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8 自由に生きる―タイ仏教僧として―

 このあたりの機序をもう少し詳しく説明しておきたいと思います。

 例えば、「怒りは悪」という見解にとらわれていると、自分自身の心にフッと湧いてくる怒りに対しても、また、 目の前に怒っている人が現れてきても、咄嗟に否定してしまうことになります。それで、自己嫌悪に陥ったり、相手を憎んだり、喧嘩になったりします。

 ところが、怒りがフッと湧いてきた際に、それを瞑想的、あるいはマインドフルネス的視点で、あるがままに観察し、さらには怒りの奥にある「相手にこうなってほしい」という願望まで観察できるようになると、「なるほど、願いが叶わずに失望や落胆のような気持ちが起こってきて、それを自分で受け止めきれないときにそうした気持ちが相手に向けられ、怒りとなって表現されているのだな」というようなことがわかってきます。すると、相手の怒りとい う表面のところではなくて、その奥にあるその人なりの悲しみや、「こうしてほしい、こうなってほしい」という、 心の奥の願いや気持ちまで観えてくる。そんな感じで、気づきと智慧をもって観ると、お互いのありのままの思いが、 全体的に、トータルに見えてくるようになるわけです。そして、「じゃあそこで、自分がどういった態度をとったり、 言動をしていったら、お互いさまに幸せな今ここを生きられるようになるのか、あるいは一緒により良きものを共同創造していけるのか」という工夫を考える余裕が生まれてくるわけですね。


 このように、一旦、マインドフルネスに客観的な視点で、まずは自分を観察していくというプロセスを経ることによって、相手と共に幸せになっていくことの実現が図れていくわけです。

 こうした瞑想によって変化していく心の変化について、私は英語の頭文字をとって、「五C」とまとめています。 これらの状態が現れてきたら、瞑想が正しく順調に進んでいる証拠とみなしていいでしょう。

 まず五Cの一つ目は「クリーン (Clean)」。心が、清らかに、スッキリと爽やかな感じになっていく。そうした変 化が内面に生じてくるということですね。外側の何か、例えば車や家、愛するパートナーや子どもがいるから、すな わち、何かがあるから幸せだということではなく、何はなくとも、心にそういった爽快感が起こってくる。

 二つ目は「カーム (Calm)」。ざわついて落ち着きのなかった心に穏やかさ、安らぎ、安定感、静けさといった心の性質が生じてくる。

 三つ目は「クリア (Clear)」。もやもやとして、何がどうなっているのかはっきりと分からなかったのが、どんどん霧が晴れたように明晰になっていきます。

 四つ目は「コンテントメント(Contentment)」。空虚感や寂しさがなくなり、イキイキとした生命感覚、満足感、 充足感が生まれ。満たされる感じになっていく。

 五つ目は「コンパッション(Compassion)」。慈悲。優しい思いやりの気持ちですね。このような気持ちや心の資質が自然に表れてくるようになります。