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話し合い

やっと、この日が来た。
23年間ずっとこの日が来ることを願っていた。

当初、心療内科の先生や叔父、顧問弁護士の先生は
「謝らないと思う。謝ったら非を認めることになるから。」
「時効が過ぎてるから、どの方法でいけるか」

西洋骨董洋菓子店©︎よしながふみ

私は何を言われるのだろう。
心を殺されるのではないか、
23年経ってやっときた日に心を殺されるのではないか。
親しい人それぞれに遺書を用意したくらいに不安で怖かった。

手も震えた。
過呼吸になるのではないかと。

一度だけではなく二度、「話はしない」
「卒業生だとしても会う気はない」
「議事録はあるが誰も覚えてない」
「ヒアリングの内容も教えない」
「議事録の開示はしない」

断られた。
仕方がないので、父と叔父の名前を出し
外部の評議員25人に手紙を送った。

叔父は、前日の夜
「退任前、いくつか仕事のオファーはあった。
でも全て断っておいて良かった。
もし、またどこかの会社に所属したら
僕は今回の件に関わることはできなかった。」
と明かしてくれた。

「君は死んではいけない。闘うんだ。」
「お父さんも僕もT(弁護士)もいる。」

心療内科の先生は、前回の診察で
「正義は勝つものなんだよ。」と言った。

この23年、正義も何もないと思って生きてきた。
未来を考えることもできなかった。
ただただ、自分に何か娯楽を与え、ずるずると生きてきた。
どうにか自分の人生を終わらせられないかと。

でもこの日を、ずっと、この日を23年間
ずっと
この日を
どれだけ待っていたか。
こないかもしれない、でも必ず、いつか。

西洋骨董洋菓子店©︎よしながふみ


※この話はフィクションかもしれません。