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創始者原理主義の原体験

システマにおいて、私は「ミカエル原理主義」の立場をとっている。

全てはミカエルの言わんとすることを理解するため。

それがもっとも純度の高いシステマを後世に残し、これから生まれる人をもっとも効率よく救うため。

そう真剣に考えて行動している。

なぜか。

その根底にはあまりにも多くの「創始者ロス」を体験したからじゃないかと思う。

だから創始者のありがたみを、人一倍感じるのかも知れない。

私が通っていた空手道場はちょっと変わっていて、やたらたくさん型を覚えさせられた。先生が松濤館流と剛柔流、両方を学んでいたので、生徒も両方の型を覚えさせられたのだ。

いくら覚えても意味がわからない。やり込めば分かるかと思って、全部覚えてやり込んだけど、結局なにも分からなかった。

それが「創始者ロス」の始まりだ。

型を作った人に意図を聞けば、型の意図するところは分かるはず。でもその創始者はとっくに帰幽してこの世にいない。だから聞けない。

その後、合気道に傾倒したときもそう。

植芝盛平先生も塩田剛三先生もすでに故人。会いたくても会えないし、技の感触なんて確かめようがない。

当時はYouTubeなんてのもなくて動画も見られず、著作を全部繰り返し読んで、故人の人となりに思いを馳せるしかなかった。

あとは野口体操。

野口三千三先生の著作に大きな影響を受け、朝日カルチャーで講座が開講していると知って早速申し込んだ。

しかし一足違いで三千三先生がなくなったところだった。講座は辛うじて開かれていたものの、参加者はみんな落ち込み、どんよりとした雰囲気の中で自分はなんとも場違いで、それっきり行かなくなってしまった。

同時期に出会ったのは野口整体だ。

おそらくシステマ以前にもっとも傾倒したのが野口整体だろう。手当たりしだいに著作を読み、どの書籍のどこにどんなことが書いてあるか、だいたい言えるくらいまで読み込んだ。

その頃、私は人生のどん底で、陽の一切入らない地下室で暮らしていた。地下室というのは日光が一切入らず、一年中寒い。真夏でさえ建物全体の冷房による冷気が降りてきて、長袖で過ごさざるをえないくらいの気温なのだ。地下室を出ようにもお金もないし、そもそも身元保証人の印鑑などもらえないから、賃貸物件を借りれない。

当然、メンタルを病んで薬をしこたま飲んでなんとか生きているという状態だった中で、野口晴哉の全生の思想が唯一の希望だった。でも故人で会うことができない。

一度でいいから個人指導を受けたかったという、身を焦がすような思いでいると、時折、野口先生が夢枕に立つようになった。それで手を当てたり背中を押して操法をしてくれたりして、「ああ!あれはこういうことか!」と疑問が氷解して跳ね起きて「ああ、夢か」となる。

でも確かに体には感触が残っている。それで武術の動きも少し変わっている。

まあ、思いが募ったことによる幻想なのは間違いないのだけど、夢に見るほどの「創始者ロス」に何年も悩まされていたのだ。

だからこそ、創始者に会える今が幸せでたまらない。

恩義を感じてたまらない。

そして創始者ミカエルに会うに至る道筋を作ってくれた、これまでの師たちにも頭があがらない。

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