「死」と生きる #8
最近「死」について深く考えるようになった。9年前におばあちゃんを亡くし、4年前におじいちゃんを亡くし、そして今日また1人おばあちゃんを亡くした。これほど死というものが身近だと感じたのは初めてだ。
最近ニュースで悲しい事故や事件ばかりが流れている。関係ない人を襲った無差別的な殺人事件。事故だとはいえ全くの他人を何人も死なせてしまった事件。人間はいつどこで死ぬかわからない。10秒後、1時間後、1日後、1週間後、生きているかどうかだなんて誰にでも分からない。朝に言った「行ってきます」の一言や、ケンカをして「うるさい!」と言った一言。それが最後の会話になるかもしれない。
僕の父方のおばあちゃんとおじいちゃんは海外に住んでいた。小さい時は毎年冬に遊びに行っていた。それでも1年に一回しか会えなかった。僕が中学、高校と上がるに連れて会う機会も減っていき、今は手の届かないところに行ってしまった。
コロナ禍で海外まで会いに行く事なんてできない。もし行けたとしても、仕事があるからいずれは帰らなければいけない。その時に別れの挨拶をするのがどれだけ辛いか。考えることすらできない。
最後に大きなハグをしたかった。
ありがとう、愛してるって伝えたかった。
亡くした時に毎回「後悔」が最初に来てしまう。いくら後悔したって、時が戻ることなどない。今僕にできることはこの一瞬を家族と大切に過ごし、ありがとうと言う気持ちを常に伝えることだと思う。何気ない一言が最後の会話になっても、後悔が残らないようにしたい。
笑顔が素敵だったおばあちゃん。
いつも笑わせてくれたおじいちゃん。
カタコトの可愛い日本語で話してくれたおばあちゃん。
みんなたくさんの思い出と愛をくれた大切な家族。ずっとずっと大好きです。
Rest In Peace granny ♥️
16.09.2021