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#339 『国語教育の神様・大村はまの指導術』

本日は、大村はま記念国語教育の会事務局長の苅谷夏子さんの「国語教育の神様・大村はまの指導術」についてのお話です。

"「国語教育の神様」といわれた大村はまと出会ったのは、私が中学1年9月の転入時です。当時63歳の大村は、明るい調子のあいさつで授業を始めると、小さな藁半紙を配りました。「夏休みの宿題はきょうが提出日でしたね。少し遅れるという人もありますか。この紙に提出状況や予定を簡単に書いて、添えて出すように。隣の人と相談したりしないで、静かに、さっとやりましょう」と言いました。"
"転入生だった私はどうしていいか分かりません。尋ねに行こうかと考えましたが、それをさせない雰囲気が大村にはありました。結局、考えた末に「私は転入生なので何も提出できません」と藁半紙に書き、黙ってそれだけを出すことにしました。2日ほど後のこと、まだよく名も知らない同級生が「はま先生がね''ああいうことを黙ってやり切るのは大きな力だ。今度の転入生は力のある子だ''って褒めてたよ」と教えてくれたのです。"
"迷った末にとったあの行動を「力」と評価してくれたのだと知った時、あの先生についていこう、という気持ちになったのを覚えています。大量の本や新聞・雑誌・パンフレットなど、驚くほど多彩な教材を使った授業は「大村単元学習」と呼ばれました。一度も同じ授業を繰り返さなかったといわれています。授業をリードするその姿は実に知的で、具体的な知恵と技術に満ち、生徒としてはついていかざるを得ないような強い引力がありました。"
"特に印象に残っているのは、「『私の履歴書』を読む」という単元です。日本経済新聞の連載が本として50巻ほど発刊され、各自、違う人の自伝を担当し、その人となりなどを発表する取り組みです。その初回の授業で、「これまでの自分の人生を振り返った文章を書いてみましょう」と課題が出されました。"
"思い出しながら、題材をメモしていくと、種になりそうなことはいくらでも出てきます。ところが、いざ一つの文章にまとめようと構成を考え出すと、これは大事なことだけれど人には知られたくないとか、これは実際以上に少し強調して書きたい、などと、思いも寄らないようなややこしい気持ちが
自分の中に湧くのです。事実としてそこにある自分のこれまでの日々を、
平坦な気持ちでは書けないことに戸惑いました。"
"そんな最中に大村が「はい、そこまででやめましょう」と作業を止めました。「すべての出来事をあった通りにそのまま書くわけではなさそうでしょう。たくさんの事柄のなかから、それを選び取る自分がいる。実際にあったことでも、書かないこともある。選び、捨てる、そこにこそ、その人らしさが出てくるんじゃありませんか」"
"その一瞬、文字通り目から鱗が落ちました。生まれて初めて「ものを書く」ということの本質が垣間見えた瞬間でした。そうか、表現するとはこういうことか。文章も音楽も美術も、日常の言葉のやりとりさえ、拾うことも捨てることも経た上での表現なのだ!どこかから「ぐいっ」と音が聞こえるくらい、ひとつ大人になったのだと、私は実感していました。"


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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/12/05 『国語教育の神様・大村はまの指導術』
苅谷夏子 大村はま記念国語教育の会事務局長
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※Photo by Green Chameleon on Unsplash