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毒から身を守るいくつかの四郎的な解釈【物語・先の一打(せんのひとうち)】9

高橋は四郎をまっすぐ見た。唇を噛んで、それからおもむろに口を開いた。「奈々ちゃんと四郎は、親御さんからの暴力や暴言との向きあいだ。僕は……同じく大人からされたことだけれど、セックスの問題がからんでる」

四郎は奈々瀬の手をそっと握ったまま、もう片方の手をひらひらとふった。「お前から聞いた限りは、祐華(ゆか)おばさんから受けた性的虐待はひとまずおいといて、お父さんとお母さんの激しい口喧嘩のほうは、俺らの問題とすごく共通点があると思うんやん。あと祐華おばさんがお前をいろいろ振り回して、お前が祐華おばさんをかばおうとしたこともな」

奈々瀬が軽くうなずいた。そうして、ちょっと眠そうに目をしばたいた。

「寝なきゃな」高橋は居心地の悪そうな声で言った。「奈々ちゃん、シャワーでも浴びる? 明日の朝がいい?」

「あしたに……」奈々瀬は口数すくなく、しゃべりにくい口のあけかたで言った。

「奈々瀬、今日はまんだお母さんへの怒りは、本格的には出んやろうけど」四郎は奈々瀬の手をみながら言った。「親の問題は、はよう親に対して怒って怒って怒り抜いたあと、親よりはるかに器の大きい人間になって、たまたま生物学上の親んなってくれた、親力(おやりょく)の足りんかった人を、自分が幸せになって遠くから祝福してやるのを到達点にしてくれ。

個人主義が徹底しとる欧米なら、毒親呼ばわりが続いても我が身へのダメージは少ないが、日本は自他の区別が欧米よりずっとずっとつきにくい。

親のDNAを貰っとって、親の面倒見るのがあたりまえてって風潮が幅きかせとって、潜在意識が自他の区別をつけれん以上、親と同じレベルで親に敵対しつづけると、我が身に自分からの呪詛(じゅそ)が及ぶ。

親御さんや大人からの毒が呪詛とすれば、自分がくるしみもがいて外そうとする動きの中途半端なもんは呪詛返しや。日本の一般的な親子観が身に染みついとる以上、呪詛返しそのものも大半、我が身で受ける可能性が高い。

民俗学の本に乗っとる呪詛(すそ)と呪詛返しのボリューム感は、呪詛返しが元呪詛の二倍量。倍返しになる。射撃の跳弾みたいなもんやわな。”人を呪わば穴二つ” てっていうのと似た話や。

呪詛と呪詛返しを解消する唯一の方法は、呪詛の祝い返ししかない。

途中をはしょって身の内の毒が溜まってはいかん、怒って怒って怒り抜くのは大事や。そこを走り抜けて、怒ったうしろの哀しかったことせつなかったことぜんぶ身の内から抜いて、自分を祝福してから呪詛の祝い返しに至るとこまで走り抜く、と決めといてくれ。俺も高橋も、徹底的に手伝う。

これが、本にようある ”ゆるすことで自分を解放するように” てって話の、俺なりの現時点での解説や」

四郎は、「今わけのわからんこと言っとるなあと思っとってええで、とりあえず耳にひっかけといたでな」と、奈々瀬の手を見たまま、ささやいた。


それから三人は部屋割りを決め、高橋は二人から離れた四畳半へ引っこんだ。

四郎と奈々瀬は、いつも四郎が泊めてもらうときの六畳におちついた。
「俺、そばで起きとったるでさ」四郎が言うと、奈々瀬はそっと首を振って、「ちゃんと眠ろ」と、口数少なくささやいた。

四郎と奈々瀬は、布団を少し離してのべて、横になった奈々瀬が手をのばして四郎の手をきゅっと握った。
手が出ていると寒い。四郎は奈々瀬の手を、奈々瀬の布団のうちがわに押し戻して、自分が手を伸ばして、奈々瀬の手を握っていた。

「おやすみ」
行ったことのない修学旅行より、ずっとずっといいものを手に入れた気分で、四郎は天井を向いてつぶやいた。


一人で別室の高橋は、ほぼ死語の輾転反側(てんでんはんそく)が辞書から這い出てのりうつったように、あっちへ寝返り、こっちへ向き、いっこうに眠れる気がしなかった。

(そうだそうだ、こういうときは)高橋は四郎と奈々瀬を画題にするなら、と閉じた瞼の内側で絵を思い浮かべてみた。

なぜだか、絵の師匠の神林 現(かんばやし げん)と障壁画修復に出向いた古刹(こさつ:由緒ある寺)で、古いテレビに映っていた映画のシーンと似た構図になるのだ。

四郎は奈々瀬に言われて途中で眠るだろうが、最初は正座でもして起きていたがるだろう。端座の背筋がうつくしいのはやはり和服だ。袴がいい、四郎は着流しもうつくしいが袴が似合う。奈々瀬はあどけない顔で眠っているだろう。安心しきったようすに描くだろう。

四郎はじっと奈々瀬の寝顔を見ているに違いない。あいつは奈々瀬を怖がらせないように、十人が十人怖くて目をそらすその視線を、奈々瀬にまっすぐ当てないのだ。

映画の中では、眠っているのはお姫様で、正座でその寝顔を眺めていたのは丹下左膳だった。隻眼隻手の丹下左膳は、つりあわないお姫様の寝顔を眺めて、涙をこぼしていたっけ。

四郎、奈々ちゃん、君たちは「幸せな家」をめあてに走り抜け。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!