チーム内のなぜを考える 1

 初回からここまで読んでいただけるとは思っていなかったためとても嬉しく思います。ありがとうございます。

 今回は大学において監督やコーチ陣と選手の考え方のずれがなぜあるのかについて考えてみたいと思う。まず、コーチ陣と選手とでは時間の長さに差があり、選手に関しては4年間で競技生活が終わってしまう。その時間で大きく考え方が変わってくるのだと感じる。

 選手としては長くて4年短くて1シーズンで目標やプランを立てて行動するだろう。4年が経ちその後チームのコーチになることまで入学時から考えていれば5年以上関わることができるが、多くの選手は4年でそのチームから離れることになる。そのため選手としては自分がプレーできる限りの期間で物事を自然と考える。私も入学当初は1シーズンごとにどうすれば活躍できるかとしか考えていなかった。

 しかし、監督やコーチ陣としてはその後のチームのスタイル確立、継続や実績を重ねて上へと上がっていくためには、たった4年では物事は考えられない。コーチ陣にはそれ以上の長さで目標を立てることができる。そのため、10年やそれ以上の時間をかけてチームを強くしたいと思うだろう。私が10年という時間をかけてトップまで上がると聞いた時、最初は10年後には自分は関わっていない、自分たちが在籍する間の目標ならイメージが湧く、などと思った。

 このように成長するイメージの時間に差が生じることによって選手と監督との考え方にずれが起こってしまうと考える。しかし、選手の意識レベルが高いほど質の高い習慣があり、自然と長い期間での成長や実績のために行動できているためコーチ陣との考え方に近くなる。また選手自身が自らをコントロールし、他人を成長させる要因を持っている。

 今になってなぜそのような表現をしたかと考えた時、10年後のイメージはできないが、10年後トップになった選手たちが行なっている習慣をどれだけ自分たちが作るか、後世に繋げて成長させる要因をどれだけ残せるのかという答えに至った。そのためこれを踏まえた質の高い習慣を選手が身につけ、またそれを10年後に残さなければならない。

 推測ではあるがこのように監督やコーチ陣の意図を捉え行動に起こす力が選手としては必要であると考える。また、人間力の成長にも繋がる。そして、選手と監督との考え方、ビジョンを繋げるための存在も必要となってくる。

 次回はなぜ主将、副将という役割が存在しどのような人間でなければならないのかを考えていきたいと思います。

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