ネクタイを巻いた掌底で鼻っ柱を。ーー秋の月、風の夜(20)
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背中に二人の気配をとらえ、手がかりを与えず牽制する。次のひとりに四郎はなぜか、妙にのろくさした突きを入れた。
角刈りのそいつは、急に速度の落ちた竹刀を捉えて叩きおとした。床に叩きつけられた竹刀の、「パン!」と乾いた音が響く。
相手の右手が伸びきるのを待っていた四郎が、もとの圧倒的な速さで右手首をつかんだ。
恐怖のあまり「ひっ!」と叫んで手首をひっぱられた男は、ズドドっとたたらをふんだ。
体が浮いた。
四郎は左目の端で、次に近い二人をとらえた。手首をひっぱった男を盾にする。腕で首を巻いてバッと左へ振った。
二人が振りおろす竹刀のどまん前につきだされた男は、
「うわーーっ!」
とわめき、身をよじったが、次々打突をくらった。ずしぃんとした衝撃が、後ろの四郎にまで響いた。
四郎は盾にした男を回し落とし投げた。湿った「ごとっ」という音をさせて、男が転がった。
もう一度、素手だ。
肩口に、背に、丹田に目のある感覚を味わう。(あと十人やれる、もっと来い)という危なっかしい傲慢感を振り捨てる。
四郎は形のよい口元をゆるく閉じたまま、左手でしゅっとネクタイを引き抜いた。
くるりと手に巻きつけ、竹刀を振りきってしまった相手二人のふところに飛び込んで倒す。右手で二人目の手指を掴んで寄せ、ネクタイを握ったままの掌底を鼻っ柱に叩きつけた。赤黒い衝撃が顔面に叩きこまれ、相手の意識が飛んだ。
腕をひねりあげたまま盾にして、ネクタイをするりとそいつの首に巻き、利き腕と首をしめた状態で、四郎はあごひげの男の顔を見る。
「で、和臣先生と有馬先生が、なんでしたっけ」と、四郎の声が響いた。
あごひげの男は激高した。息が上がったまま叫んだ。「三千万の一部金だけでも、持って来い、つったんだよ!」
「どうしてまた」
「……ざけんな!」
まるであやつられているように、あごひげの男が打ち込んでくるが、盾になった男に、みごとに竹刀が当たって終わった。「ぎゃっ!」とあごひげと盾の男が二人とも大声を上げ、それでもなお、もう一回大振りしたところで、
「Kじゃ!」誰かが叫んだ。
……警察だ。
はいずって逃げようとした何人かが取り押さえられる。
高橋は録画を止めた。
けっこうな人数が来てくれたようだ。四郎は、盾にしていた男を投げ捨てた。ごとっと仏倒れに、重湿った音がした。
あごひげの男も、竹刀を投げ捨てた。
「K来ちゃったよ畜生」はあはあと息をつきながら、あごひげの男は四郎に言った。「くっそつまんねえ」
「四十九秒」四郎は、あごひげの男に向かって、そう言った。「ひとりあて、三秒半もかかる……あかんな……」
笑った。
奥の人が首をもたげた。迫力と威圧感がふきだした。
あごひげの男が、ぺたんとくずおれて床に腰を抜かした。
(あかんて)四郎は「奥の人」を奥へとしまいこみ、あごひげの男が受けた衝撃の記憶を、脳神経と体細胞からぬぐい去った。
見取席の和臣先生まで、あとほんの6歩だった。
四郎はそっと近づいて、和臣先生の横に膝をつき、「えらい目したまんまで、やっとお待たせしてすいませんでした」と声をかけた。
有馬先生が、どたどた走ってきた。「和臣君、大丈夫か、怪我してないか」
有馬先生と和臣先生とを置いて、そっと四郎は高橋のそばへ戻ってきた。
高橋が四郎に背広を渡した。するり、と四郎が袖を通した。ネクタイは、つくねたままポケットにしまった。
有馬先生にかかえられて四郎のところに来た和臣先生が、「ほんとうに申し訳ない、助かりました、ありがとう」と、四郎に泣きながら言った。
「四郎君、一生、恩に着る。ありがとう」
有馬青峰は、そんなふうに礼を述べた。
高橋だけが、四郎の
――おさわがせしました。実戦の機会をありがとうございました
という、道場へのひそやかな礼をきいた。
高橋は「奥の人」をうかがった。
ふん、とうそぶく虎のように満足気なようすだった。
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前の段:んだぁこのアイサツは!?ーー秋の月、風の夜(19)
「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!