アウトプットが先か、インプットが先か。

Twitterでの発信をほとんどしなくなってしばらくが経ちました。
TLを見ることもかなり減りました。
それでも、たまに見る機会はあるのですが、今までほどTLの内容が頭に入ってきてないことに気づきました。

なんでだろう?
と考えていたら、ある説が浮かんできました。

アウトプットする(その世界の当事者になる)ことで、初めてインプットできる。

もちろん見てはいるので、全くインプットができていないわけではありませんが、Twitterで必死に毎日ツイートしてた頃よりインプットの質は格段に落ちました。

noteでの投稿をシェアする以外はほとんどツイートしてませんので、自分がその世界にいるという意識が薄れてしまったのでしょう。

若者が選挙に行かないというものに似ていて、当事者意識が薄いとその世界から出てくる情報に対する関心はかなり薄くなってしまいます。
有名だけど自分はよく知らない芸能人が結婚したという情報と、自分の友達が結婚したという情報では、世間的には前者の方が圧倒的に大きな情報になるのかもしれませんが、個人レベルで見ると後者の方が大きい情報になります。同じTL上にこの二つの情報が流れてきたとして、どちらに目が止まるかと言えば明らかだと思います。

ここまで書いたところで、二晩もこの文章を寝かせてしまいました。
アウトプットがインプットの精度を上げるという話でしたね。

僕は、今までやったことのなかった絵を描いて投稿するということを始めました。"絵を描く"ことに関する情報に関して、今までよりかなり敏感になりましたし、絵を観るときの見方も少し違ってきたような気もします。
instagramを使って絵をアップしているので、instagramのTLも今までより情報の密度が高く感じます。

Twitterとは逆にアウトプットの量が増えた分、インプットの質が上がっているということです。

その世界の当事者になって初めて質の高いインプットが始まるのだとしたら、いろんな質の高い情報を手に入れるにはいろんな世界の当事者にならなければいけないということです。

でも、アウトプットをするためにはインプットも必要なので、結局「鶏と卵」みたいな話になってしまいますが、アウトプットがインプットの質を高めるし、インプットはアウトプットの質を高めていくということです。

インターネットが出てきて、SNSがここまで普及して、インプットもアウトプットもハードルはかなり低くなりました。
つまり、今までだったら何かしらの情報を持っているということ自体が、何かしらの発信をしているということ自体が強みになりましたが、そうではなくなりました。

いかにインプットとアウトプットの質を高めていくか。

これだけ情報に溢れて、いつでも情報に触れられる時代になっても、質の高いものを手にするためには自分の手や足を使って動いていくしかない。
地道が一番の近道だということかもしれません。

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