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どこを切り取るか?

物事の、どこを切り取るか。
って、常に大切だと思うんです。

誰かにとってのそれは、最善策ではないにしても、私にとっての幸せである。

とか。

結局は、すべての人間に対して、すべての生物に対して優しい物などひとつも存在しないのかもしれないけれど。

私は、先日、コットンの収穫祭へ
足を運んだ。

2011年の震災後に荒れてしまった畑を
コットン畑にし栽培から商品販売までを行っている「東北コットンプロジェクト」が主催しているイベントだ。

コットンを初めて見て、初めて摘む経験をした。

ふわふわしている。
本当に、ふわふわなのに、
どこか、ずっしりとした重たさもある。

だが、このふわふわの個体のままTシャツやタオルになるわけではない。

Tシャツもタオルも原料はコットンなのだというのだから、いかに人の手が加えられているのかを感じさせられた。


こぼれ落ちそうなのに、人の手の絶妙な
力加減が無いと、やはり、摘めない。

集められたコットンたちは、
山のように。

触れてみると温かいけれど、
一体、この全てをかき集めて
何着のTシャツができるのか。と
疑問に感じた。

ワークショップが数々行われていたため、
布を染めるワークショップと
生地の切れ端を使って装飾を作るものに参加した。

知っているブランドの名前も
多数見かけた。

こうしてイベントに参加してみると
自分の大切にしたいことがわかる。

私の場合は、
「新しいモノを作り出すこと」よりも
「今あるモノを振り返ること」
そして「忘れないこと」だ。

染めるために使うTシャツ
は染めなくても
貧しい国の方たちにとっては十分
素晴らしい資源。

つまり、染めるためのTシャツはいらない。

今、現在、ある大切にしてきたTシャツなら
いくらでも新しく生まれ変わらせたい。

どこを切り取るか。

一人ひとり、何を受け取るかが違う。
正解も、無い。

私の中の「モノと人」はいつでも
お金じゃなく気持ちで繋がっていけたら
いいと思う。

だから、モノは人に利用されるためにあるのではない、と考えたい。

最後に、東松島市の主婦の方々の手で一人ひとり靴下から手づくりをしてもらい生まれた「おのくん」をご紹介。

手づくりだからこその
手触りの違い。個性の違い。

正解はないけれど信じることを続けていくことが決して無駄じゃないことを
教えてもらった。


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