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節目について考えた

どーも。にーたです。

今日は「節目」について書きたいと思います。

先日、僕の仕事場である節目になる事がありました。

簡単に言いますと、若い子たちが日本一をかけて競い合うもので、これは年に1回しかないものなのです。この1回のために、1年間その日の為に汗水流して努力し、試行錯誤を繰り返し、磨いたスキルを競い合う。というものです。

その大会が先日終わったのです。

その戦いを終えた子たちと会話する機会がありましたが、やり切った子、後悔が残っている子、様々な様子が伺えました。

そういった”節目”を感じたので、書いてみようと思いました。

節目といえば、やはり年末年始が思い浮かぶと思います。

その年末年始の節目では、”初詣”が皆さんの節目の代表になるのかなと思います。

その節目というものに、少し違和感のようなモノを感じました。

それは何かというと、最初に述べた戦いを終えた時とか、スポーツでもなんでも、試合の後には、対戦相手や応援してくれた人、教えてくれた指導者の方々に、”ありがとう”と何らかの感謝を伝えるということは、ごく自然な流れのように感じます。

武道の世界でも、”礼に始まり礼で終わる”という言葉があるように。

そんな日本の心のようなものがあるのにも関わらず、なぜ初詣はするのに終詣のようなものはしないのか?ということです。

終詣は僕が勝手に作りました。笑
もし、そういうものがあったら、この話は元も子もない・・・。笑
どうか、ありませんように。笑

年の初まりに、「今年は〇〇な年でありますように」みたいに、神様?にお願い事ような事をするのに、その年の感謝や報告はないんですよね。笑

そういった所に、ほんの少し違和感を感じていました。

だから、初詣も大事だけど、終詣も同じぐらい大切にたいなと思ったのです。

最初と最後があって、初めて”節目”というものが成り立つ、または意味があるのかな?とぼんやりと考えていました。

皆さんはどうでしょうか?☺️

僕は、今年から2020年の終詣を実践しようと思います。

神頼みは決して悪いことと思っている人間ではありませんが、人として「お願いする」「報告する」「感謝する」という事はしないといけない事だと僕自身思うので⭐️

そういう気持ちが、周りの人間関係にもきっと繋がる事だと僕は信じています。

皆さんも、よかったら試してみましょう✌️

それではまた⭐️

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