ジャンプが1968年の創刊号で募集した「第1回新人漫画賞」の入賞者たちが割と濃い
おさらい
『週刊少年ジャンプ』は、1968年に創刊しました。
当初、編集長はきら星のごとく人気漫画家を集めた雑誌を構想をしていたそうですが……。
……という感じで、結局、『少年ジャンプ』は新人で勝負する新しい雑誌という方向に。
創刊号から連載したのは梅本さちお先生と貝塚ひろし先生の2人だけで、初っ端から「新人漫画大募集!」をしたのでした。
当時の少年誌では、そこまで「新人賞」による発掘に力を入れていなかったので、これが『ジャンプ』の特色とされます。
その後、この「新人漫画賞」の回数を重ねながら、結果が出るのが早い「月例ヤングジャンプ賞」も併設。
1971年には、この「新人漫画賞」が「手塚賞」に変わりました。
……という感じで、色々と歴史のある『ジャンプ』の新人賞。
今日は、その始まりとなった記念すべき第1回目のことを語らせてください。
(蛇足)
Wikipediaの「週刊少年ジャンプの新人漫画賞」の項には、「新人漫画賞」が月例賞だったように書かれています。
よく分かりませんが、後藤編集のインタビュー(URL)の
という部分からの誤解っぽいです。
第1回新人漫画賞
応募要項
創刊号は1968年の7月11日に発売されて、「第1回新人漫画募集」の締切は8月31日。
応募期間は短く、一刻も早く戦力が欲しいという編集部の切実な思いが感じられます。
応募資格は「どなたでもよい」、内容は「なんでもよい」。
賞金は10万円でした。(1968年の10万は現在の37万円くらい)
結果発表
1968年12月に、その結果が発表。
できたての雑誌で応募期間も短いのに、いきなり1200編もの応募があったそうです。
(西村本では、「ほかにそういう賞がなかったからか、予想以上の原稿が送られてきた」とのこと)
入選は出ませんでしたが、佳作が4人。
池沢さとし先生、神江里見先生、島田憲司先生、あだちとつむ先生でした。
池沢さとし先生
池沢さとし先生は、『怪童のひびき』で佳作。
これが1969年2号に掲載されて、1969年23号から『ハロー! ジュリー』を初連載。
それから、話せば長くなるのですが……。
・1970年~1973年に連載したエロ少年漫画『あらし! 三匹』
・1975年~1979年に連載したスポーツカー漫画『サーキットの狼』
この2作は、間違いなく70年代の『ジャンプ』を支えた作品でした。
(あと、1973年の『鬼っ子』については、以前ご紹介しました)
『サーキットの狼』のあとは、新境地を開拓しようとした野球漫画『ダイヤモンドスター』が18週で打ち切り。
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