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自分の商売を成り立たせるコア的な力とは何か、についての話

おれは専門性が高いタイプの会計士ではない。なぜそれで良いと考えるのか、今日はそんな話だ。


なぜおれは報酬をもらえるのか

報酬にせよ、給与にせよ、人からお金をもらえるのには、何かしら、この人にお金を払ってもいい、という理由がある。ここまでは何の不思議もない話だが、一見似たようなスキルを持っていて、似たような作業をしていても、うまくお金をもらえる人とそうでない人というのが必ず出てくる。

人がお金をもらえない理由と言うのは、はたから見てるとわりと「そういうとこやで」と見えてくるのであるが、自分がお金をもらえる理由、というものは、とても見えずらく、実はじっくりと掘り下げて考えてみるべきテーマだとおれは考えている。

ちなみに、弱みと違って、他人の真なる強み、というものも、なかなか見えずらい部分がある。なぜかと言うと、他人がクライアントとどのように接していて、表面上提供しているサービス以外に何を提供して、かつどれがウケているか、というのは、本人も自覚していないケースが多くて、説明を求めても要領を得ていないことが多いからだ。

そういうことは長い時間をかけて、細部にわたりそいつの本当の良さみたいなものを観察しないと見えてこないが、そんな暇は通常ないので、なかなかわからないし、正解率もたぶんあんまり高くはならないと思う。

なお、見えずらい良さがあればあるほど、何も持ってないやつと過小評価してしまうことに陥りやすいので、「なぜか生き残るタイプの人間」をあなどることだけは決してやってはいけない。

だが、おまえ自身の強みは実は違って、現にカネを払ってくれているクライアントとかからのフィードバックを注意深く観察すると、ああ、あの時のあの一言がきいたのか、とか、え、そこ?みたいな発見があるし、そういうヒントを探すにあたって、記憶力が極端に悪かったりしない限り、だいたいの答えはお前の行動の中にあるので、四六時中おまえと一緒に行動しているおまえ自身が一番正解にたどり着く可能性が高い。これは確かなことだ。

最初に言っておけばよかったが(おれの記事は半分メモなので、書き直しをあまりしない)、どういう仕事でも一般に言えることかどうかはよくわからない。これから言おうとしていることは、おれが会計士として仕事をする中で気づいたことに限られている。

いわゆるハード的なスキルは正解とは限らない

会計とか企業運営に関係する法律とか、監査とか、そういったものに関する知識は、トータルに身に着けるのには結構な時間がかかる。つまりそれなりに値段の高いスキルである。参入障壁だと言っても差し支えない。ただ、会計士の商売敵はほとんど会計士なので、そこに関しては、実はあまりアドバンテージがないはずだ、というのが最初におれが感づいたことだ。

あんまり会計とかに詳しくない会計士は、まっさきにフィルタリングされて、難解な仕事とかでは出会わないので、難しい仕事でバッティングする相手は基本的に会計とかに詳しい。単発でたまたまショボいやつがいたりすることもあるが、長期的にみると市場から退場されるので、考える上では無視していいだろう。

簡単な仕事は、会計にあまり詳しくなくても特に問題ないので、格下だと感じる競合が多々いるかもしれないが、案外、専門知識みたいなハードなスキルの差で決着がついている、それが差別化の源泉である、というケースは少ないようにおれは思っている。

あと、トータルな知識があんまりなくても、個別の問題については、昨今、グーグルとかで聞けばだいたいのことはわかってしまうので、きわめて特殊な技術的ノウハウ・・・プレイヤーも市場も限られているような・・・を除けば、会計士の市場でハードスキル面で圧倒的に優位に立つというのは、実は難しいことだとおれは結論した。

天空闘技場のディレンマ

この話は案外伝わりにくいことが多いので、例を挙げると、スキルの研鑽に励んで高度な仕事に手を出すというのは、要するに天空闘技場を上っていくような話で、上のほうに行けば、おまえも当然強くはなるが、敵もヒソカみたいな相当ヤバいやつになってくるので、単純に勝率はあがらない。

そして、この闘技場にはルールがもう一つあって、下のフロアでは、高度な技が使えない、もしくは役に立たない。つまり、どれほど自分を鍛え上げても、戦えるフロアの数が増えるだけで、勝率自体はたいして変わらないままだ。

ただこれは無意味ということは無くて、戦えるフロアの数が増えるということは、仕事の幅が広がるということなので、そういう意味では役に立つ。ただ、やり遂げた人間の陥りがちな過ちは、おれは高度なPROだから、そのスキルが必要とされるフィールドでしか戦わないといった制限を自らに課してしまうことだ。それは仕事の幅を狭める上に、勝率も大して上がらないし、バンジーガムみたいなワザで死んだふりとかするやつにそうとう苦しめられることになるだろう。儲かるは儲かるだろうが、儲ける方法は他にいくらでもある、という風に理解してみて欲しい。

天空闘技場を上りまくって、もう誰も敵がいないような最上階に到達するケースについても、念のため検討する。会計みたいな仕事の宿命に、基本的に、ルールチェンジすることが、認められないという側面がある。つまり、おまえが誰も思いつかないような革新的な会計処理の理屈とかを思いついたとしても、それはかなりの確率で粉飾とか脱税とかそういうことになる。会計とかの提供する情報は、利用者にわかるものでなければならないので、おまえしか思いつかない斬新なスゴイやつとかは、たとえそれが本当であっても、全然役に立たない。ていうか、危ない。

したがって、どれほど頑張っても、無双できるという状態にはならないし、上のフロアからさらに上に行こうとすればするほど、努力量も半端なくなってくる。そういうわけで「(ハード)スキルを高める」というのは、最低限のことができないやつはまっさきに取り組んだほうが良いと思うが、そこそこ普通に働ける会計士にとっては、基本的に趣味の問題で、商売上どうかと言われると、あんまり効果的な戦略ではないだろう、とおれは考えている。まあ、多少宣伝になったりとか、ソフトスキル的な使い方はありかもしれない。これをおれは、言葉としては正しいかどうかはさておき「天空闘技場のディレンマ」と名づけた。なんか響きがいいからだ。

監査法人出身者のスキルレベル

大手監査法人では、古来より、そんな(監査スキルの他に専門分野もないような)ことじゃいざ独立しようと思った時に困るとか、外では通用しない人材とかいう脅し文句が使われてきたきらいがある(今もあるのかどうかは知らない)が、あれはおれの考えではほとんどウソだ。正しい数字は何なのか、なぜそれが世間的な意味で正しい数字だと言えるのか、ということを考えるスキルは会計の仕事の中では基本であり、かなり重要なパートであるから、最初にそこを鍛えている人間にとっては、周辺の領域を身に着けていくことは、さほど難しい事ではない。要するに、なんか言われてから勉強しても十分対応できる範囲の話だとおれは思う。

なお、さっきの脅し文句みたいなものが使われがちなシチュエーションについてよくよく考えてみると、実は言いたいことは「おまえは監査法人でも大して通用していない」ということであって、そうだとしたら、まあ一応考えてみたほうが良い。ただ、おれの経験上、監査の仕事というのはたいがい難しい部類の仕事なので、それがうまくできないことと、監査法人の外で仕事をしても結局だめだ、ということとは、つながるようであまりつながらない。どちらかと言うと、あまり知識を使わない仕事も沢山あるので、ソフト的なスキルのほうが結果を左右することが多々ある。

勤勉なのは、会計士全般によく見られる美徳だと思うが、何か身につけないと死ぬみたいなこととか、勉強をしっかりすれば、スゴイ食えるようになるとか、そういうことは実はあまりない。それをまずおさえておく必要があるとおれは考えている。あとまあ、時間をかければ必ず身につくようなことは、やっぱりいうほど差別化の源泉にはならない。

物覚えのいい奴はどこにでもいるので、よっぽどの秀才とかでない限り、人のあまり知らないことを知っているだけでは戦えないだろう。すぐに後続がおまえを追いかけて来るからだ。

ソフトなスキルは一筋縄ではない

商売をやっていくうえで、いわゆるヒューマンなソフト的スキルが重要であることは、言うまでもない話で、たぶん、今まで述べてきたハードスキルに走りがちなやつも、よくよく考えると、ヒューマンなスキルについて苦手意識があるとかそういうことであるような気がしている。だが、結局のところそこは避けて通れない。

ただここも、どうやって試験に合格したのかわからないぐらい体系的な知識があやしいやつが、さすがに会計士としてやっていくのがしんどいことと同様に、ソフト面でも最低限のことができないやつはさすがにどうしようもないという話であって、実はそれほど深刻に考える必要はない。

おまえもよく知ってのことかと思うが、会計士とかには、人間として比較的アレな人が沢山いる。色々話をしていると、世間的には、よっぽどおかしいやつじゃなければ、特に高度な人格とかは問題じゃなく、要するに、自分の知り合いに紹介できないようなヤバいやつでなければとりあえず大丈夫だと認識されているようだ。

実際、どういうやつがヤバいかと言うと。案外単純で、

・エラそう
・人のせいにする
・すごい攻撃的
・端的に不親切だ
・思い込みが強くて、他人の話を実はちゃんと聞いてない
・妄想と現実の区別があまりついていない
・自分と他人があまり区別できない
・コンパで自分の話ばっかりする
・いくらなんでも利己的すぎる
・いくらなんでも金に汚い
・いくらなんでもサボりすぎる

みたいなことだ。一つ一つを語っていくと話が終わらなくなるので割愛するが、要するに、以上に当てはまるようなやつは、いかなる資格を持っていようとも、食えない可能性が高くなる、という話に過ぎない。そういうヤバさがなければ、バッジがおまえを守ってくれるだろう。

問題は、こういう明らかな地雷を踏まないだけでいいのに、そこに気づかないやつが多すぎることだ。というか、実際にそういう問題を引き起こしてしまうようなやつだという時点で、なんかこの人頭悪そうだなとか思われてしまうので、どれだけすばらしい知識や頭脳があったとしても、それを発揮する機会がなくなってしまう。その不利を認識し、ヤバい地雷は絶対に踏まないようにすればいいだけの話なのだが、自分としっかり向き合っていないと案外そこができない。

ただまあ、ちょっと考えればわかるようなことなので、そこで致命的な弱点を抱え続けるやつは、総まとめすると、あまり頭が良くないのだろうとは思う。

世の中には、こんなコミュ障のおれでも、専門性のおかげで何とかなってます、と言う人もいたりするのだが、だいたいそういう人は会ってみると確かにパリピとかでは全然ないし、なんなら話もはずまなかったりするのだが、悩み事はしっかり聞いてくれるし、人をイラっとさせるところが実は全然ないとか、なんだかんだいって、ヒューマンな部分でのヤバさがあんまりない・・・つまり、地味なだけ・・・といったケースが多い。どちらかと言うと、おれはコミュ力でなんとかなってます、とかいう、うかつでアグレッシブなタイプのほうがヤバい。

結構いろんなところの役員とかやってる会計士に会ったりとかもするのだが、ある人物は、話をしていると、しょうもない問題に限って自信満々で間違ったことを多々言うし、多少面倒なだけの余計なことは言うし、難しい問題には一切コメントしない。さすがに、なんでこいつが?、と思ったりもするのだが、よくよく観察してみると、なんか場を和ませようとしてたりとか、頭が悪そうに見えることも一切気にせずくだらない話をできたりとか、なまじよくわかっていないだけに一般論しか言わないので、かえってまともな人に見えたりとか、間違いを指摘するとすぐ頭を下げたりとか、色々な要素はあるものの、とりあえず致命的な問題を起こしそうな感じがまずない、という、強みも大してないが大きな穴はない、といったタイプだったりとか、そういうことがある。

総じていうと、くだらないところに限って面倒なことを言うのは(無視できる範囲だから)さておき、難しいことがあんまりわからないないので、難しいことを言わないだけなのだが、結果的にそれが「本当に人を困らせるようなことを言わないやつ」という風に受け入れられているように見える。本人に言うと怒るだろうが、確かによくよく考えてみると、しゃべる置物としては、相当優秀なのだ。

このように、本人の意図とは無関係に、他人にウケるポイントというのは、意外なところにある。ちょっとネガティブな要素を含む評価は、本人に通知されることが少ないので、相当注意深く人の言うことを聞いていないと気づかないのだが、人はついついメッセージを出してしまうタイプの生き物なので、自分で気づこうと思えば、ある程度察することができる。

まずは、自分の本当の強みが何なのかということについて、自分が思っていることと他人に評価されているポイントは、おれの経験上たいていの場合無関係なので、常に他人の発するメッセージに注意を払い、何が評価されているのかということを考え続けることにリソースを配分する必要がある。

次は、もしかしてこういうことなんじゃないかという仮説が立てられたら、意図的にそういう行動を強化してみるとか、敢えて聞いてみるとかしてみれば、大体あっているかどうか確認できる。

先のケースであれば、例えば役員構成の話になった時にすかさず「いやー、でもやっかいごとを起こす人がいるとチームワークが乱れて会社運営に支障をきたすことが多々ありますからね。その辺私は、面倒なことを言っていることもあるかもしれませんが、総じて、しゃべる置物としては相当優秀であると自負しており。。」などと言ってみたときに、みんなが爆笑して話を終わらせてくれるのであれば、それは正解である。みんなが無言になったら、逆に悪いところとして認識されている。

結局のところ、この話を突き詰めていくと、それは個性の話、つまり、絶対に自分しか持ちえない特徴の問題である。そういう意味では、差別化要因としては、長期的に見ても相当安定感がある。模倣はまず不可能だ。

あとは、それをいかにマネタイズするかというところが難しいといえば難しい。基本的には、長所を認識してのばす、ということに尽きる。短所というのは、年齢にもよるがなかなかなくならないものだし、結局は長所の裏返しなので、あまり気にしないでもいい。ただ、致命的なやつは気をつけるだけで直せるので、デキる限り直したほうが良い。

おれの場合。

まずおれは、自己評価というものはまったくアテにならないと早くから気づいていたので、周りが自分をどう言っているかということは、普段から結構気にかけている。ひどいことを言われるとへこむのが通常であるが、まあ言われた通り直すのがだいたい正解なので、実はあんまり気にする必要はない。

おれも最初は作業員としてキャリアをスタートさせていて、自分の何がウケているかということはさほど気にしていなかった。必要とされているモノがあり、それを納品すれば、一応名目上仕事は終わってキャッシュが振り込まれるからだ。

そうしているうちに、ある時ふと気が付いたのは、おれの作っているものがだいたいものすごく簡単なもので、たぶんおれがやらなくても誰でもできるなあ、ということだった。それともう一つは、仕事でミスをしても案外クビにならないという事実だ。あとは、作業すなわち報酬というルールで仕事をしていると、おれが時給のカベと呼んでいる限界にいつかたどり着くだろうということから、報酬をどう上げていくかということを考え始めていたというところもある。

おれはこれについて相当真剣に検討してみた。その結果から導き出されたっ暫定的な結論は、どうもおれは作業内容を人に売っているのではなさそうだということだ。つまり、最初に述べた、知識を売ってメシを食っているのではどうもないらしいぞ、ということでもある。クライアントにはほかにいくらでも選択肢があるはずだからだ。しかもおれは、結構な遠隔地から出張ベースで仕事をしていたりして、コスト面でみても合理的な選択とは到底言えなかった、ということもある。

そこでおれは、ここ2~3年かけて、慎重にリサーチを行い、どうもこういうことだろうということが徐々にわかってきた。暫定的な結論という言葉を使うのは、人と人との関係性というのは、時間がたてば変わるものだし、かなり複雑なことなので、真理といったタイプのものではないからだ。

人々を勇気づける

ポイントはいくつかあるが、重要なものから言うと、フィードバックとして比較的多いのは、楽しそうに働く、という点だ。おれは、仕事は嫌いではないが大して好きでもないので、これは意外なポイントだった。特に、自分が社交的だとも思っていなかった。

結果的に楽しそうに見えるのはなぜかと言うと、世の中には、ちょっとやそっとでは解決できない問題というのが多々あるが、おれはシンプルに今解決できないものは悩まない、というスタンスをとっている。意味がないからだ。悩んで解決できるならとっくにそうしている。客の相談に対しても、この問題は今のリソースでは解決できません、致命的でないので放置しましょう(致命的なのでもうあきらめましょう)、などとはっきり言うことが多々ある。

そういえば最近、客が、これこれこういうことを放置すると問題になるのじゃないかと心配で、などと相談してきたので「問題になるのは間違いないから心配する必要はない。おれに相談する時点で、問題として自覚があるのだから、さっさとやめるか腹をくくるか2択だ」と言ったことがあったが、結局は笑顔になっていた。よく考えてみなくても、おれはまったくなにも解決していないが、少なくとも心配ではなくなったようだ。

次に、たいていの仕事はやれば終わる。逆に言うと、やっても終わらないものは、結局終わらないのだからやる必要がないかもしれないし、取り敢えず頑張ったふりだけしとけばいいのかも知れない。あんまり、仕事の難易度とかボリュームとかは気にしても仕方がない。だいたいのことは、なんかそういうことで憂鬱になったりしている暇があれば、さっさと終わらせたほうがいい。

これも、終わらなかったらどうしましょうとか余計なことを言い出すやつが世の中にはいるので「結果的に終わらなかったら会社がつぶれたりするかもしれませんが、ある意味そういう会社は滅んで当然で、いずれ滅びますので、早めに転職とか出来て人生にとっては良かったとも言えます。つまり知ったことではないので、気にせずとりあえず仕事をしましょう」などとアドバイスしたことがある。ちなみに、意外と早く終わった。

あと、ミスをあまり気にしない。ミスにはたまにヤバいのもあるが、起こってしまったことはなかったことにはならないので、そこを悩んでも仕方がない。よくある勘違いは、ミスの結果起こった不都合をリカバリーする作業は必要であるし、そこを怠るとそもそも許してもらえないのだが、それはミスをなかったことにすることではないということだ。

ミスはミスであり決して遡ってなくなったりはしない。ただ、謝ったり、リカバリーしたりすると、いちおう許してもらえることが多い、というだけであって、ミスがなかったことにはならない。そこを取り違えて、ミスをなかったことにするために、相当なエネルギーを使う人がいるが、無駄だと思う。まあ、再発しないために反省とかはしたほうがいいし、見せ方としてそれが必要になる場面もあるにはある。

要するに、ミスのリカバリーとかも含めて、結局のところ、仕事は目の前にある作業を進めることでしかないので、なんか憂鬱になったりする必要があまり感じられない、というのがおれの考えなのだが、わからないもので、そういう姿勢が、ポジティブでいい、と評価されることがある。よくおれは負のオーラという言い方をするが、職場に悲壮感を漂わせているやつがいるのは、あんまり気持ちのいい事ではない。またそういうムードというのは伝染するので、全体のモチベーションが下がったりと実際あまりいいことが無い。

というわけで、おれのリサーチの結果、おれが客からお金をもらえる理由の一つに、あんまりそういうところがなく、どちらかというと勇気づけられるから、というのがどうやらあるらしいことがわかった。しかし、実のところ、その間おれがずっと考えていたことは、いかにさっさと仕事を片付けて帰るか、ということだけだったのだ。わからないものである。

会議を会議らしくする

おれの仕事七不思議(実際は7個もない)のひとつに、やたらと無意味に会議に呼ばれる、というものがある。知ってのとおり、世の中の会議の99%は無駄である。おれもそれは重々承知しているので、基本的に会議に出ろといわれるといやな顔をしているのだが、お構いなしに呼ばれる。

出席するとだいたい何を話しているのかよくわからないことになっているので、たまに口をはさんだりしてしまうのだが、これがどういうわけか高評価ポイントになっているらしいというのが最近明らかになった。

どういうことかと言うと、参加者の大多数は、目的と話し合うべきポイントがよくわからず、取り敢えず言いたいだけのこととか、自分の心配事とかを話し始めるので、「いまこの問題を話してたんじゃなかったでしたっけ?」「つまり、こういう意見ですね?となると結論はこうなりますが、それでよかったんでしたっけ?」とか言っていると、多少話が前に進んだような雰囲気が生まれるらしい。ちなみに、議題の多くは会計とは関係ない話題だ。

おれもまさかこんなところが人に評価されるとは思っていなかったが、現実にそういったことが起こるのだから受け入れざるを得ない。

つまりあまり大したことではなかった

改めて文字にしてみると、そんなに大したことではない。どちらかというと仕事の本スジに関わる部分というよりは、フレーバー部分のほうが、顧客にとっては大事だったということなのだろう。もちろん、おれに合わなさそうな客は誰も紹介しないだろうから、そもそもおれの個性ではリーチできないマーケットの領域もたくさんあるだろうと思う。

ただまあ、生活を成り立たせる程度に商売ができれば問題ないという考え方から行くと、おれが手掛けるような必ずしも高いスキルが必要とされない仕事は、わりとその辺にいっぱいあるものなので、生きていく上では、特段万人ウケを狙っていく必要もないし、シェア拡大のために無理な努力をする必要もあまりない。その辺は仕事観というか趣味の問題だろう。

先に言っておけば良かったかもしれないが、おれは貧乏性であまり生活水準を高くしたくないタイプなので、どちらかというとビジネスは稼ぐ金額の多寡よりも、こじんまりといい感じにまとめていきたいと思う派だ。そういう考えだと、やはりどうやって自分にあった仕事を見つけていくか、ということが重要になってくる。

個性を磨き理解してもらうこと(おれの場合

先にも述べた通り、これは結局のところ個性を活かせるところにうまくはまれるかどうかにかかっている。ただこれは狙って効果を発揮するのが難しいジャンルでもある。というか、一見どうすれば金になるのかがわからない。実はおれもあんまりわからない。

個性というのは誰にでもあり、クライアントも、それぞれ個性を持った人の集まりで、その力を同じ方向に向けることでビジネスがなりたっている。必要でない個性というのも、ひどい短所はまた別だが、存在しない。だから、自分の個性のポジティブな面が表に出るようにふるまうことができれば、たぶんいろんなフィールドで力を発揮することができる。

個性を磨くというと、抽象的でよくわからないことになるが、まず、外からやってきた専門家というものは、クライアントにとって基本的に個性的な存在であるので、さほどハードルは高くない。あとは、人によって全然やり方が違ってくるだろうから、おまえにアドバイスできることはそれほどない。おれのやり方を書いておくにとどめよう。

1.仕事ばっかりしない。

仕事ばっかりしているつまらないやつ。というのは、実際仕事人間に会ってみると、当てはまらないケースが多いのだが、とはいえ一般論であり、それなりに重視すべきだとおれは考えている。

なぜそうなるかと言うと、仕事の中身とか会社の文化にもよるが、だいたいの仕事は避けられないルーチン部分が必ず存在し、なんかパターン化していく傾向にある。また、仕事というか会社で出会う人間、つるむ人間も固定化する傾向がある。

人間は、というか生き物全般そんな気がするが、基本的に省エネを目指すように設計されている。よって、あまり刺激を増やしたくないと考える生き物なので、パターンの中にずっといると居心地がよくなってしまい、なんか自分と違う考え方とか価値観とかを受け入れないようになっていく。

いつ会っても、同じようなことをしていて、同じような話をする人間と会ってもあんまりおもしろいことは無いので、すぐに飽きられてしまう。これは仕事にあまりに多くの時間を使う生活をしている場合に起こりやすい。

エンタメ系の産業に従事している人と話すと、これはとても大切だと考えられていることで、世間でどういうものが流行っているかとか、時代の感覚的なものはどういうものか、というところに敏感でないと、新鮮で面白い作品を世に出すことは難しい、というのが定説である。

雑多な知識とか、最新のエンタメ作品の知識が直ちにカネになることは会計士ではあまりないのだが、付き合っていて面白い人間かどうかということはおまえが顧問とかアドバイザーとして認められるかどうか、という局面ではわりと重要なことである。

別になんでも知ってないといけないということはないのだが、何を聞いてもそれなりに考えがあったりすると、会計のことに限らず色んな相談をされるようになる。コミュニケーションに多くの時間や手間暇をかけると、次第に人となりというものが相手に伝わってくるので、それでもともと自分に備わっている魅力みたいなものをよく理解してもらえるようにもなるだろう。

テレビとかネットではやっているモノとか話題とか、そういうものは一通り押さえるように生活の中に取り入れたほうが良い。これは職場から帰ってすぐに寝るような生活をしていると難しい。

会社勤めの人は、やはり基本的に社内の人間と接する機会が多くなってしまうので、似たような価値観を持ち、似たようなポイントでつまずくことが多い。その点、おれはよそから来た人なので、そもそも新鮮味があるし、何の新鮮味もないのであれば、わざわざ外から人を呼ぶ必要はない。そういう点からも、クライアントにないものを持っているというのはすごく重要なことなので、幅広く色んなものに接して感性を磨いておくことは、おれの仕事では極めて重要な要素だと考えている。

2.たくさんの人と会って話す

昨今、個々人で知ることができる情報をはるかに超える量の情報が世の中に流通しており、どうしてもリーチできる範囲には限界がある。時間的なこともさることながら、普通に過ごしていると人間は自分の好きなものしかみなくなってくるので、自分だけでは絶対にたどり着かない情報が必ず存在する。特に、ニュース系キュレーションメディアとかは、知らないうちに情報が偏っていることがあるので気をつけたほうが良い。なんか面白い話を仕入れようと思った場合に、人と会って話をするというのは時間的にも意外と効率がいいし、ランダム性も取り入れることができるので情報源として優れている。

また、自分が最近考えていることとかを話して、どういうレスポンスがあるのかを検証するのも役に立つ。自分が思いついたアイデアが、どの程度世の中に通用するのかを試すのに、自分と近しい人間から始めて、だんだん色んな人に話をしていくのはよい検証方法だとおれは思っている。おれがnoteにまとめているアイデアのいくつかは、多くの会計人との対話の中で煮詰めてきたものだ。

あとはまあ、上を見ればきりがないのだが、世の中にはどうも話が下手な人が一定数存在する。たぶん、問題意識がないからそうなっているのだと思うが、仮に自分は話下手だとおもうふしがあるのであれば、たくさんの人と話をして、話し方のトレーニングをしたほうが良い。どれだけすばらしい内面があったりアイデアがあったりしても、話し方がまずいと全く伝わらない。

主に顧問みたいなことをしてメシを食っている人は、いろんなタイプの人がいるが、トークのスキルについては、みな人並み以上、というか、少なくとも何が言いたいのかわからないといったタイプはほぼ見かけない。トークを向上させるのは、まず問題意識を持つことが重要で、次によいトークをたくさん聞くこと、最後に沢山話をしてフィードバックを検証することである。おれは少なくとも自分のトークについては満足していないし、一生かけて磨き上げ続ける必要があると考えている。

3.コミュニケーションを意識する

残念な専門家のパターンとして、なんか自分の思ったことを言う、だけ、というタイプがいる。単に情報伝達ということを考えるのなら、別にそれでいいといえばいいのだが、おれが考えるコミュニケーションは、情報伝達の相互作用の中から新しい答えを見つけたりといったことだ。

コミュニケーションには様々な形があるが、いずれせよオープンに相互作用の中から良いものを探し出す、という姿勢が欠かせないとおれは考えている。自分の考えを述べるのは、必ずしもそれが正解でその通りやってほしいからではなく、自分の考えを知ってもらったうえで、違う考えがあればそれを出してもらう必要があるし、なにか気づきを得て欲しいとか、そういったスタンスで行うことが望ましいとおれは思う。

人と接すると人は多かれ少なかれ必ず影響を受けるので、たとえ却下されたとしても、何か考えを述べることには意味がある。また、議論というのをたまに間違えている人がいるが、相手の意見に賛成であれば賛成であると表明することも結構重要だ。なにかしら反対したり、よりすごいことを言ったりとか、そういうことは別に必要ではない。

その時々の論点に対する答えよりも、長い目で見て、クライアントなどが良い方向へ向かっていくことのほうが重要なので、言葉を発する時は、人にどのような影響を与えたいかということを考えて話す必要がある。1回では聞き入れられなくても、2回、3回と手をかえ品をかえメッセージを発し続けると、目に見えなくても徐々に影響が及んでくる。

何を考えているのかわからない人、というのは、意図的に真意を隠す必要がある場面を除けば、基本的には人間関係を構築しずらく、ビジネスでは不利なことが多いので、考えは知ってもらったほうが良い。このテキストが軽く1万字を超えていることでもわかる通り、考えを全部説明するのは結構時間も手間もかかることなので、結局は、コミュニケーションにコストをかけ続けるしかない。

4.よく知ってもらう

持っている商材が同じであれば、人は、良く知ってるやつからそれを買いたいと思うので、自分をよく知ってもらうことが重要なのは言うまでもない。

世の中には、コピー機とかマイラインとか、正直なにを買っても大して変わらないものが沢山ある。そういうものをコモディティということがあるが、コモディティセールスにもやはり出来不出来というものが実際ある。

こういうものは、なにを買うかよりも、誰から買うか、ということのほうが、顧客にとってはずっと大切なことなのだ。おれは会計の仕事も、仕事の中身だけを言えば、ややコモディティめいたところがあると思っている。なぜなら、正解を知りたければ、基準とかを読めばいいからだ。

また、会計という商材は、無形の情報であるという特徴を持った商品でもある。およそ世の中の情報商材の99%はありきたりなことを言っているだけで、はたから見るとこれと言って価値のないものであることは、一般的によく知られていることだと思うが、ポイントは、それでもお金を払うやつがいるということで、それは侮ってはいけないところだ。

つまり、情報は誰が言ったかによって、とても価値が変わりやすい商材だ、ということをよく理解しておく必要がある。おれやおまえの発言に対して報酬が発生するのは、おれやおまえが言うから、であって、言った内容に直接値段がついているわけではない(グーグルとかに書いていることをそのまま言ってる場合も多い)ことが多々ある。それがつまり、おまえ自身に値段がついている状態だ。

そこを目指そうと思った場合、おまえが他の人と違う何かなんだ、と認識させる必要がある。まあ・・・言うまでもなく、おまえはもともと他の人とは違う人間なんだが、会計士とか下手にタイトルがついてしまうと、人間は、おまえがそういうカテゴリーのワンノブゼムだと思ってしまうようなところがある。それはコミュニケーションにより打破しないといけない。

あと、コミュニケーションを通じて、相手の価値観に影響を与えることによって、おまえの持っているものが、何かしらすばらしい商品だと思わせることも可能だが、やりすぎるとウソになるから、そこは気をつけよう。

結局は何なのか。

おれが思った以上に長々と話が続き、もはやおれ自身にも何が言いたかったのかわからないような感じになってきているのでそろそろ終わりにしたい。

要するに、人間的な魅力につながるような長所を磨き、非人間的な短所をなくすことと、人対人の関係を意識するようにし、良好な関係を作るとともに、影響力を行使してクライアントにとって良い方向に向かうように誘導することがおれが最近重要だと思っていることだ。

おまえが得意なことが何なのかはおれにはわからないが、取り敢えず、多くの場面でヤバいと認識されるような行動はとらないほうが良い。それさえクリアしてしまえば、あとは他人から見た場合の自分の優れているところを認識し、それを伸ばしていけばいい。

それさえできれば、会計士には基本的に、そうはいっても一般人と比べると圧倒的な会計とかに関する知識があるので、商売で困ることはあまりない。ただ、おれは、あんまり必要とされないようなマニアックな知識を磨くことよりも、ベーシックな知識をたくさんの人に売れるような方向で努力をしたほうが良いのじゃないか、ということは思っている。

会計士のコアスキルは何と言っても会計に関する事なので、それは軽視してはいけないのだが、そこを持っている奴は世間に沢山いるので、他に、自分が他人に評価される能力を見つけて磨いていくこと、なによりも、おまえがちょっと他人とは違う個性を持っていると理解してもらうこと、それが商売をしていく上では重要なことだと思う。

そう言ったようなことを言いたかった。たぶん。

2023/10/12:一部読みやすくリライト


誠にありがたいことに、最近サポートを頂けるケースが稀にあります。メリットは特にないのですが、しいて言えばお返事は返すようにしております。