6/13 関係性と役割分担

 5月末から、ほぼ日で『ネパールでぼくらは。』というネパール旅行記の連載が始まった。この連載には、『シャラド・ライと幡野広志と、書くことの尽きない面々。』というサブタイトルがついていて、この『書くことの尽きない面々』(田中泰延さん、浅生鴨さん、古賀史健さん、永田泰大さん、あと今回のネパール旅には同行されてないけれども燃え殻さん)の方たちの文章が、それぞれおもしろかったりおかしかったりうれしくなったり気持ちがあったかくなったり「なるほど!」と思ったり「へぇ~」とか「ほーぉ」とか思ったり共感したり圧倒されたり涙がでるほど笑わされたり……、まとめると、読むのが『たのしい』。平日の楽しみがひとつ増えたし、その日の更新分を読むともう翌日が待ち遠しいし、土日で更新がないと「早く月曜日にならないかな」と思う。

 そんな連載の中で。昨日今日と、浅生鴨さんと田中泰延さんがそれぞれに『書くことの尽きない面々の仲間たちがそれぞれどんな原稿を書くかの分析』『分析結果をふまえて、自分はどんなことを書くか』について書いている。昨日、鴨さんの書いた文章を読んだときには「なるほどたしかに、なんとなくわかる」と思って読んだ。そして今日、ひろのぶさんの文章を読んで、驚いた。ふたりの、仲間に対する認識が『ずれてない』こと、仲間のことを分析した上で「じゃあ、自分は」と引き受けた役割が、最初からそれを求められていたようにはまること。

 例えば、古賀さんの文章について、おふたりの描写はこうだ。(引用)

おそらく、古賀史健さんは
旅で起こったこと全てについてメモを取り、
詳細な「記憶」を呼び起こしてくれる。(田中泰延さん)

古賀さんはたぶん事実を丹念に拾いながら、
緻密で的確で、それでいて旅情あふれる文章を書くだろう。(浅生鴨さん)

 すごい。表現は違うけれど、とても近いことを言っている。

 そして、ひろのぶさんによる鴨さんの文章についてと、鴨さん自身の引き受けた役割。(引用)

浅生鴨さんは‥‥ちょっとよくわからないが、
おそらく個人的な内面を描写することによって
じつは普遍性のあるもの、
つまり「文学」をあらわすであろう。(田中泰延さん)

(この『ちょっとよくわからないが』っていうのにくすっと笑ってしまう)

さて僕は何を書けばいいのだろうか。
もしも僕に書けることがあるとしたら、
それは、何があったか、
何が起きたか、何を見たのかよりも、
そこでぼんやりと感じたことなのかもしれない。
そうだとしたら、僕はあまり旅にとらわれることなく、
記憶の断片を残せばいい。本当に断片として。
あるいは妄想を。(浅生鴨さん)

すごい。ひろのぶさんによる分析と、鴨さんが自ら引き受けた役割が、遠くない。というか、ごく近い。というか、そのままだ。

 きっと、これまでのつきあいやそれぞれの書く文章から表れるものでお互いを理解し合い、仲間内で「このメンバーだったら、自分は」という役割分担が自然とできていて、それを引き受けるのが一番みんなにあっているやり方で、多分それが一番『その人の文章』になるんだろう。お互いに対する理解や尊重と、役割分担。それがごくごく自然にできているような関係性を「いいなぁ」と憧れの先輩グループのように眺めている。

 それぞれの方が紡ぐ文章も好きだし、大の大人のおじさんたちがわちゃわちゃして楽しそうな雰囲気も好きだし(みんなが鴨さんに「もー!」ってなってるのとか、かわいい)(燃え殻さんもいたらよかったのに)、幡野さんの写真も見られるし(幡野さんの書く文章も好きだ。cakesの連載に真剣に悩み相談を送ってみようかと文章を打ち込んだこともある(送らなかったけれど))。これから先、どんな旅が、どんなふうに綴られて、撮られるのか。わくわくしかない。

 ただ、この連載も、もうすっかりファンになってしまって。たのしみが過ぎるから、昨日の話じゃないけれど『終わってほしくない』ので、「いつまでもみんな合流しなきゃいいのに」なんてことを思ったりも、する。まったく、あまのじゃくだ。


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?