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推しの結婚と センシティブに苦しむアラサー

センシティブ、という言葉をここ数年でよく見るようになった。昔からよく使われていた言葉なのか、横文字好きな現代社会に浸透してきた言葉なのか、はたまたそんなことは関係なく自分自身の心境による変化で「ただ目にとまる」ようになったのか。それはわからないけれど。どうでもいいけれど。

アラサーというフェーズに移り、何かと「センシティブ」なイベントって増えた。他人に話していいのかわからない内容や、相談しにくいことが増えた。

学生時代や社会人なりたての頃なんかはみんなそれぞれ恋愛のことを赤裸々に語っては爆笑して、失恋や失敗も女子会のネタとなって。なんでも話せた。芸能人の不倫のニュースを見ては「ありえない、奥さん(旦那さん)可哀想」と心底嫌悪感を抱いて。嘘か本当かなんて割とどうでもよくて、その場にある情報だけが全てで。


私がいま何故これを書いているか。久しぶりにnoteに気持ちをぶつけているか。きっと誰にもわからない。結婚式の記事もいつからか途絶え。体調の記録もなく。センシティブという令和っぽい言葉から始まり、なんだなんだと。

ここから私にとっての相当センシティブな内容を綴るから、物好きな方はどうぞ、コーヒーでも用意してお読みください。




私の推しが、唯一の推しが、結婚したんです。

そう、生田斗真さん。ずっとずっと大好きでした。


小学校高学年になるとジャニーズにハマる友人が増えた。当時は嵐やKAT-TUN、関ジャニ∞やNEWSなど現代も有名なグループが続々とデビューをしていた。

『ごくせん』の放送時は「亀梨派か赤西派か」が話題になった。なぜか私のクラスは亀梨派がかなり優勢で、赤西派だと「は?」と冷酷な目を向けられた。そんな流れもあり、私は亀梨派と言っていたけど全然どうでもいいし、ふたりとも特に好きだと思えなかった。

テレビの音楽番組やバラエティ番組を見ながら、母に「あみは芸能人で好きな人いないの?」と聞かれたときも「いない。みんなはハマってるけど、どこがかっこいいのかわからない。」

当時よく聞いていたORANGERANGEのHIROKIの声が好きだったくらいで。ジャニーズや男性俳優には一切興味なし。

しかし中学2年生のとき、私の中で衝撃が起きた。こんなにかっこいいと思えた人は初めてだった。映像や写真を見るだけで「おおおおお!」と興奮して、きゅんきゅんときめいて苦しくて。そんなの初めてだった。

『花ざかりの君たちへ イケメン♂ パラダイス〜』

このドラマ、覚えているひともきっと多いと思う。本当に本当に、イケメンパラダイスだよね。豪華すぎたよね。

中津秀一役の生田斗真さんに私はどハマりした。これか。みんなこういう気持ちだったのか。わかる。今ならわかる。雑誌の切り抜きを集めたり、出演番組を全部録画したり、携帯の待ち受けにしたり。やっとみんなの仲間入りをした気分だった。

しかし彼はジャニーズのなかでも異端児。グループには属さない。だから歌ったり踊っている姿はなかなか貴重。年末のジャニーズカウントダウンライブで年男で少し見れるくらいで。

でも例のドラマで株が急上昇したのか、その後も彼が出演するドラマは多くあった。毎回毎回画面に食い入るように見た。家族も驚きのハマり具合。

高校生のとき、授業がつまらなくてつまらなくて、どうにか集中して楽しめる方法はないかと考えた結果行き着いたのが「もしも生田斗真が○○担当の教師だったら」妄想。数学担当だったら白シャツにグレーのニットからちらっと見えるゆるいネクタイ。それからメガネ。化学担当だったら白衣。後頭部にやや寝癖がある。

友人も引くほどの妄想ゲームのおかげで私は授業を楽しむことができた。


あれから気づけば14年。私はいまも彼が好きだ。

こうして大人になる過程で、かっこいいなと思う男性は何人かいた。

・福士蒼汰さん(映画『ストロボ・エッジ』の壁ドンが最高)

・志尊淳さん

・成宮寛貴さん

・松坂桃李さん

・坂口健太郎さん

・江良拓哉さん(DRUM TAO)

・麓大輔さん(DRUM TAO)

・清原翔さん(最近のお気に入り)

うん、みんなかっこいい。

あみはイケメン好きと友人から言われることも多い。


でも、それでも。私のなかの1番はずっと彼で。このひとを超えるイケメンはいなかった。『源氏物語』や『人間失格』は女優さんとの絡みシーンが多いから、未だに苦しくて見れないほどには好きだ。

そんな彼の名をTwitterのトレンドで久しぶりに見た。まさかの結婚。お相手は私も大好きだったドラマ『ウロボロス』で共演していた女優さん。今まで交際報道もあったけれど。

突然のことに衝撃は隠せず、気持ちの整理ができなくて。おめでとうって、よかった、って心の底からお祝いしたいのに、そう思えないのがまた苦しくて。私だって大好きな人と結婚している。彼もまたそんな幸せを掴んだだけ。それなのに、辛い。誰のものにもなってほしくなかった。わがままだ。本当に自分勝手な考えだ。雲の上の存在である彼もひとりの人間であり、幸せになるべきひとなのに。


おわかりいただけただろうか。気持ちの整理ができず、こうしてここにアウトプットをしているのです。ほぼ日手帳に収まる気がしなくてここに一気に言葉を放出しているのです。

おかげさまで少しスッキリしました。

私も彼も既婚という新たなフェーズに入ったのです。いやそもそも共通点は「今を生きている人間」ということくらいで、彼との接点は一切なく、ただただ私が一方的に好きで好きで、こうして同じフェーズにいるだのなんだの主張するのも厚かましくておかしいことなど理解している。理解はしている。わかっているからいじめないでー。これ以上わたしに現実を突きつけないでー。

しばらくニュースもSNSのトレンドも見ません。デジタル断食の時期がやってまいりました。あつ森生活により一層力をいれるときが来たのです。

以上、わたしの感情爆発記事でした。


といっても、ここまで読んでくださった方が万が一いらっしゃったときのために、センシティブに関する内容をもうひとつ記録する。


何かと「センシティブ」なイベントって増えた。と記事の頭で先述した。

どんなイベントかって。

結婚や出産など、ライフイベントの存在が大きい。私の中では。

プロポーズや結婚式のこと、婚姻届や指輪の写真も、誰かにとってはセンシティブな内容だったかもしれない。だからそんな私の自己満記録で心をきゅっと苦しめてしまった方がいたら、ごめんなさいと思う。


いまの私にとって、センシティブな内容が妊娠だ。妊娠、妊活、ベビ待ち、予定日、検査薬、仲良し、、そんな言葉が本当に本当にだめ。ミュートしても不意打ちに現れるエコー写真や安産祈願のお守り。

うっっとなる。心臓をヒュッて掴まれるというか、喉元をグッと押されるというか。ダメージが大きい。

そして誰かに話したり、相談もしにくい。

結婚して1年、同世代の友人は続々と母親になっていく。

私もそろそろ子供を授かりたい。

でも、私は他の子たちとは少し状況が違う。

双極性障害だ。精神科に通院して服薬もしている。

以前質問箱に「躁鬱は遺伝します。障害書を産むつもりですか?」なんて言葉が届いたこともある。可能性は100%ではないし、健常者だろうとそれは同じだ。

でも、でも万が一そうなってしまったら。

私のせいで苦しむひとがきっと多い。「大好きな人との赤ちゃんがほしい」という願いは、自分勝手な思いになってしまうかもしれない。産まれた子供にいつか悲しい思いをさせてしまうかもしれない。考えれば考えるほど恐ろしくて怖くなる。考えたって仕方ないことだとも思っているのに。

双極を患っていても立派に子供を育てている人を何人も見ている。それはすごく自分の中で希望になっている。私も、母親になることを夢見てもいいのかなって思える。

と同時に親族に自閉症の子をもつ母親もいる。小さな頃から癇癪や少し変わった行動を私も何度も目にしている。

様々なことを思う日々でも、友人や芸能人の妊娠出産報告も続々と流れてくる。本屋さんでたまごクラブなどの雑誌が目に入る。仕事中も「デカフェ変更」にカスタマイズするお客様がいると、ついバッグについた妊婦マークを見てしまう。そうして胸がぎゅっと苦しくなる。いつまで続くんだろう、この苦しみは。この小さなストレスは少しずつ少しずつじわじわと心の底に積もっていって、結構ずっしりとたまってきた。

センシティブ。小さい頃から感受性豊かで神経質な性格もあるから、余計に囚われやすいんだと思う。これまた最近の言葉で表すならば、HSP気質というのだろうか。人の目を過度に気にしてしまう。些細なことでもずっと忘れらず、心にもやもやが残る。

どうやったら自分を認めてあげられるだろう。受け入れることができるだろう。しっかりと勇気を固めることができるだろう。自分ひとりの問題ではなく、夫とも話し合うべきことであることはわかっている。その勇気もなかなか持てない。

ひとりで過敏になって抱え込み、時間が経つ。28歳。もう28歳。子供を授かるのならば、身体への負担も考えて若ければ若いほどいい。過度に焦らずとも、早めに計画は立てた方がきっといい。障害云々の前に不妊体質である可能性だってもちろんある。逃げてばかりじゃいられない。大事なライフイベント。


「子供はいいよ〜。二人目はあみの子供と同級生になれるといいな〜」

「私も母親になるなんて不安しかなかったけど、なんとかなるもんだよ!」

友人たちの言葉を素直に聞けない自分も嫌だ。

「健常者に何がわかるの?」

それぞれ言葉にしないだけで、きっと不安はあったり、過去にうつや流産の経験もあったり、苦しい思いをしてきたかもしれない。それでも。それでも。断薬に苦しむことはないでしょって。「薬飲めないから風邪ひけないわー」とか、そんなレベルの話じゃないの私。毎日毎日服薬してやっと健常者に近い生活をできて、それでもだめになる日なんてたくさんあって、そんな薬を抜いて子供を授かって育てるなんて。相当パワーと覚悟を身につけないといけない。


書けば書くほど、心に溜まっていた膿がどんどん出てくる。自分でも驚くほど出てくる。それでもまだまだ残っているモヤモヤとした感情。出来事。言葉。

センシティブ。

いいのか悪いのか。どう考えようと何しようと正解もないけどさ。


一度、もっと真剣に本気で自分自身と向き合ってみようと思う。

時間はどんどん過ぎていくから。



そうして時間が過ぎた頃には、斗真さまの幸せを喜べる自分にも出会えますように。

おめでとう。今はこれが精一杯だ。

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