タカハナ流素敵なもの徒然草
ATTENTION
この記事は筆者が自分の好きなものについて思うがままに綴る現代版徒然草です。
いい感じの言い方をしましたが、要はあらゆる種類の欲望を煮詰めた混沌と地雷原がこの先に広がっています。いいですか、引き返すなら今です。本当に周囲を無差別に無秩序に巻き込んで語ります。面白い物見たさで進んだら後悔する可能性があります。引き返すなら今です。
・18歳未満の人
・タカハナに清い幻想を抱いている人
・明日現実のタカハナを見て引かないと断言できない人
はこんなもの閉じて存在を忘れて楽しい学生生活に興じてください。
そしてこれが一番大事なのですが、
タカハナは本日誕生日です。
誕生日の人間は何してもいいと聞いたので、これが免罪符になると信じて書き殴っています。
この先何が待っていても、どうか許してください。許せない人は私を唆した某先輩を責めてください。
はじめに
さて、選民できたと信じてまずはご挨拶から。
みなさんよい人生をお過ごしでしょうか、テクノ部DTM班所属のタカハナと申します。
本日は12月2日ということで、テクノ部アドベントカレンダー2024の2番手を任せていただきました。トップバッターのぴっさんの愛と受難の話の後にこんな記事を書いていいのか甚だ疑問なのですが、今回はテーマ「徒然草」としまして、好きなものについて清濁混ぜて語っていこうと思います。
好きなものと言ったってどうせ初音ミクだろうと思われる方もいるかもしれませんが、本記事では本当に何も包み隠していません。ボカロや創作物だけでなく、三次元についても(ここで初音ミクが二次元かどうか言及するのは泥沼なので避けます)日々感じた「好き」を語ります。寛容なお心で読んでいただけると幸いです。
目次
1 ジャブ(初音ミクと愉快な仲間たち)
ボカロっていいですよね。
この「ボカロ」は広義ボカロを指し、初音ミクらVOCALOIDだけでなくUTAUやSV、CeVIO、またそれを用いた合成音声歌唱楽曲などを本記事ではすべてボカロと称しています。まあこんな長い前置きはどうでもよくって、ボカロっていいんですよ。
ボカロの真の魅力はその自由性と創作性にあると私は考えます。
歌えない人間でも曲を作れる。理想の歌い方をさせることができる。
ボカロ楽曲を聞いているとき、私たちは作曲者の手のひらの上なわけです。ぞくっとした息の吸い方や語尾の震え方、人間には在りえないピッチの変化、そういうもの全部が作曲者が意図して仕組んだトラップであり、一人の人間の発想と時間と神経が詰まっている。曲に合わせて調声したその長い長い試行錯誤の結果を、画面をタップするだけで聞くことができる。
ボカロに絞って話していますが、これは現代における音楽、コンテンツ全般に言えます。
贅沢な時代に生まれたものです。
少し話が逸れましたが、まあつまるところボカロ楽曲の強さはその箱庭感にあると思うのです。一人のシンガーが、数えきれない程の大勢の人間たちの「声」として、彼ら彼女らの中にある世界を代弁するその文化を、私は心底美しいと思っています。
と、ここまでは主にボカロ楽曲の話をそこそこ真面目に語ったので、ちょっと俗っぽい話に移ろうと思います。
みなさん初音ミクってご存知ですか。初音ミクってかわいいですよね。初音ミクってかわいいんですよ。
青緑のツインテール、大きな目、特徴的なヘッドセットに長いネクタイに素敵絶対領域。初音ミクのデザインは非常に人々の心を掴むものがあります。奇抜でありながらシンプルで、未来感を感じながらもレトロ調。あのビジュアルは唯一無二です。
しかし初音ミクが創作、特にイラストなどの界隈において絶対的な知名度を誇っているのは、その公式ビジュアルの力だけによるものではありません。もちろん彼女のあの完璧な外見がもたらした人気は計り知れないでしょうが、それだけではないのです。
初音ミクの強みは、初音ミクの自由性を発端としています。
初音ミクの一人称を問われたときに、みなさんはどれを思い浮かべるでしょうか。「私」「わたし」「あたし」「ミク」。
正解はないのです、なぜなら公式が決めていないから。
あるいは初音ミクは朝ごはんに何を食べるのでしょうか。ご飯、パン、シリアル、ネギ、初音ミクはアンドロイドだから充電が食事であると言う人もいれば、PCに住んでいるのだから食事なんて概念はないと言う人もいるでしょう。
全て正解なのです。なぜなら公式が決めていないから。
初音ミクについて明言されている情報は、彼女が身長158 cm、体重42 kg、イメージカラーブルーグリーンの16歳の少女であるということだけ。よって初音ミクは何にもなりえます。
電子の歌姫であり、天地の創造者であり、創作者へ健気に貢献する少女であり、世界を皮肉った思春期であり、あなたであり、私であります。人間の数だけ初音ミクは存在します。
この初音ミクの自由性は、ボカロ楽曲・ボカロ文化により深みを持たせる一因となっています。
もちろん初音ミクに限ったことではなく、ボカロと称される存在は概ねが自由性の高い設定です。
公式スピンオフの存在する小樽組、公式では女の子のずんだもんでさえインターネットではその姿を変えます。ここで私がずんだもんは女の子派であることを明かしてかの少女のASMRについて文を書くこともできるのですが、自由性を主張している最中に適した行いではないため自重しましょう。
まあとにかく、ボカロはその自由性と創作性を武器に、今日ではサブカルの一角を占める人気を持っています。この文化が一千光年続いてくれれば、世界中の全私が歓喜することに違いありません。
さて、そろそろみなさん長文を読み疲れてきましたかね。暴れるって言ったってこんな硬めの文章なわけね、とブラウザバックした方もいるかもしれません。ありがとうございます。
ということで、いい加減俗っぽさと欲に振り切っていきましょうか。
初音ミクの自由性がなんだのと散々言ってきましたが、この言葉は実は創作者にとっての小さな免罪符でもあります。
えー、むっちりな女の子ってかわいいじゃないですか。
服の胸元がちょっときつめで、ネクタイとか緩めちゃって、スカートの丈もちょっと足りなくて、そういう初音ミクを描きたいときが、あるいは見たいときが、人生にはあります。
公式の初音ミク立ち絵に忠実に従うのなら、そんな初音ミクは存在しないのです。なぜなら偉大なるKEIさんが初音ミクをスレンダーに描いたので。
そこで登場するのが初音ミクの多様性です。
近年、多少むっちりな初音ミクが体育座りしながら上目遣いをしていても、そこに初音ミクの多様性という万能ワードを使ってしまえば許される傾向があります。
注意点としては初音ミクはスレンダーだろ派閥がそこそこ厚くいることなのですが、しかししょうがないじゃないですか。初音ミクほどの多様性を有していながら常に忠実に細身の初音ミクを描くなんて離れ業、人類には難しいんです。たまに悪魔の囁きに負けることもあるんです。人間なので。
とか宣いつつ筆者は初音ミクはぺったん派ですね。これは後述しますが、基本的に女の子はぺったんの方が好きです。それはそれとしてむっちりな初音ミクを描きたいなぁと思うことも描くこともあるので、やはり人間の業はとてもじゃないですが80年やそこらで拭いきれるものではないです。これはもう償いなんて諦めて欲に忠実に生きた方がいいです。
欲に忠実といえば、テクノ部B3まとも枠の一角を担うタカハナですが、初音ミク周りは割とヤバいやつなので多様性に甘んじて生活を初音ミクと共にする妄想をすることも多少あります。
自身がアンドロイドのため味見ができなくて塩分過多になってしまった味噌汁を初音ミクに差し出されて、その茶色具合に引きつった笑顔で感謝することがあります。
夜寝る前に初音ミクが子守歌代わりに即興で物語を語ってくれていたのに途中から創作に参加してしまってお互いテンションが上がっていき、結局PCを立ち上げ朝まで小説を書いてしまうこともあります。
全て妄想ですが。
初音ミクの5つあるライブラリの外見と性格を考え39の日に彼女たちのトークロイドを作ってみたり、新しく曲を作るときに誰が歌うかでちょっと会議するのかなと微笑ましくなってみたり、おそらく世間一般ではだいぶ危ない側の想像をすることも珍しくはないですが、しかし自分がそれだけ好きであれる存在があることと、それを否定されない環境にいることには感謝しかないです。願わくばこの先もこのままでありたいものです。
ちなみに最近アツいのは、重音テトさんと足立レイちゃんの絡みですね。
関係性って美しいので、嘘から生まれた存在と0から生まれた存在についてなんて永遠に思いを馳せれます。
テトさんが31歳で若者のパワーが眩しくなっている年頃であることもかなり素敵です。レイちゃんなんて絶対トリックスター枠なので、やはり苦労人ポジのテトさんは無限の可能性を秘めています。もちろんミクちゃんとの対比が美しいのも当然なんですけども。
なるほど?なんだか関係性について語りたくなってきましたね。
2 関係性のはなし
みなさん、関係性はお好きでしょうか。
オタクって関係性が好きでテクノ部は「オタクですか?」に「はい」しか選べない場所なので(ディスコードのロール欄を参照)おそらくこの記事をご覧の方は全員関係性が好きだと思われます。しかし万が一を考慮して、関係性とは何なのかについて軽くご説明しましょう。
任意の人物と人物、あるいは3人以上がおりなす人間関係やその相性、存在としての対比、そういうもの全部の総括が関係性と呼称されます。
具体的には先に述べたテトさんとレイちゃんの対比だったり、少年漫画でのライバルかつ相棒の「あいつ」と「オレ」だったり、普段日常生活さえうまく熟せなくて「先輩」に頼りっきりなのに実は「先輩」の精神的支柱は「後輩」だったり、そういう人間やそれ以外の関わり。関係性はいつの時代も人を魅了します。
個人的には一方的な強い思いよりは双方向に矢印があった方が2倍おいしいのですが、もちろん片思いだって好きです。軽く見える方が重いのもいいですね。隠していることは暴かれるために存在すると思っているので、重い側が必死に軽さを装っているのを見るとそれが明かされる瞬間を想像して少しうきうきします。
なんて書き方をしているとなんだ関係性って色恋の話なのかと勘違いされる方もいらっしゃるかもしれませんが、否です。関係性は本当に人間関係全般に当てはまるので、そこにあるのが大きな感情であれば(なんなら大きくなくても)それは関係性なのです。某先輩の百合の定義に近いかもしれません。
なんなら筆者からすると関係性は恋でない方がいいとする節があります。
恋愛には終わりが付き物なのですが(個人の意見です)関係性なんて続けば続くほどいいので。
後はやはり恋愛の一言ではくくれない複雑な感情を抱いていてほしいというのも理由の一つですね。恋が陳腐だとは口が裂けても言えませんが、しかしもっと外に出すのが憚られるような感情を抱いてくれているとにっこにこになってしまいます。
ここで具体的な作品名を出すとある種の風評被害になるかもしれないのですが、思い返せば最初にこの「好き」を刺激されたのは『ハリー・ポッター』だったような気がします。小学2年生の頃だったでしょうか。スネイプ先生のハリーに対する感情のあまりの複雑さ具合に子供心ながらに唖然としたのが今日のことように思い出されます。
彼はハリーのお父さんにいじめられていた過去があり彼を憎む一方で、ハリーのお母さんのことを愛していたので憎みきることもできず、過去に雁字搦めになりハリーを直視することもできず、本当に、読み終わって数日は自分の脳で処理しきれない事象に固まっていました。
いい性格していますよね、スネイプ先生。そして名作ですね、ハリー・ポッター。
関係性の困ったところは現実でも容易に見出すことができる点です。
実在する人間をコンテンツのように扱うのは本当によくないことで、止めた方がいいことは確実なのですが、しかし脳がそういう出来のために半ば癖のように考えてしまいます。これはある種の懺悔ですね。
タカハナは関係性だけでなく人間自体を分析することが好きなので、ちょっとした仕草だとか受け答えに一貫性を見出しては自分の中で勝手に満足することがよくあります。これをちょっと拡張すると範囲が関係性に及びます。
例えばこの人は特定の人と話すときだけ少し口調が砕ける。口癖が出始める。そういう小さな関係性とも言えないようなものは、日常のあちこちに存在しています。
これ何がいけないかと言うと、単純に気持ち悪いんですよね。自分が気付かないところで観察ないし分析されてるわけじゃないですか。よってできる限り自重はしているのですが、ふとしたタイミングで気付いては少し楽しくなってしまいます。本当によくない。
懺悔も終わったし気分を入れ替えまして、創作の世界での関係性を楽しんで参りましょう。以下にいくつか好きな関係性を書き散らします。
高校の後輩が卒業式数日前に唐突に告白してきて「今までそんな素振りなかったのに!?」と驚きつつも真面目に考えなきゃ失礼だと必死に考えている内になんだか好きとかわかんないけど付き合うのも悪くないかもなとか思っちゃって了承するも実は後輩は先輩と疎遠になりたくなかっただけで恋愛感情はなくて恋人かつお互い好きなのに恋愛感情はないという超拗らせが発生してしまい数年後いい加減現状を理解した先輩があまり健全な状況じゃないから互いのために逃げようとするも後輩から結婚を迫られるやつ(結婚する)。
マスターのことを好きでたまらない初音ミクがマスターが仕事と作曲の両立で日に日にやつれていくことに気付きDTMの機材に少ないお金をつぎ込むから病院に行くような余裕もなく「大丈夫」の一点張りで今にも過労死しそうな現状に自分がいなければ作曲を辞めるだろうと決心しPCから出ていくも気になって数週間後こっそり様子を窺ったらそこには楽しそうに歌う音街ウナと心なし穏やかな表情のマスターがいて絶望するやつ(ウナちゃんが選ばれたのは青いツインテールという共通点があったからなので代替品として見られているウナちゃん自身も幸せにはなれない地獄絵図)。
共通の目的を持って道を共にしていた二人が目的を遂げた後に相手と離れることになると気付きずっと一緒にいたいなんて言って相手の重荷になる覚悟もなくそもそも何をしても成し遂げたかった目的が既に手段になっていること自体が我慢できず相手から離れようとするも明らかに避けられていることに気付きよりそれに耐えようもない寂しさを感じて自分が手遅れだと気付くやつ。
いいですね、関係性……。
自分の理想の関係性をみなさん、ぜひ文字に起こしてTLに放流してください。とびきりの笑顔で読ませていただきます。
3 ギャップってよくってぇ……
関係性の話で離脱しなかった方々は当然こちらも大好きであると思います。というかギャップが苦手な人間っていないんですよ実は。
野暮かもしれませんが、ギャップという概念を言語化するのであれば「意外な側面」でしょうか。外面においても内面においても、あるいはその両方でも。ささいな日常に紛れており、尚且つ非常に高い攻撃力を持つのがギャップです。
具体例を挙げますと、「優等生の貸してくれたノートの右下に描かれているパラパラ漫画」とか、「豪快で明るい印象の人の短く綺麗に揃えられた爪」とか、そういう諸々。
イメージしていただきたいのです。それを、たまたま目撃してしまった。本人は決して見せつけていない、なんならたぶん指摘すると恥ずかしがります。それを、おそらく自分だけ、その瞬間に気付いてしまった。
最高ですね。
人によって「刺さる」ギャップは異なりますが、基本的に筆者はギャップであればなんでも好きです。
普段おどおどしている人がある分野では本気を見せるだとか、しっかりしているように見えて襟足に寝ぐせがついているだとか、授業態度は不真面目なのにくれるアドバイスが的確だとか、優しいように見えてたまに目線が冷たいだとか、本当になんでも好きです。
方言も好きです。方言をギャップとすると怒られるかもしれないんですけどふとした瞬間に漏れる方言ってよくないですか?自分に心許してくれてるって感じしませんか?まあ体験したことほぼないんですけども。
そしてこれは人類の素晴らしいところなんですけど、初対面において自分の全てをさらけ出しているような人間っておそらく存在しないんですよ。少なくとも私は遭遇したことはありません。何かしら、意図的にであれ無意識にであれ隠している部分があり、そういう側面は付き合いが長いと露呈していく。
そう、人間ってギャップマシーンなんです。
人の性格なんて一言で語れるものじゃなくて、その複雑さと難解さを私は愛しいと思います。それが象徴的に表れるのがギャップです。当然嫌いなわけがありません。
しかし、敢えて絞るのだとすると、特に好きなのは「かわいい人のかっこいい側面」と「かっこいい人のかわいい側面」でしょうか。
4 かわいいとかっこいい
某魚介類くんがかわいい男の子とかっこいい女の子について語っていましたが、タカハナはそれに加えてかっこいい男の子もかわいい女の子も好きです。
あまりかっこよすぎる人は怖いし、同様にかわいすぎる人も怖いのですが、それは己の弱さに起因するので今は置いておきます。
厳密な記事を書くために、そもそも一体かわいい、かっこいいとは何なのかを定義しておこうと思ったのですが、この周辺の単語はどれも定義付けが難しいですね。人によって意味が大幅に異なる単語だというのも理由の一つですし、後は一歩間違えればセクハラになりかねないのが非常に怖いところです。
敢えて言うなら、テクノ部はかわいい人が矢鱈滅多に多いです。たぶん冗談抜きで8割くらいはかわいい側なので、みなさん夜道には気を付けましょう。
さて、ギャップの話ですが、かわいい人のかっこいい点、と言うのはまあ言うまでもなく存在するし、存在して当たり前の側面です。
なぜならばかわいい人は大概かわいくあろうとした結果かわいいため、かわいくあろうとする努力や意識自体がかっこいいいからです。
もちろん無意識化でかわいい人もいます。こちらも大変素敵ですね。何が素敵って意図してないのに言動がかわいいってこう、すごく来るものがあるので。更に無意識でかわいいということは意識して強い面を出している場合が多いので、かっこよくもあります。
結論、かわいい人はかっこいいと。つまりかわいいが正義です。
同時に、かっこいい人のかわいい側面もあって当然です。なぜなら、かっこいい人に欠点があるという事象自体がかわいく、そして欠点がない人間なんていないので。
えー、要はかっこいいも正義、と。
これでかわいいとかっこいいが真実なのだと証明されてしまいました。ちなみにこれまでかわいくもかっこよくもない人に会ったことなんてないので標本的に考えるなら人類はすべからく真実ということになります。まあ人類は愚かさの具合も洒落にならないのですが、そこも愛おしいと言ってしまえばそれまでなのでよしとしましょう。
5 人間の好きな部位
ここまで割と内面に近いところの好きを語ってきたのでそろそろ外面について触れていきましょう。
このような、古典的かつオーソドックスな質問があります。
「胸派か尻派か脚派か」。
それぞれの派閥にそれぞれの言い分があるのであまり下手なことを言うと抹消される可能性があるのですが、ここで明言させていただきますと、タカハナは脚派です。
脚、いいですよね。脚いいんです。というか逆に、筆者は胸や尻について一定以上の思い入れを抱いていません。さっきまで初音ミクのむっちりがどうのと言っていたやつの発言だとは思えませんが本当です。
脚の何がいいのかと言いますと、脚は完全に随意筋である点が素晴らしいと思うのです。脚は人それぞれの意思で動きます。地面を走り、跳び、しゃがみ、胡坐をかきます。そこに付随する曲線美には特有の魅力があり、他の何にも代えがたい、とまあ個人の意見です。
それに引き換え胸と尻は(特にこういう議論で持ち出される場合)あくまで飾りとしての魅力しかありません。おそらく初音ミクもとい女の子はぺったん派であるのもこういう点が原因であるのだと思われます。ぺったんであるということは、その下にある骨格や胸筋、内臓に肉薄しているということです。個人的にはそこが魅力的ですね。もちろんむっちりにはむっちりのよさがあるのは確実です。むっちりも好きです。
具体的にどんな脚が好きか考えると、かなり広範囲で好きなのですが、筋肉が綺麗についている脚か、逆に不健康そうな脚か、でしょうか。ここで言う不健康そう、というのは骨に申し分程度の筋肉と脂肪、皮がついている状態を指します。そこそこ対照的な2パターンですね。
筋肉の方は当然、動いている曲線が美しいためです。
ではなぜ不健康そうな脚も好きなのかと言うと、その、筋肉がほぼなく下手をすれば折れてしまいそうな状態で脚が動き入れ物(体)が追い付かないという事象自体が随意筋がまるで不随意筋にでもなったかのようで、まあぶっちゃけえっちいからです。
タカハナの名誉とアドカレの治安のために断言しておきますと、この記事で用いられるえっちいという単語は性的である、ということを指すわけではありません。色気がある、より日常的に言うならば「ちょっと心臓が不整脈を起こしそうになる」を指します。誤解なきよう。
先日たまたまTLに流れてきた学マスの某少女の二次創作漫画とかは大変えっちくて素晴らしかったです。一瞬学マスダウンロードしようか迷ったレベルでどんぴしゃでした。そんな時間はないんですよねぇ……。
今までは全体的に女性についてだったので男性の好きな部位についても触れておくと、喉ですね。喉は喋るときも咀嚼するときも緊張して唾を飲むときも動くので、個人的に人間の感情が色濃く表れる部位だと思います。
特に男性は喉仏があることが多いので、動きがわかりやすいです。素敵ですね。
後は日焼け跡がとても好きです。日焼けってしようと思ってするものではあまりないので、「焼けてしまった」という事象に魅力を感じます。特にその焼け方にムラがあったりくっきり白い部分も見えたりすると、もう大変素晴らしいです。夏っていい季節ですねぇ……。
日焼けが好きになったのはおそらく西尾維新さんの戯言シリーズに出てくる想影真心という少女が原因だと思われます。
一回検索してみてください。竹さんがイラストを描いていらっしゃいまして、正直想影ちゃんの場合は日焼けでもなんでもないんですけど、指先とかの染まり具合が、こう、とても煽情的で素晴らしいです。竹さんと言えばゴーストミクもどんぴしゃでド直球にかわいいですね。三白眼万歳。すばらしいイラストレーターさんです。
自分で書きつつ自己分析を進めていたのですが、どうやら私は「意図せずに生じる」という諸々のパターンが好きなのだと思われます。
最近で言うなら『水星の魔女』にて、宇宙空間で少女が泣いており、涙を隠そうにも無重力下では水滴が宙に浮き泣いていたことが明らかであるという描写があり最高でした。
あと水星の魔女はミオリネさんの脚が本当にめちゃくちゃ眼福です。なんだあのタイツ何考えてるんだ本当になんなんだ。そんな場面じゃないのに邪な感情を抱いてしまうので辞めてほしいです。嘘ですありがとうございます。
6 ハッピーエンド万歳
せっかく水星の魔女の話が出たので創作におけるエンディングについても書いていきたいと思います。
創作におけるエンディングはものすごく大まかに分けると2つです。ハッピーエンドとバッドエンド。定義するのであれば、いい終わり方か、救われない終わり方か、といったところでしょうか。
この他にもグッドエンドやらトゥルーエンドやらメリーバッドエンドやら細分化すればきりがないのですが、筆者はこれら全部のエンドの中でも特にハッピーエンドを好みます。
理由は簡単。みんな幸せになって終わるのが一番見ている側として幸せだからです。
しかしまあ、順当に幸せになってくれると幸せの重みが軽くなるので、多少試練は必要かもしれませんね。
RPGで言うなら、敵とはいえ人間を害することと仲間を守ることで板挟みになり苦しみ、進むにつれ戦力的に厳しくなり成長と敗北を繰り返し、信頼していた仲間に裏切られ、しかしそれにもどうしようもない理由があり、全員が限界の中リーダーとして弱音を吐くわけにはいかず、自分を庇ったことによって友の一人を失い、ようやく最終決戦となり元仲間と対峙し葬ってしまいそれでも進むしかなくやっとの思いで対面したラスボスを脳裏によぎる今まで払った数えきれないほどの代償に潰れそうになりながら倒して勝利を掴んでほしいです。
その後に訪れるハッピーエンドの重みは何物にも代えがたいほど大きいので。
こんなことを言っていると「それはハッピーエンドじゃないのでは」などと心外なことを言われるのですが、終わり方が幸せだったらハッピーエンドです。少なくとも私の中では。
例えば先ほどの初音ミクとマスター、音街ウナの関係性の話でも、
「マスターのことを好きでたまらない初音ミクがマスターが仕事と作曲の両立で日に日にやつれていくことに気付きDTMの機材に少ないお金をつぎ込むから病院に行くような余裕もなく「大丈夫」の一点張りで今にも過労死しそうな現状に自分がいなければ作曲を辞めるだろうと決心しPCから出ていくも気になって数週間後こっそり様子を窺ったらそこには楽しそうに歌う音街ウナと心なし穏やかな表情のマスターがいて絶望するやつ(ウナちゃんが選ばれたのは青いツインテールという共通点があったからなので代替品として見られているウナちゃん自身も幸せにはなれない地獄絵図)。」
の後に
「それでも結局日々の忙しさに耐えれず疲労と栄養失調で倒れて病院に運ばれたマスターのベッドに縋りついた初音ミクが掠れた声の「無事でよかった」に互いのすれ違いを悟りぐちゃぐちゃの顔で誓いを立ててその最期を看取った後で遺された楽曲を音街ウナと共に完成させて世に出す、ハッピーエンド。」
で終わります。たぶん。
バッドエンドやメリーバッドエンドにもそれぞれのよさがあるのでしょうが、筆者は上橋菜穂子さん著の『獣の奏者』を幼い頃に読んだのが非常にトラウマでして、物語の中でくらいできるだけ幸せを甘受したい派閥です。
というわけで、現在19話途中までしか見ていない水星の魔女がハッピーエンドであってくれと血を吐くような思いで願っています。めちゃくちゃ嫌な予感がするのでどうかこの予感が外れていてほしいものです。
7 空(浄化)
ここまで全体的になんだかちょっとねじ曲がっている「好き」ばかりだったので、一旦エンディングの前に浄化しておきましょう。
なぜ綴る文綴る文濁るのかと言うと、おそらく私が人間と創作物についてしか語っていないからです。私が人間である以上、同士について、あるいはその生産物について語ったところで清い話が出るわけがありません。
しかし素敵なもの徒然草と銘打っておいてその中身が人間だらけなのはあまりにタイトル詐欺なのではないでしょうか。ということで、空の話をします。
筆者は景色を眺めるのが好きです。自然豊かな地で育ったこともあり、山に入ることも木を観察することも潮風を受けることも海水に触れることも同様に好きです。
豊橋や名古屋のビルが朝陽を受けたり夜の街灯を乱反射したりするのも素敵な光景ですが、その両者に共通するのは空が見えていることです。
空は簡単に言葉にし難い魅力を有していると思います。
朝に太陽が昇る間際の空は、夜の色を拭うような淡いのに鮮やかな光に目を奪われます。
昼、完全に影が下に落ちる頃に雲がなければ天上から青をぶちまけたような綺麗なグラデーションがお目にかかれます。雲があれば、太陽がその白に陰影をつけている様や、空の色とのくっきりとしたコントラストが瞼の裏を焼きます。
夕方の空は一分一秒ごとに変化していき、変容のスピードとそのどれもが美しいことに呆気に取られてしまいます。誰が染めたのかと聞きたいくらいの絶妙な色と幅で、思わず足を止める魔力を持っています。
夜は全面に散らされた星が美しく、知った星座を見つける試みを楽しめます。雲がかかっている向こう側で月の光が薄い膜を照らしている光景も、筆舌にし難いほど綺麗です。
何より非常に陳腐ですが、遠方にいる友人や家族が今自分が見ている光景を見て同じことを、あるいは全然違うことを感じているのかな、と思えるのは私の中で本当に、心底うれしいことです。
8 テクノ部という存在
なんかいい感じの話をしたので多少は浄化されたのではないでしょうか。では最後に、素敵なもの徒然草の締めとしてテクノ部を語っていきましょう。
筆者がテクノ部について知ったのは高専4年生の春です。その頃私は卒業後は就職する予定で、技科大について調べたのも、そのサークルの中で音楽技術部の名前を見つけてページに飛んだのも、ただの気の迷いのようなものでした。ページを端から端まで読んでアルバムも全部聞いて、自分の未練を捨てるようにしてウィンドウを閉じました。
だから、何の冗談か大学進学が決まったときから、このサークルに入ることは自分の中で決まっていました。サークル紹介の中でも異様に入りにくい空間に腹を括ってドアをくぐり、舞姫くん(確か)のDTM班の説明もそこそこに入部名簿にサインしました。
春は散々でしたね。元来の人見知りとコミュニケーション下手が災いし、たまに部室に行っては何をすればいいかもわからずに数十分滞在し、そそくさと帰る謎の行動ばかりとっていました。
DTMを進めるもそもそもDTM班の活動内容がわからず、もしかしてこれ個人で曲を作る集団なのかと勘づき(大正解)途方に暮れることもありました。
転機は最初のコモンズイベントです。事前準備の段階のなんだかやけに大がかりな準備をしているな、という疑問は、当日、音になって解答をくれました。
これがテクノ部なのか。
この音と、光と、映像と、場所と、つまりこの人たちがテクノ部なのか。
まあそこからずぶずぶですよね。浮いているなりにイベント客として参加し、M3の曲を作り、部員の顔はわからず、名前もわからず、怖気づいて帰り、やっぱり帰るのがもったいなくてUターンし、とんだ醜態ばかりでした。醜態を晒してでもこの集団に所属していたいと思っていました。
人の顔がわかるようになってからは楽しかったですね。この人とこの人はよく話しているな。仲がよさそうだな。この話前もしていたな。お互いの信頼みたいなものが透けて見えて、部室に行く理由の一つになりました。DTMは上手くいかなかったことだらけだし今もそうですが、いざとなったら他の人に聞けるという環境を心強く感じるようになりました。
合宿を終え、より話したことがない人と話すようになるころにはもう立派にテクノ部のオタクです。私にしては割と最速の正規ルートを通ってきたんじゃないでしょうか。一重に運と周囲の方々のおかげですね。
本当に、我ながら自分の見る目だけは評価してもいいと思います。いいサークルに入ったものです。DJもDTMもその人の好きが多大に詰められているので大好物ですし、魅力的な人たちが大勢いますし、ボカロ好きの同士だって想像以上に多いし。タカハナという個人にとって最高の環境下と言っても過言ではないです。
願わくば、このサークルが未来、失敗を繰り返し、それでも進み続け、エンディングなんて来ないくらいに長く続きますように。
そのためにも、せっかく役割の浮いた幹部の肩書を頂いたので、自分なりに尽力していく予定です。
ひとまずみなさん、人の好きって健康にいいので今日も軽率にテクノ部をしていきましょう。私が喜びます。
おわりに
ひたすらつらつらと13000字くらい駄文を重ねましたので、さすがにこれくらいで本記事は終わらせていただきます。
匂いについてだとか身長についてだとか中性的存在についてだとか冬という時期における上着についてだとか、書こうと思えばまだまだある……のですが、残りの諸々は飲み会の終わっているネタとしてお蔵入りした方がよさそうです。
これ全部素面で書いてるのが大分恐怖ポイントですね。大丈夫なのかな、と割と自分でも思います。
しかし言語化って気持ちいいので多少長文になってもしょうがないのかもしれません。誕生日の免罪符でどうにかなると信じています。そもそも好きなものなんてお題自体終わりがなくて問題があるとする説もありますが。
さて、明日12月3日はニシノスケさんが「何か」をお話してくださるそうです。一体何を語っていただけるのか非常に楽しみですね。ぜひそちらもご覧ください。
最後に、素敵なアドベントカレンダーを用意してくださったぴっさんととんでもない焚き付け方をしてくださった先輩、テクノ部に最大級の感謝を。あと兼好法師さん、申し訳ありませんでした。
それではお目汚し失礼いたしました。お相手はテクノ部DTM班、タカハナでした。みなさんよい人生を!