大坂なおみのヒモ、コーデーとは。
2020年9月13日。観客のいないUSTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センターで行われたUSオープンの決勝。大坂なおみは二年ぶり、自身二度目の栄冠を手にした。試合後、コートで仰向けになった彼女の表情からは、喜びというより、どこか安堵のようなものが垣間見れたような気がした。本人はインタビューにて「怪我を防ぐために仰向けになった」とジョークっぽく笑ったが、選手として、また個人としての使命を背負って彼女は戦っていたに違いないだろう。彼女は決勝までの試合数と同じ7枚の「名前入り」のマスクを用意し、見事そのすべてを着用して試合に登場した。「ブリオナ・テイラー」、「イライジャ・マクレーン」、「アマード・アーベリー」、「トレイボン・マーティン」、「ジョージ・フロイド」、「フィランド・カスティール」、「タミル・ライス」。警察に不当に殺害された彼らの名前が書かれたマスクを着用した彼女は、自らの「意志」を明確に世界に示したのである。
そんな彼女の試合をスタンドにて一喜一憂しながら見守る一人の男に世界から、特に日本から注目が寄せられた。何を隠そう、彼は大坂のボーイフレンドであるラッパーのコーデーだ。そんな彼が感情を露わにする姿と、試合後のコート上での写真など、あらゆるものが波紋を呼び、日本のSNS上では多くの心無い言葉が投げかけられていた。「野蛮」、「無学である」、「ヒモ彼氏」や「非常識」のような批判(このレベルの言葉が批判にあたるかは別として)、さらには人種差別、彼らの「意志」を蔑ろにする言葉を目にした方も少なくないだろう。これらの批判を受けて筆者はいかにコーデーが優れた「ヒモ」であるかを書き記すためにこのNoteを編集しているのである(笑)
グラミーノミネートのヒモ彼氏。
彼は大坂と同じく1997年にノースカロライナ州で生まれ、10歳前後で東部メリーランド州に移り住んでいる。冒頭でも記したように彼は気鋭の若手アーティストなのだ。幼い頃から父の影響でヒップホップに触れ、自らも作詞を行っていたと言うが、彼が本格的に音楽家としてのキャリアを歩み始めたのは2018年、ほんの二年前なのである。この2年間で彼は確固たる名声を築き上げ、アメリカにおいて特に若い世代から絶大な支持を得ているのだ。
ここで彼が一般的なイメージ、ラッパーのステレオタイプとは異なるだろう点をいくつか挙げておきたい。まずは、彼のキャリアが2018年からスタートしている点である。それまで音楽活動をスタートしていなかった理由が「勉学に集中し、大学に進学すること」であることは意外だと感じる人も多いだろう。幼い頃から読書家だったという逸話もある彼は、従来のラッパー像とはかけ離れており、どちらかと言えば一般的な高校生が大学に進学してから、趣味に没頭したというイメージに近いかもしれない。さらには、音楽活動を共に開始した仲間たちとの出会いも「典型的」なラッパーとは一線を画しているのだ。彼の所属したYBNクルー(先日コーデーは離脱したことを発表し、名前もYBNコーデーからコーデーに変更した。)は、驚くべきことにオンラインゲームを通じて結成されたグループなのである。彼らは当初、我々にもなじみ深いGTA5(グランドセフトオート5:通称グラセフ)のオンライン上のゲーム仲間だったのだ。そんな緩い集まりだった彼らはやがてオンラインゲーム上での遊び感覚でしていたラップを正式な楽曲としてリリースすることとなるのだ。そして、それらの曲が彼らの遊びをビジネスへと推し進めるのである。一番のヒットはYBNクルーの創設者YBN Nahmir(YBNナミーア)の‟Rubbin off the paint”だった。まさに遊びの延長のような「軽いノリ」の曲はまさに大ヒットとなり、彼らがより本格的な活動へと移っていく足掛かりとなった。
そんなオンラインゲームを通じて繋がった「現代っ子」グループの中でも、コーデーは頭ひとつ抜けた才能の持ち主だった。勿論他のメンバーたちもヒット曲を飛ばしていたが、コーデーは「軽いノリ」ではなく、本格的な楽曲を作成していく。堅いライムとメッセージ性のある歌詞。まさに正統派と言える、これが彼のスタイルなのである。そんな彼がヒップホップシーンとメジャー音楽シーンから大きな注目を浴びるきっかけとなったのは‟Old N*ggas”という楽曲を発表したことだった。
人気ラッパー、J・コールが、"1985"という楽曲の中で若手ラッパーたちを批判したことに対してのアンサーとして発表されたこの曲は、彼のスキル、ラッパーとしての姿勢と覚悟が完璧に示されたものであった。この曲を発表してから、瞬く間に彼の才能は認められ、大御所アーティストとの楽曲作成も行うなど一気にスターへの道を歩んでいくこととなった。
ヒップホップ専門誌が選ぶ注目の若手に選ばれるなど、ますますアーティストとしての認知度が上がっていく中で、彼をさらにもう一段階上のレベルのアーティストへと押し上げたのがデビューアルバム‟The lost boy"である。
このアルバムについてここで詳しく語ることはしないが、作品を通して彼が赤裸々に語る自身の過去と、吐露される感情、そして豪華なゲストたちとの共演によって生み出されるサウンドは聴く者の心に迫る完成度の高い作品であった。(同アルバムについてのより深い考察は下のURLを参照)
この作品は2019年のグラミー賞の最優秀ラップアルバムにノミネートされ、彼と彼の作品は名実ともにトップレベルであると証明されたのだ。ツイッターでヒモ彼氏と揶揄されていた男の正体は、わずか2年でアーティスト誰もが一度は夢見る栄誉、グラミー賞へのノミネートを成し遂げ、デビューアルバムが全米9位を記録する世界的なアーティストなのである。
全米王者のボーイフレンドとして、主張する若者として。
そんなトップへの階段を上っていくコーデーと、同じくトッププレーヤーへの道を進む大坂との出会いは偶然なものであった。たまたまプロバスケットボールリーグ、NBAに所属するロサンゼルス・クリッパーズの同じ試合に二人が訪れていたことが馴れ初めであるのだ。この時、コーデーは大坂がテニス選手であると知らなかったそうで、まさに偶然の出会いである。しばらくの密かな交際を経て、メディアが正式に交際していることを報じると二人はこれを認め、仲睦まじい様子をSNSで頻繁にアップし、公の場で互いの話をするようになった。彼らの間の関係性には、少年少女の恋愛のような可愛らさしさと共に、成熟したパートナーの間柄のような互いの尊敬が共存しているように感じられる。
そして、このカップルの何よりも特筆すべきなのは自身の主張や信念を積極的に示すという点だ。もちろんコーデーは発信者としての役割を持つ仕事をしている訳だが、物怖じせず高らかに自らの意見を発信するという点で二人は共通している。とりわけアスリートであり、他の競技よりも選手が政治的主張をすることが少ないテニスというスポーツで今回のように積極的な動きを見せたこと自体が画期的なことであると言える。ジョージ・フロイド殺害を機に、今年大きな盛り上がりを見せているブラック・ライブズ・マター運動にコーデーと大坂は積極的に参加している。今年7月には、ブリオナ・テイラー殺害に対するデモに参加したコーデーが逮捕されている。ただこの逮捕は、彼が暴力的なデモを行ったり、破壊行為をしたことによってではない。警察の退去命令に従わなかったという理由で他の参加者と共に不法侵入の容疑で逮捕されたのだ。この‟疑惑”の逮捕に大坂もTwitterで反応を見せていた。
物議を醸した中指写真と、問題の背景にあるもの
7月の逮捕と大坂のツイートにも、少なからず日本語の厳しい意見が寄せられていた。全米オープンでも名前入りマスクを着用し入場する彼女に「スポーツを政治利用している」、「テニスに集中しろ」といった言葉が投げかけられた。加えてボーイフレンドであるコーデーに対しても批判が向けられた。彼のTシャツに記された"Defund the police" (直訳:警察の予算を取り上げろ)という強烈なメッセージは日本で大きな物議を醸したと言える。そして批判がさらに増したきっかけとなったのは、コーデーと大坂のツーショットだった。試合後のコートで撮られたこの写真で、コーデーが中指を立てていたからだ。
これらの批判の的となった事柄全てを擁護しようというわけではないが、この背景にあるものにスポットライトが十分当たっていないと感じる。まずはコーデーのTシャツのメッセージについて。この主張は直訳のままの端的な意味合いを持つものではなく、先のブラック・ライブズ・マターから派生した運動であることを明記しておかなければならない。警察組織が、人種に基づいた不当な扱いや逮捕を今後も続けるのであれば、組織そのものの解体を求む、そのような意味合いが含まれているメッセージであり、決して暴論のようなものではないのである。
そして中指の写真について。これには二通りの事例が考えられるだろう。十分な説明が本人からされているわけではないが、写真を撮られる際に中指を立てるという行為は、ヒップホップという音楽ジャンルとその文化、さらに言えばアメリカのポップカルチャーと若者の間でしばしばみられる行為であるのだ。単にポーズとしてこのサインを行ったのであるならば、批判は至極真っ当なものであるだろう。決勝戦が行われたコートで侮辱行為にあたる中指を立てることに擁護の余地はない。ただ、もちろん無意味に中指を立てるケース(我々のピースサインのような感覚で)も多々あるが、何かに対して反抗するといった意味合いを持ってして中指を立てる―そんな例も存在するのである。
コーデーが意図してあのポーズを取ることで批判を集めることで自身と彼女の主張が注目を浴びると考えたのか、、いずれにせよこのカップルが世界中から大きな注目を浴びていることに疑いの余地はないだろうし、彼らはそれに値する主張と行動を発信している。単にコーデーの行動や容姿に注目が集まるだけでなく、それらのより深い部分に存在する事象に関心が寄せられることを願ってやまない。
なぜブラック・ライブズ・マターが叫ばれているのか、そもそもなぜアフリカ系が差別されることとなったのか、これらのことを理解してから彼が中指を立てている写真を改めて見ると、異なった姿が浮かび上がってくるのかもしれない。 (おわり)
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