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大きなことを成し遂げる方法〜人の観点から

だれかが「法律は最古の学問である」と言っていたような気もするのですが、さもありなん、人間が集まれば集落を形成し、集落があればオキテが生まれるわけで、法とかルールといったものはずいぶん昔からある。

けれども、法律すら唯一絶対ではないのです。目には目をというバビロニアのルールが今の日本の法律には存在しないように、法は形を変え、時代にアジャストしてきました。

法律には長い歴史があるけれども、世の中が変われば、常に最新化されなければならないモノなのです。

そこで、運輸省や郵政省(当時)と戦ってまで、つまり法律と戦ってまで、新しいビジネスを切り開いてきた、ヤマト運輸の小倉昌男さんの『経営学』を、少し古いですが、人材の観点でご紹介したいと思います。

優れたリーダーはゲームのルールさえも変えてしまう人なのだと思い知らされます。それが、顧客にとって、社会にとってプラスなのであれば。

人件費はコストにすぎないのか

事業戦略に長年携わっていると、よく聞く言葉があります。「人を取り過ぎるのはコストだよ」「人ひとりとるのに、いったい生涯でどれだけ掛かると思っているんだね」。

そんなにコストが嫌なら、バンバン首を切ればいいのに、と僕は思います。

人は人材と書けば材料です。人財と書けばアセットに。そして人才と書けばタレント(才能)になります。最後の人才は中国語の表現らしく、僕は個人的にこれが一番好きです。

(※ と、以前書いたのですが、「材」という字は「逸材」とか「国家有用の材」と言ったりするように、「才」と同じ意味でも使われるので、「人材」は決して人を材料扱いしていなかったのだと知りました)

いずれにせよ、材料をうまく扱えないのも、財産をうまく扱えないのも、才能をうまく扱えないのも、経営者としては恥ずべきことだと思います。

しかもそれを堂々と言ってのけるエグゼクティブはいったいなんなのだろう? と。

企業の生産性を高め、能力を発揮するのが、人の働きの最大のメリットであり、それが人の問題の中心でなければならない。
人員が増えると人件費が増えるというデメリットは結果であって、その前に生産性が上がる、収入が増える、というメリットがあるはずである。
(中略)
企業経営において、人の問題は最も重要な課題である。企業が社会的な存在として認められるのは、人の働きがあるからである。人の働きはどうでもいいから、投資した資金の効率のみを求めたいという事業家は、事業家を辞めたほうがいいと私は思う。事業を行う以上、社員の働きをもって社会に貢献するものでなければ、企業が社会的に存在する意味がないと思うのである。
(『経営学』)

会社というのは人の集まりです。それをあたかも、投資効率というカネの流れのみで判断しようとするのは大間違いです。

もちろん、財務状況は会社の健康状態を教えてくれる健康診断みたいなものであって、その指標が悪いときはよく注意して会社経営に当たらなければならないことは間違いないです。

けれど、管理会計を四年やった僕が言いますが、会計や経理は会社の活動を阻害したり、財布を握っているからといってゲートキーパーになってエラそばってはいけないのです。限られたリソースで、どうしたら人の力を最大限活用できるか、そういったことを考える集団でなければならないのです。

もし、会社活動を邪魔するのが仕事だと思っている経理担当者やCFOがいたら、邪魔なので即刻退くべきです。

本当に一番大事なのは何か

たいがいの会社の社長や役員はビジョンを持っています。会社をこうしたい、ひいては社会をこうしたいというメッセージを社内外に発しています。

月並みなのは顧客第一ですね。工事現場なら安全第一を。信頼第一とかもいいですね。納期第一、品質第一。いや、うちの会社はおもてなし第一だよというのもありそうです。

ありとあらゆる第一に締め付けられて、社員は窒息寸前です。お偉方が第一、第一と叫んでいるものたちは、だいたいがトレードオフなんですから。

安全月間になるともちろん、“安全第一”の号令が下る。製品のクレームが来ると、品質第一で頑張れと命令が下る。とにかく何でも、“第一”の命令が好きな社長は多い。
だが“第二”がなく、“第一”ばかりがあるということは、本当の第一がないということを表してはいないだろうか。
(『経営学』)

全部第一というのは容易いことです。そのなかで、どれを第一にし、そのためなら何を第二に回してよいか、きちんをメッセージを送っている経営者がどれほどいるのでしょうか。

新ビジネスを始めようという会社の社長が、「旧来のビジネスでの儲けも増やしながら新ビジネスでそれ以上に稼ぎたい」などと言いだすのはよく見る光景です。決め切れていない、腹を括れていないんですね。

かぐや姫じゃないんですから、部下にそんな無茶ぶりをする前に、きちんと優先順位を決めて提示したほうがいいいいですよね。

社長の言葉を阻害するのは誰か

社長によっては社内メッセージと社外メッセージのバランスがさまざまで、社外にばかりしゃべっていて、社内を置き去りしている人もいますが、まあその問題はここではおいておいて。

社長は、まあ、だいたい、すごくいいことを言っているんです。我が社は業態を変えねばならぬ、社員一丸となり、新しい顧客層を取り込まねばならぬ。これからはDXだ。デジタル化で社会との接し方を変えよう、などなど……。

けれど、社長の言葉は末端にまで届きません。なぜって、それを途中で止めている裏切り者がいるからです。彼らは涼しい顔をして社長であるあなたの前に立っています。

組織が大きくなると、社員のやる気を阻害する者が社内にいることが多い。注意しなければならない点である。それは往々にして直属の上司であることが多い。とくに社歴の長い者が要注意である。
(中略)
だからこそ、コミュニケーションの推進役として中間管理職が大事な役割を担っているのだ。彼らが任務を果たしてくれるかどうかが、やる気のある社員集団ができるかどうかの決め手であることを忘れてはならない。 
(『経営学』)

社歴の長い人々は「社長や役員はああは言ってるけど、いままでのやり方で会社が成り立ってきたじゃん」「新しいことをやってる余裕なんかないよ」「新しいことをやったら一時的に売上が下がるから怒られるじゃん」などと言います。

そして、部下に言うのです。「社長がなんか言いだしたけど、無視でいいから。いままで通りのやり方でいいから」と。

優れたコミュニケーターたれ(不格好でも)

別の項でも書きましたけど、社長や役員はコミュニケーターであり、ビジョンや方向性といったものを、もれなく全社員に浸透させなければなりません。

木目調の壁の、革張りのソファーのある役員室に閉じこもっている暇はありません。末端の社員にまで話をしに行かなければなりません。

成功している経営者は「ねあか」の人が多い。性格が陽性か陰性かは、持って生まれたものだが、努力によって変わるものだと思う。私は本来内向的で、非社交的な性格であったが、意識して明るくふるまうように努めた結果、今では、付け焼き刃のところもあるが、あまり無理をしないで明るくふるまうことができるようになっている。
経営者は、常にプラス思考をする必要があると思う。「ねあか」の経営者が成功しているのは、決して偶然ではない。(『経営学』) 

これは、内向的であると自認している僕にも救いになる言葉です。経営者はいまがそうでなくても、コミュニケーターになれる。さあ、役員室を飛び出して、大部屋に行きましょう。

本当に新ビジネスを変えたいなら、企業風土を変えたいなら、社会を変えたいのなら、お役所を変えたいのなら、人材を大切にして、末端まで直接会話し、草の根を分けて進むのです。

そうは言っても、俺は偉いし忙しいし、と思われるかも知れません。けれど、あの巨大企業マイクロソフトだって、あらゆる社員からの1-on-1を、申し込まれたら逃げてはいけない風土があるのです。あなたの会社は何人規模ですか? 本当に日々大部屋まで話をしに行くのは無理ですか?

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