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第30日・ウズベキスタン、サマルカンド

 ウズベキスタンには2種類の両替レートがある。
 ひとつは公式レートで、僕が訪れた2016年2月には、1ドル2千8百スム程度。もうひとつは闇レートで、1ドル6千スムという倍以上のレートで替えることができる。ウズベキスタン人は自国通貨を信用しておらず、なるべくドルがほしいということでこのような闇市場が生み出されたらしい。バザールや観光地に行くと、「マネー・エクスチェンジ?」とそのへんにいる人から声をかけてくる。20ドルも替えると、120万スムの札束を手にすることができる。流通している紙幣は千スム札ばかりなので、ウズベキスタン人はみんな札束をポケットに入れて歩いている。
 闇というからにはもちろん、無許可両替は犯罪だ。もっとも、レートが倍以上も違うので、公式レートで替えるような旅行者はほぼいない。闇レートで替えたスムを公式レートでドルに戻すことができれば儲かりそうなものだけど、基本的にスムからドルへの再両替というのは難しいようだ。出入国の際に所持金を申告しなければならないのは、もしかするとそういう行為への対策であるのかもしれない。

▲バザールにて何かを考えるおばちゃん。ちなみに、ブハラではコルカタ以来のATMに出会うことができた

▲ドライフルーツ売り場。杏子や葡萄が大粒で甘い。しかも安い(100グラム2千スム(約30円)程度)

 この闇レートのおかげで、ウズベキスタンの物価は旅行者にはとても過ごしやすくなっており、特に酒の安さには驚く。ビールが3千スム(55円)、ワインが6千スム(110円)、コニャックやウオツカも9千スム(165円)程度だ。日本で酒の値段を押し上げているのは税金だけど、この国には酒税法なんてものはないのだろうか?
 中央アジアは基本的にイスラーム教だけれど、ソ連時代の影響で飲酒に関しては相当ゆるいようだ。ワインなんかもそれぞれの町に地元の銘柄があるらしく、フルーティーな香りのものが多くてけっこう飲みやすい。
 コニャックの瓶の蓋をひねると、中からノズルが飛び出してきて二度と戻せず、蓋を閉めることもできないので飲みきるしかないという、とんでもない吞兵衛仕様になっている。繰り返しになるがコニャックというのはブランデーのことだ。ロシア語圏ではブランデー類はみんなコニャックと呼ばれているけど、AOC制度擁するフランスはこれをやめてほしいと再三要請しているらしい。

▲コニャック。トルクメニスタンのものとは違い額面どおりの度数があるみたいだ。ラベルにあるウズベク語は「お酒の飲みすぎは健康を損ねます」といった内容で、あらゆる酒類のラベルへの記載が義務付けられているらしい

▲コニャックの蓋から飛び出たノズル

 ブハラから特急シャルク号でやってきたサマルカンドは、それにしてもコニャックやウオツカがないとやっていられないほど寒かった。なお旧ソ連地域では、軍事上の理由から鉄道施設などは基本的に撮影禁止である。偵察衛星やGoogleマップにはしっかり捕捉されてしまっているはずだけど、とにかく禁止だ。

▲車内にて、隣のロシア系の若者がクロスワードを訊いてきて、わかるわけないだろと思いながら見ると「日本の港(Порт в Японии)」で5文字。なんだろう?

 ブハラの宿で洗濯してもらっていた服やヒートテックを置き忘れてきてしまったことにへこんでいると、駅から町に向かうバスの中で、ヒヴァで会った社会人の日本人女性と再会して、一緒にサマルカンドを歩くことになった。ティムール朝の都だったサマルカンドは「青の都」とも呼ばれ、青いドームが青空に映えてたいそう美しいと聞いていたけれど、今日のサマルカンドは大雪で、サマルカンド・ブルーには白い雪が積もっていた。

▲ティムール廟と内部のタイル。菱形の中に書かれている模様は実は「ムハンマド( محمد )」という文字だ。「タケシ」とかでも似たような模様を作れそう

▲メドレセ内に雪像ができている。伝説的な詩人、ナヴァーイーの像らしい

▲おっさんが、なぜか爆笑しながら造っている

▲ティムールの親族や側近が眠るシャーヒ・ズィンダ廟群

 翌日はすっかり晴れて、冬の澄み切った快晴の空に、碧く美しいドームやタイルが映えていた。ブハラでは白い空しか見られていなかったので、僕はサマルカンドの天気に満足したけれど、放射冷却というのか、北海道でもたまにしかないような凄まじい寒さだった。寒いというよりは凍(しば)れるという言葉を使いたいような、無風ゆえに静かで慈悲のない寒さだ。北海道式の防寒具をしっかり持ってきていた自分の先見性を祝福したい。

▲3つの巨大なメドレセが堂々たる威容を誇る、サマルカンドのシンボルであるレギスタン広場

▲ティムールの妻の名を冠するビビ・ハニム・モスク。ビビ・ハニムは浮気したせいでミナレットから投げ落とされたらしい

▲こういう日はウオツカを飲みたい。1万スム(約160円)

▲子供は楽しく遊んでいる

 こうなると、ブハラの宿にヒートテックを忘れてきたのが痛い。インドのヴァラナシで買ったクルター・シャツも思いのほかに着心地がよくて気に入っていたのにそれも忘れ、ついでに靴下まで複数失ってしまった。僕は旅行に出ると大抵何かを失くすなあと思いながら宿に戻ると、従業員が「ブハラの宿から連絡があって、今日ブハラからこの宿に来る旅行者に洗濯物を持たせたそうだよ」と言う。助かった!
 ブハラの宿で紹介されたところに泊まっていてよかったと心から思った。せっかくなどで宿の名を記しておくと、ブハラが「ルスターム・イ・ズフラ(Рустам и Зухро)」、サマルカンドが「バハディール(Baxodir)」だ。特に前者は床暖房つきで清潔、部屋にはバスタブもあり朝食もおいしいので、おすすめしたい。後者も、チャイを頼めば頼んだだけ出してくれるサービスがあり、立地もよく快適だ。全体的にウズベキスタンの安宿事情は非常によく、旅行のしやすい国だった。
 これで心残りもなく、バハディールの従業員から次の宿を紹介してもらって、僕はタジキスタンのビザを取得すべく首都タシケントへの乗合タクシーに乗り込んだ。

▲サムサー(самсаまたはsamsa)はインドのサモサ同様、具を皮に包んで窯で焼いたもの。カレー味ではない

▲サマルカンドはナンで有名だ。光り輝くナンはぎっしりと密度が高い

▲マンティ(мантыあるいはmanty)はもちろん中国由来、小籠包に似ている。皿の棉花模様はウズベキスタンに特徴的だ

前回 第28日・ウズベキスタン、ブハラ

次回 第32日・タジキスタン、ホジャンド

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