見出し画像

「普通」ってなんだ??村田沙耶香『コンビニ人間』〜読書ビギナーのための読書案内①

私は34歳である。今の仕事を始めたのは29歳の年。それまでは世間一般では大企業なんて呼ばれる会社の正社員だった。

若者が3年目までに相当数離職するとか、不景気によるリストラが……ということが大企業でも取り沙汰される中、元弊社は同期はほとんど辞めず、さらに言うと社歴20年を超えても同期は誰も辞めてない、なんていう先輩社員もいた。

そんな中、諸事情あったとは言え会社を辞めてフリーランスとして生きている私は元弊社の中では完全に「普通」ではない存在である。

ここで問いかけたい。「普通」とはなんなのか。「普通」とは誰が決めたのか。

そんなことを考えさせてくれるのが今回の作品、『コンビニ人間』である。

村田沙耶香『コンビニ人間』(文春文庫)

〇あらすじ

主人公は36歳の独身女性。

彼女は自分が周りからは「普通」ではないと思われていることを自覚しながら生きている。

例えば幼少期、公園に死んだ鳥がいた。周りの女の子は泣いているのに、彼女は母親に「夜ご飯に食べよう」という。母親も焦っているが、その意味が分からない。

また、小学生の頃、男子が喧嘩をしているのに対して女子がが「とめて-!」と泣き叫んでいたので、スコップで男子の頭をぶん殴って止めた。周りがドン引きしていることは理解しているが、何が悪いのか分からない。

そして、成長するにつれ、彼女は友達も作らず過ごすようになる。他人と関わらないと問題が起きないからである。彼女からすれば合理的な判断だ。

そんな彼女が大学一年生の時に出会ったのがコンビニでのバイトである。コンビニにはマニュアルがある。客が来れば「いらっしゃいませー」と言えばいい。商品が欠けていれば補充すればあ。そして、マニュアル通りに対応が出来れば褒められる。

そう、最初に年齢を明記したがこのバイトを彼女は18年続けているのだ。理由は明快。マニュアル通りに生きていればコンビニの世界では「普通」に評価され、生きていけるのだ。

彼女はさらにこの18年間で他人のことをトレースすることを覚える。トレース対象はコスメや服や靴、髪の手入れの仕方、さらには話し方である。それでもそれらを表面的にしか理解できていないので、時にドジる。36歳まで異性と恋愛関係はおろか、恋愛感情すら抱いたことがないことをうっかり口にして周りの反応を凍りつかせてしまったり……。

それでも、彼女はコンビニを通して「普通」の人間になることができると信じていた。あの男がくるまでは……(ここから先は読んだひとのお楽しみ☆)

〇おすすめポイント

①軽妙な文体

まず、読書経験が少ない諸氏にとっての最大の難関は文章の難しさである。確かに文豪などと呼ばれる作家の作品は一定の読みにくさがあるものも多い。

もちろん、その読みにくさを乗り越えてこその読書なのだが、最初のうちはまずはそれよりもハードルを低くしてみよう

その意味でこの作品は非常に文章は平易かつ軽妙である。コンビニという身近なものが舞台になっているのもいい。読んでいて想像がしやすいのだ。こういう作品から読み始めると読書が楽しくなるはずだ。

②考えて欲しいことその1〜「普通」ってなんだ?

同調圧力と言う言葉は学校などでよく使われる言葉である。この言葉は周りに合わせなくてはならない、というまさに圧力としてのしかかることもあれば、反対に周りを取り込んで自分にとって利するものとして扱うこともできる。場合によってはそれで安心感を得ることも出来る。

かく言う私も中学生の頃、間違いなくまだクラスでの普及率が30%程度であった携帯電話を「クラスのみんなが持っている。持っていないとクラスの輪に入れない」と言って親にねだった。これはクラスの輪という同調圧力、すなわち「普通」を利用した例だと言えるだろう。

しかし、そもそも普通というものは「基準」である。基準は誰かが設置するものであり、それは本来自分と無関係に存在している。それを取り入れるか入れないかは自分が決めることだ。

タピオカを好きなこと、春水堂が読めること、King Gnuが読めること、これが若者として「普通」であるとしよう。

なぜ、たかだか食べ物とお店の名前とミュージシャンの名前が分かることが若いことの証左となるのか。なぜ我々は「おじさん」として馬鹿にされなければならないのか(憤怒)

しかし、これと同様の事態は日常に溢れている。その「普通」に我々は極めてきつく縛られているのである。そんなことを考えるきっかけにならないだろうか。

ちなみに、同様の問題提起を為している作品として『むらさきのスカートの女』今村夏子がある。こちらもまた別の機会に取り上げよう。


③考えて欲しいことその2〜「マニュアル」という名のキャラ設定

最後にこの作品のタイトルである「コンビニ人間」について触れておきたい。

主人公はコンビニの中では「普通」に振る舞えている。これは、コンビニ店員というキャラを得ているからだ。

これは、現実社会においても同様ではないだろうか。キャラがあって初めて自分の立ち位置が得られることは往々にしてある。天然キャラ。仕切りキャラ。末っ子キャラ。等々。

キャラ無くしては生きていけない私たちはその中で特異なものを揶揄したり馬鹿にして自分のことを守る。そんな場面は多くの人に思いつくのではないか。

しかし、そんな揶揄するような立場にあるようで、我々は実は主人公と同じ穴の狢であることも忘れてはならないのだ。

そんなことを考えさせてくれるの作品でもある。

ここら辺は土井隆義『友だち地獄』あたりも参照されたい。

④まとめ

このようにごちゃごちゃと考えなくてもよい。しかし、読書によって我々は様々なことを考える「タネ」を得ることが出来るのだ。

昨今はわかりやすさばかりが重視され、短絡的な思考を合理的と呼んだりすることも多い。

しかし、世界は様々なことを考えるきっかけをくれる。その入口として読書という行為は大きな間口として存在しているのである。

それでは。

よろしければサポートをお願いします。日々の制作の励みになります。