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2019年「前田デザイン室」がやってきたこと。僕が考えていたこと。ほぼすべて。

(「前田デザイン室週刊NEWS」に記載したコメントを再編集し、追記したものです。)


長い記事になってしまった。


それだけ、前田デザイン室はいろんなことこんなにもやってきた。200人に満たない人数でここまでアウトプットしてるコミュニティは、ほとんどなくなくないか?そのすべては書ききれないけど8割くらいは書いた。断言しよう。これだけやってきた僕らは確実に成長スピードが速い。

2019年は前田デザイン室にとって“発酵”の年でした。恥ずかしげもなく言ってしまうとコルクラボのパクリです。僕はコルク佐渡島庸平さんが言ってたことは実践してみる方針なのだ。42歳でも素直な僕です。新しい風を入れず、今いるメンバーだけで文化を作っていこうという取り組みだ。結果から言うと“発酵”は良い面もあったし、やりすぎも良くないなぁと…。前田デザイン室のメンバーはもれなく良い人だし、Welcomeな空気なんだけど、どうしても何をやっても新しい人が入りにくい空気はでてしまう。今年は新しい風をどんどん取り入れていきたい。なので前田デザイン室は大幅増枠した。「いつも満席」というイメージを払拭したい。今はいつでも入れるし、戻ってこれるようにした。だから入るんやで。(^^)ニコリ。

2018年の年末に“前デ渋滞”が起こった。「次の募集は4月まで増枠はしません」と銘打ったからか、年末最後の募集には200人が募集サイトに待機していたらしい。前田デザイン室初の出版、雑誌『マエボン』の影響力は想像よりも大きかった。世の中には悶々と仕事している人が少なからずいて、楽しいものづくりをしたいという人の存在がいると確信に変わった。『マエボン』後、前田デザイン室の第2フェーズが始まった。発進!!!


2019年はスタートから活動量が大幅に増した。『マエボン』販促のための梅田の大型書店3店舗で3ヶ月連続イベントを行った「梅田1・2・3」だ。集客が毎回大変だった。紀伊国屋梅田の時は2週間前で参加者が「0人」だった。これは大事件だったので、すぐさまnoteに書いた。実際には40人近い人が参加してくれてよかった。トークイベントで話す内容をこの時はまだアドリブトークではなく、毎回Keynoteにまとめてたから相当大変だった。資料作りに集中するあまり、イベント前には顔が固まってテンション低くなってぐったり。だから、幻冬舎 箕輪さんのようにハイボールをイベント中に飲むようになった。資料作りなんてものは僕だけがしっかりすればいいこと。みんなが手伝ってくれたから告知・集客・販売・運営がうまくいった。僕のひとりの力の無力さを嘆いた。「俺に箕輪さんみたいな影響力あれば、みんなに集客での苦労かけずに済むのに」そんなふうに考えたこともあった。毎回、みんなの協力がなければ3店舗すべての成功はなかったよ。


なにがゴイゴイスーってこの時は並行して、大きなプロジェクトが3つ進んでいた。『NASU本』『ゲーム企画』『お初天神裏参道ウラサン』どれも小錦級の大きなプロジェクトだ。完全に僕が広げすぎた。僕の反省すべきところです。スペースシャトルを宇宙に同時に3つあげようとしていたわ。前デにとってはそれくらいの規模感。『マエボン』の熱狂に酔っていたからか、できると思い込んでしまった。3イベント、3定例会、3プロジェクト。『宇宙兄弟 35巻』プロモーションプロジェクトも3月にやってるね。それはきついわ。2019年は春までに1年分くらいの稼動をした気がする。この反省を生かし今はプロジェクトを抑え、僕もみんなと並走することにした。それでもプロジェクトをまだ抑えきれないところがあるので、気をつけたいところ。また広げようとしてないか、誰か「前田パトロール」をお願いしたい。
 

『NASU本』は300万円というクラウドファンディングに成功した。前田デザイン室一丸となってクラファンリターンに協力してくれたところが大きい。「デザインします。名刺作ります。…など」一銭にもならない仕事をやってくれた。僕も総額100万円くらいのクラファンリターンの仕事をしたんだけど、相当大変だった。クラウドファンディングで300万円支援。オンラインコミュニティにおいてこの実績はとても大きい。オンラインコミュニティやってそこでクラウドファンディングを立ち上げ、そして成功する。前田デザイン室はCAMPFIREにおいてなんてロールモデルなの!?と僕はドヤ顔で主張していた。最近、CAMPFIREの方に聞いたんだけど説明会で「前田デザイン室はなんでクラウドファンディングうまくいくの?」という質問がくるらしい。CAMPFIREさんも説明するときに前田デザイン室を事例によく出してくれているそうだ。(`~´)ドヤ!


そして、完成した『NASU本』のクオリテイは僕の想像を超えて高かった。しかも、実質制作期間1ヶ月くらいじゃないか?デザインも文章もとてもいい内容だった。僕自身のやってきたことを振り返りができ、気づきがたくさんあった。有名クリエイターが書けない、僕にしか書けないことだと気づいた。だから、ABC山下さんや『アイデア』編集部にも認められたのだと思う。箕輪編集室であの箕輪さんが「まえだたかし本」みたいなのを箕輪編集室でも作りたいと言ったときは、僕ら前田デザイン室ってやっぱりすごいんだなと感じた。(`~´)ドヤ!


『NASU本』のプロモーション、クラファンリターン履行に精を出す一方、春から夏に向けて、度重なる「ウラサン」の延期。新店舗が鉄不足によりオープンが延期されてしまった。これは相当辛かった。ウラサンチームは特に。ほんと申し訳なかった。ウラサンの責任者である吉本くんも彼もある種、事故に巻き込まれたような形で不可抗力で大変だったのに何回も謝ってくれた。そして8月には「ウラサン」プロジェクトは無事にクローズ。前デ史上、過去最大のプロジェクトになった。パンフ、ポスター、グッズ、AR、WEB、ほんとにどれも仕事以上のものが仕上がった。仕事でこんなに熱量は出ない気がした。ウラサンのテーマソングとダンスで締めくくって感動的で震えた。後に始まる「前デソング」プロジェクトはそれをもう一度味わいたかったんだよね。


そこから1ヶ月くらいは「休憩期間」としていた。みんな疲れている感じがしたから、まったりやろうと。とはいえ、ずっと休んでは前デではない。次やるなら、もっとバカなことにゆり戻したいと思った。僕はひとり、「モザイクパンツ」プロジェクトをじわじわ進めていた。ある知人の紹介で、ようやくパンツメーカーにたどり着いた。爆速で、モザイクパンツのサンプルを作った。これをみたメンバーは「ああ、前田さん、あれほんとにやるんだ」と思っただろう。いきなり僕が「モザイクパンツを作る」って言っても半信半疑だったと思う。コミュニティにおいては旗を具現化することを大事にしている。だから、サンプルを作ることで示した。もうひとつはハードルの低めの「パンティ缶バッジ」からまたリスタートした。休憩期間からやさしいプロジェクトで体と気持ちを徐々に高めていこうとした。実は「ウンチの缶バッジ」が在庫が切れたものある。それに、まだ缶バッジプロジェクトは黒字化できていない。

それと並行して、うまい棒の社長にふたたびあったり、次の面白い種を探していた。そのひとつが平和紙業ペーパーボイスでの「展覧会」。昨年、コルクラボ 文化祭に参加してコミュニテイのお祭りってすごくいいなと感激した。前デならやっぱり「展覧会でしょ!」というのがあった。任天堂の時の担当者に連絡し、平和紙業さんと前田デザイン室のお付き合いが始まった。これが年末、先日のクリスマスに行われた「ポチ袋展」です。



…と、ちょっと待った。夏に「じゃみぃの立体化プロジェクト」もやっている。ぬいぐるみと作ってくれたメンバー、そして、僕が着ぐるみを作りたいと言いだし資金を集めるためにクラウドファンディングをし無事に成功。じゃみぃは、僕発信ではなくメンバーから生まれたクリエイティブ。それがみんなに認知され、キャラとして育っていく姿はとてもうれしい。

 

モザイクパンツが秋冬のメインにがっつりやっていこうという最中、コルクラボ さんから「本のデザインをお願いしたい」と打診があった。最初は、「前田デザイン室に」というわけではなく、NASUにという話だった。僕が提案して、コミュニティのコラボにしてもらった。プロジェクトを増やし続けてしまう悪いクセが出ているね…。ただ、こんな機会はめったにないし、コルクラボ のコミュニティ本は無理をしてでもやる価値があると思った。だから、僕もなるべくデザインでも参加しようと思った。できあがった本をみて、クオリティに感動した。コルクラボ 本チームは最短時間で最高クオリティを作った。上からで申し訳ないがみんなものすごく成長している。というか、チームでのものづくりが上手くなっているのかも。一度通った道は短く楽に感じる。この時に「今、『マエボン2』を作ったらどんなものができあがるんだろう?」と期待がこみ上げてきた。



前田デザイン室はプロジェクトだけではなく、日頃のFaceBookでのコミュニケーション、定例会note、メルマガ、バナー、zoomイベント…。多岐に渡る。大量の渡哲也。日々のコミュニケーションでいうと「必要のない情報の共有」スレッドは革命的だった。コミュニティの活性の基本はコメントコミュニケーション。誰もが参加できるすばらしいアイデアだった。これは箕輪編集室でも採用されていた。


前田デザイン室の発信力も開花された一年だった。noteがとてもよく読まれた。「前田が行く」「鬼フィードバック」は、これまで前デがアプローチできなかった人たちにリーチした。他にこんな発信しているコミュニティないからね。その勢いに乗って、前田デザイン室のあたらしい枠「ガチデシ枠」「クライアント枠」を導入した。この前から、前田デザイン室を200人にすると掲げた。現状維持は衰退。第3フェーズに向けて歩みだした。



「コルクラボ本」の影響もあって、「モザパン」プロジェクトは人手が足りず、大変だっただろう。申し訳ない。しかし、「モザパン」チームのそこはかのないノリの良さと明るさで乗り越えた。なんか面白いよねモザパンチーム。つらいい時でも明るく楽しい。すばらしいパッケージ、おもしろいアートブック、AR、クラファン…。苦労を乗り越え、『モザパン』はこれから多方面にアプローチできる強力な武器になった。



11月下旬のGIF(岐阜)合宿直前に、圧倒的に僕のわがままで「合宿の最後に前デソングを歌いたい」と言いだし、緊急チームが発足、超・短期間で最高の歌を作った。合宿で歌ったら本当に涙が出た。すごいよ、ほんと。すごいしか言えない。わがままではあったけど、前デのみんなも楽しくうれしくなると思ったんだけどどうだろう…。わがまま?だったらごめん。



年末最後の締めくくりは、「前田デザイン室 ポチ袋展」だ。クリスマスの24、25日の2日間だけというのが、もったいないくらいの価値の高い展覧会になった。これも結局、プロジェクトを詰めすぎていることによるしわ寄せがあって大変だったよね。申し訳なかった。ただ、メンバーのツイートで「僕が展覧会をやるなんて」というのを見てうれしくなった。そう、前田デザイン室は普段できない体験が気軽にできる。これもツイートで見たのだけど、前田デザイン室と展覧会のお客さんとの対応が「コミュニティ的」であると。ある人気漫画家さんが「前デってほんとにいい人で恵まれていますね」と言って「そうでしょう?」と誇らしげに返事をした。日本写真印刷コミュニケーションズさん、平和紙業さんからすごく感謝と御礼を言われてよかった。


…というのが、前田デザイン室の1年のすべてです。それでもなんか抜けているな…とても書き切れない。板垣雄吾さんの『やりやら』グッズも作ってるし、『宇宙兄弟』のコラボもやってるし、STORESで販売も始めたし、デザインスクール「スイスイ」もやってるし、コルクラボ文化祭にも出店ているな…。現在、WEBチームも進んでる。1年の最後に書き切れないことをやる、やってきているのが前田デザイン室です。いやしかし、僕が広げすぎているところはこの振り返りを書いてみてとても反省しました。でも、おかげでとても色濃く楽しい1年だった。これを糧にNEW前田デザイン室にしていきます。来年は、腰を据えてじっくりやりましょう。ただ、長くダラダラやっても余計つらいので、短期間で集中する、プロジェクトはなるべく重ならないようにする。2020年、仕事ではできないクリエイティブ体験を。もっとコントロール気にせず、暴投上等フルパワーでボールを思いっきり投げられる「前田デザイン室」でありたい。


なので、来年も一緒に僕と遊んでください。よろしくお願いします。


1年間、ありがとう。


前田デザイン室 室長 まえだたかし

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