐘の音が自分の身体全体をマッサージするように身体を通っていくことを感じます。10回鐘を招くと、1回につき3回呼吸をしますから30回「Yes」という呼吸をすることができます。それが難しい場合は5回鐘を招くと15回実践できます。

サンガの仲間の写真を用意して呼吸するのもいいでしょう。一人でいてもサンガと一緒に呼吸し、微笑んでいることが分かります。微笑む時には、自分の息に、サンガに、全てに対して「Yes」と言います。「Yes」とは心を開くことなのです。自分の中に新しく入ってくるもののことを許すということなのです。

(書き起こし Kumiko Jin)

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