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再現模倣と自己表現で、見えないものを見えるようにする

「究極の思考」を読んだ。

東京藝大美術学部の卒業生へのインタビューを通して、以下のことが書かれている。

・東京藝大の入試は、他の美大とどう違うのか?
・東京藝大では、どんな授業がされているのか?
・東京藝大で学んだことは、その後のキャリアでどう活かされたか?


印象に残ったことが2つある。
ひとつは、表現の構成要素について。

——藝大の入試は、いったいどういう基準で、どんな人を入学させるのでしょうか?

それにお答えする前に、まず「表現」というものについて少し話をさせてください。表現とは「エクスプレッション」と「リプレゼンテーション」の2つで構成されています
「エクスプレッション(expression)」とは、自分自身を圧縮して「ex(外へ)」「pression(絞り出す)」ような行為。つまり自己表現です。
では「リプレゼンテーション」とは何でしょう。この言葉を分解すると、「re(再び)」と「presentation(プレゼンテーション、掲示)」に分かれます。自分の目を通して3次元の世界を2次元に置き換えて、再び提示する(再現模倣する)こと。これも絵画の重要な役割です。
この2つがないと、表現を続けられません。入試では、この2つの要素が表現に入っているからどうかを見るのです。

わたしは、5歳頃からクラシックピアノを習い、大学ではジャズサークルでトランペットを吹いていたので、音楽に置き換えると理解しやすかった。

クラシックは、再現模倣(リプレゼンテーション)に重きが置かれている。間違えずに、楽譜通りの音を弾くことが必須。その上で曲を解釈し、自分の感情や思考を圧縮して、自己表現をする。

一方でジャズは、そもそも、カウンターカルチャーとして生まれたものであり、自己表現の比重が大きい。キーやコードを意識して、軸となるテーマをベースに自由に演奏する。

コードがCのときに、C#の音を出しても間違いではない。音がぶつかって濁った響きになるけれど、意志を持ってやっていれば、それもあり。ジャズは、ゆるくリプレゼンテーションしつつ、がっつり自己表現している音楽だと言えそうだ。


見ようとしないと、“見えない”。
文章にすると、至極当たり前のことですが、画家のパウル・クレーは著書『造形思考』の中で、「アートとは見えないものを見るようにすることである」と話しています。

この文章を読んで、Nizi ProjectのJ.Y. Parkの言葉を思い出した。

「僕たちはみんな1人1人顔が違うように、1人1人の心、精神も違います。見えない精神、心を見えるようにすることが芸術です。だから自分の精神、心、個性が見えなかったらそのパフォーマンスは芸術的な価値がないです」

——J.Y. Park

空間芸術である絵画や彫刻、時間芸術である音楽、ダンスや劇。

これらを見聞きして感動するのは、パフォーマンスする人の精神や心(に基づく表現)に、私たちの心が共鳴するからなのかなと思った。

技術が洗練されていることもすごいけれど。心に深く響く表現は、パフォーマーが自問自答を繰り返して、自分の精神や心を探求した先にあるのではないだろうか。

芸術とは、「再現模倣と自己表現を通して、見えないものを見えるようにすること」だと、言えるのかもしれない。


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