1/16 理想のおばあちゃん像

 『きれいなシワの作り方』(村田沙耶香著)という本を読んだ。産む産まない問題や、アラサー女性の『ちょうどいい』『アラサー女性らしい』振る舞い方とは?問題など、アラサー(というか、30代)女性の心や体、考え方なんかについてありのままを綴られたエッセイ。全編通して同意の嵐で、「わかる〜!」とか「そうなんだよ!」とか、誰もいない部屋でひとり相槌を打ちながら読み進めた。おもしろかった。

 『殺人出産』や『コンビニ人間』の著者の方のエッセイだから、「普段、どんなこと考えてるんだろう……? でも、このタイトルだし……」と、恐る恐る手に取った本だったのだけれど、読み終わってみたら、なんてことはない、全然変な人でも怖い人でもなかった。いっしょにお茶飲みながら日常のなんてことないことを楽しくおしゃべりできそうな人だと思った。

 このエッセイの中に、『こんなおばあさんになりたい』という、理想のおばあさん像について語られる一編があった。それを読んで、わたしにも『こんなおばあさんになりたい』、あったなぁと思い出した。わたしは、かわいいおばあちゃんになりたいなぁと思っていた。『おばあさん』というより、『おばあちゃん』。いつもにこにこしていて、縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲んでいたら、近所の子どもたちが遊びに来るような、穏やかで優しい雰囲気のおばあちゃん。に、なりたいと思っていた。過去形だ。

 今冷静に考えると、優しくてかわいいおばあちゃんもそれはそれでいいけど、本音はちょっと違うかなぁ。自分の人生を謳歌してたい。自分の楽しさを追求していたい。やりたいことをやっていたい。結果、かわいくなくても、近所の子どもたちに慕われてなくても別にいいかなぁ、と。むしろ、近所の子どもたちには怖がられているくらいがいいかもしれない。『おばあちゃん』じゃなくて、『ババア』くらいがいいかも、なんて。考え方って、変わるもんだなぁ。

 小学生のとき、授業の一環だったか、二人一組とかで近所に住んでいる独居老人の家に訪ねてプレゼントを渡したりお話ししたりしてくる、みたいなイベントがあったことを、ふいに思い出した。あれは、何が目的のイベントだったんだろうか。そこが思い出せない。世代間交流なのか、独居老人の生存確認なのか、なんなのか。

訪ねて行った先のおばあちゃんは、見知らぬ小学生が突然やってきて、わーわーやっていって、楽しかったんだろうか。30年近く経ってから心配になる。

 今のわたしがおばあちゃんの立場だったら、正直、そのイベント自体をちょっと煩わしく感じてしまうかもしれない。迎える準備とか、知らない子どもたちとの交流とか、きちんとできる気がしない。居留守とか使いそう。拒否権があるならお断りしそうだ。我ながらひどい。心の狭さとめんどくさがりと人見知りを露呈。なんだかな。

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