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『走れメロス』に見る信頼と時間の関係 -幼馴染がいないあなたへー

メロスは激怒した。

無数にある物語の中で、一番有名な冒頭ではないだろうか。太宰治による、メロスとセリヌンティウスの友情を描いた作品だ。知らない人はほとんどいないと思うのであらすじは省略する。


さて、「竹馬の友」という言葉を初めて知ったのが『走れメロス』だという方は多いだろう。

ちくば‐の‐とも【竹馬の友】 
幼いころに、ともに竹馬に乗って遊んだ友。幼ともだち。幼なじみ。

メロスは自分が処刑されに戻ってくるまでの間、人質として竹馬の友のセリヌンティウスを王に差し出す。幼いころからの友達であるからこそ、お互いを信頼し、セリヌンティウスは人質になることを了承、メロスは彼のために必ず帰ると誓った。


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私は中学生の時に、アニメーションでこの物語を見た。国語の授業の一環だ。教科書に載っている原文とほとんど同じだったが、一点だけ大きく違うところがあった。それがメロスとセリヌンティウスとの関係だ。

詳細は覚えていないが、そのアニメではセリヌンティウスとは王に会う前にたまたま知り合っただけの仲だった。幼馴染ではなく、さっき知り合った人。しかも特段相手を信頼するようなやりとりがあったわけでもない。そんなセリヌンティウスをメロスは人質として差し出し、セリヌンティウスもそれを了承したのだ。だからと言って裏切るわけではなく、みなさんご存じの通りのハッピーなエンドだった。


アニメを見終わったら、国語の授業らしく物語について感想を求められた。教師がある女子生徒を差し、「アニメを作った人は、なぜメロスとセリヌンティウスの出会いを変えたのか」と聞いた。はて、私はなんと考えていたのか。


女子生徒の答えはこうだ。

「人との信頼関係は、長い時間をかけなくても築くことができると伝えたかったから」


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親が転勤や転職で幼稚園も小学校も中学校も県をまたぐ転校をし、この国語の授業も新しい学校に通うようになってから半年と経っていなかった。

そう、私には幼馴染がいないのだ。


まだ携帯電話がそんなに普及していない時代。引越しをするたびに一から人間関係を築いていく必要があった。幼稚園から一緒という人たちがいる中、ポンと放り込まれた一人ぼっちの私。みんなの仲に到底追いつけるわけもなく、いつも疎外感を抱いていた。


そんな時に聞いた「信頼関係を築くのに長い時間は必要ない」という言葉。

私は自分の心が晴れるのを感じた。そうだ、みんなの仲に追いつこうなんて、そんな風に考えなくていいんだと。


過去はどうやっても変わらないから、今から幼馴染ができるなんてことは、残念ながらどうやってもありえない。しかし今からでも信頼できる人間を作ることはいくらでもできるということだ。そこに特別な出来事も、時間をかける必要もない。まずは自分が相手を信頼する。それだけで答えてくれる誰かがきっといるのだ。


今の時代、命をかけるほどの信頼関係は必要ないし、信頼していると見せかけて騙してくる人間も多い。ただ自分がどうしても困って誰かに助けてほしくなったときに、竹馬の友でなくとも力になってくれる人は必ずいる。それをこのアニメ『走れメロス』は教えてくれた。


今でもふとその言葉を思い出す。

そして自分も誰かにとってそういう人でありたいと思う。