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子の刻参上! 一.あけがらす(二)

狐が、そっ、と裏木戸から入り込み、手招きした。次郎吉は木戸のすきまをするりと入り、後ろ手に戸を閉めた。

閉めたらもう、月あかりの届かぬ漆黒。

盗人だから、ひとさまの建物を中へと入ったら最後、口はきかぬ。だけれども、次郎吉、夜目はきかない。
一方の狐は、まったくあかりのないところで、次郎吉の耳元に口をよせ、
「装束をかえる、腹巻股引はそのままでよい、帯着物だけこの行李へつくねよ」とささやいた。

足で次郎吉の左足を少し斜め前にひっかけ、左足のつまさきで行李のあるのをたしかめさせる。

次郎吉が

(うぉっ)

と内心びびりあがったのは、

狐が行李を次郎吉の左足つまさきで触れさせるとき、まるでくぐつを使うように、次郎吉の横腹をちょっと触るだけで、右足への重心を作りこんで左足を軽く操った・・・

だけではなく、次郎吉を手伝って帯上衣をするりと土間へ落とさせた、その手早さにである。

次郎吉はそれでも何もしゃべらなかった。

しゃべっていいといわれるまではしゃべらない、ぐらいの心がけはあった。

忍び込んだ先で仲間にだけ伝わる小声を出す稽古など、したことがない。稽古のないものがうっかり声をあげたら、夜半どれほど響くかぐらい、知っている。

次郎吉がだまって着衣を脱ぎ落としたちょうどに、羽二重が手渡され、狐は軽くしゃがんで帯着物をくるくると小ぶりにたたみ、行李のふたを閉めてしまった。
次に手渡された紐のゆわえを、ほどくやいなや、狐はそれを次郎吉の手からとり、上半身の着付けを済ませてしまい袴を渡した。
次郎吉が袴の右足左足を履いたか履かぬかのうちに、しゅっしゅとしめやかな音をくぐもらせ、袴の結び紐をほどよく仕上げてしまった。
そして羽織を手渡し、
袖を通している次郎吉の、頭と顔を、お武家頭巾でさっさと覆ってしまった。

寸の間に着替えさせられた次郎吉は、またもや愕然とした。狐ひとりと思っていた着替えの手伝いが二人であったことを、お武家頭巾をかぶせられたとき、やっと知ったからだ。

それでも、次郎吉は不用意に声をあげなかった。

(意地でも、足手まといにゃ、ならねえ!)

そう、心の中でほえたからだ。


おんな若衆の益田時典と、腕のいい「はぐれ下忍」であろう主従。かれらが

「子分づらして、名乗ってでたあほうを、助けてやりたくはないか」
と、次郎吉にもちかけてきた瞬間から・・・。



荒くれ仲間の数を頼んで武家屋敷を襲撃する、武辺の侍ぬすっと集団とは違い、鼠小僧は「ひとり働き」だ。

お大名屋敷の構造は、木具も扱う鳶だから、見当をつけることはたやすい。

たとえば、かくれて開帳される賭場から、奥向きへそっと入っていって、ひとけのないところにじっくりとひそみ、奥女中がへそくっているお手元金などをくすねて、次の宵闇にまぎれて逃げて出る。

慎重で地味で、数を頼まず、次郎吉はひとりでいた。


で、須走(すばしり)という二つ名の熊だって、盗み働きの仲間なんかではないのだ。

たくあんで熱燗をやっていたところへ、
「兄い、兄い」となついてくるもんだから、つい甘い顔をしていた。

そうやってつるんで飲んで歩いてたある日、蜆売りの子供がやってきて・・・

身の上話を聞いて、次郎吉の顔色が変わった。
金をやって蜆をぜんぶ川へ放生させ、蜆売りの子供を家に帰したあとで・・・

「兄い、どういういきさつなのか、この熊に打ち明けておくんなせぇ」
はじめて会った日になついてきたのと同じ調子で、須走の熊は言ったっけ。


しくじった! という苦しい気分が強すぎて、身の上をぼかしぼかし、次郎吉も熊に話したのだ。

「いかさまばくちの餌食になっていた、どこぞのお店(たな)の若旦那を、昔なじみの芸者の小春のいい人だからと、考えなしに、たすけちまったのよ」

蜆売りの子供の身の上話を、さきほどいっしょに聞いていた熊は、ええっ、と驚いた。

「持たせた金があだになって、その若旦那が、どこから出た金だってぇんでお縄になっちまって、口わらねえから三年も捕まってる。
と、こういうことですかい」


「ああ、そうだぁ。
畜生!

人助けなんぞ、するもんじゃあねえ!

がらにもねえこと、したばっかりによう・・・」


しくじりがぐわんぐわん、責めさいなんで、次郎吉は深酒のあげく、酔いつぶれた。


ずきん、ずきん、と、割れがねのように響く頭やみに起こされた、翌朝。

瓦版うりだの江戸雀だのが、よってたかってしゃべる噂を聞いて、さらに次郎吉は驚愕したのだった。

すなわち、

「盗み金をだれからもらったのか、決して口を割らねえで、三年このかたお留めおきになってる庄之助が、とうとう放免になったそうだ」

「なんでも、金を渡したのはあっしでござんすが、若旦那が放免されたら出所をあかしやしょう、と名乗って出たものがいるらしい」

「須走の熊ってぇ、鼠小僧次郎吉の、一の子分だとよ」


次郎吉、まがりなりにも盗人なので、往来で声は発しない。

心の中で絶叫した。

(俺は、子分を持った覚えはねえ!!!!!!!!!!!)

あのばかやろう、・・・・・・。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!