_プルーフ_竹宮ゆゆこ_砕け散るところを見せてあげる_

タイトルをめぐる冒険/『砕け散るところを見せてあげる』

竹宮ゆゆこ『砕け散るところを見せてあげる』の映画化が発表されました。

ベルリン国際映画祭へのノミネートなど、海外映画祭で高い評価を受けるSABU監督の作品とあって、本作はまさに「衝撃作」。
竹宮さんと一緒に撮影見学と伺ったのは、ちょうどクライマックスのシーンの撮影日だったのですが、中川大志さん、石井杏奈さんの切実で緊迫した演技、そして監督が放つオーラに圧倒されました。

竹宮さんが監督を見て「あれは、侍だ……」と話されていたのが、とても印象的です。

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この「侍」発言が端的に表しているのですが笑、担当編集から見て、竹宮ゆゆこさんという作家は「直感で答えを得る方」だと思います。
たとえるなら、途中の道筋や論理を超えて、びゅーんと一足で「答え」に辿り着いてしまう。そんなイメージです。
作品を読んでいただいた方には、なんとなく、この感覚が伝わるかな、と思うのですが、そうした竹宮さんの気質を最もよく表しているのがタイトル、それも正確には「原題」なのだ、と僕は感じています。

具体的に、僕が担当した作品のタイトルは、、、

『知らない映画のサントラを聴く』
『砕け散るところを見せてあげる』
『おまえのすべてが燃え上がる』
『あなたはここで、息ができるの?』

ですが、これが原題となると「答え」感がぐっと強まります。
(この場合の「原題」とは、竹宮さんがプロット段階で作品に付されていた仮タイトルを指します。)

砕け散るところを見せてあげる=「骨」
おまえのすべてが燃え上がる=「透明人間」
あたなはここで、息ができるの?=「時間」

それこそ、読まれた方は「あーー、なるほど!」と思われるのではないかな、と思います。(他ならぬ僕自身、作品をすべて知ってから原題を眺めると、「あーーー!」という気持ちになります笑。)
つまり、竹宮さんという書き手は、プロット段階において、描くべき「核心」を既に掴み取っていて、仮タイトルにある本質に迫っていくのが「書く」という行為なのかな、と僕は(勝手に汗)想像しています。

こうした竹宮さんのイメージ=「答え」と、最終的な「タイトル」の距離感の中で、もっとも時間を使い、議論を重ねたのが『砕け散るところを見せたげる』という作品でした。

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『砕け散るところを見せてあげる』には「骨」に加えてもう一つ、原題と呼べるものがありました。

ここからは君の話

これは本作の「プロローグ」「本編」「エピローグ」の関係性を踏まえると、誰が誰に伝えたい言葉なのかは、明白です。(完全なネタバレになってしまうので、抽象的な言い回しになり、すみません汗。)
実際、初稿段階では作中にこの台詞がありました。

ただ、当時、竹宮さんともお話ししていたのは、『砕け散るところを見せてあげる』は、あの時点の竹宮作品の「総決算にしよう」ということでした。
総決算とは、ライトノベルで竹宮さんが描かれたきた「恋愛」や「ユーモア」の魅力はそのままに、「構造」や「描くテーマ」において、もう一段、大きな挑戦を、という意図です。
それを考えたとき、タイトルについても「勝負作」であることが伝わるものにしたい、と感じていて、議論は白熱し、タイトル決めは難航しました。

そんな中で、次のタイトル案として竹宮さんから出てきたのが「骨の私の血と肉は億千万の流れる銀河」でした。

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「これで決まりかもしれない」
案を見たときの、僕の第一印象です。
正直なところ、一見して意味はわからない(笑)のですが、構えの大きさや作品の意匠を表すものとして「ぴったり」と思ったのは、間違いありません。(竹宮さんも、このタイトル案を発表された際は、全身で「ドヤァ」オーラを出されていました笑。)

しかし、です。
やっぱり「わからないのではないか」という話になりました。竹宮さんは作品を生み出し、僕はそれを読んでいますので、お互いにとって「ぴったり」のタイトルであっても、一歩引いて見たとき、自己満足になっていないか、と。
『砕け散るところを見せてあげる』においては、ここが大きな分かれ道で、過程では「天国」であったり「絶景」であったり、様々なタイトル案が出て、その先で「決まったか!?」というところまで行き着いて、それでも「否」と踏ん張って、タイトルを生み出された竹宮さんの「覚悟」が、やがて映画化にも繋がっていったのだと、僕は感じています。


ちなみに、新潮社の竹宮作品のカバーには英字タイトルが付されていますが、これは実際のタイトルよりも竹宮さんの原題を表現するものになっています。
(このために、毎作、外部の翻訳担当さんに案をいくつも作ってもらっています。)

小説を読み終えた後、英字を見ながら作品のことをいろいろ思い返していただくと、新たな発見があるかもしれません。
そうして想像をしたり、考えたりできることが、小説という媒体の面白さであると、僕は考えていて、だからこそ、竹宮さんの生み出される作品が、小説が、大好きで、たくさんの人に読まれてほしい、と強く強く思うのです。

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