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僕と絵をかくこと

今振り返っても徹底的に絵を書くことや楽しさを否定してきた人生だった。そういう時代だったのかも知れないし、僕がへそ曲がりな人だったのかも知れない。これは平成でもなく昭和後期の昔話。

■ 絵に対するネガティブなイメージ

僕は保育所で生活していた。両親が共働きだったから長くあずけられていた。思い出はキラキラ星を歌ったりプールに入ったりお芋をほったりした。ある日家の近くで自分と同じくらいより年上の小学生のお兄ちゃんを見かけた。すぐにどっかいっちゃって声をかけたかったけど我慢した。もしかして初めてがまんしたかもしれない。そのときは僕一人だったから。いつもわがままいって泣いててお父さんお母さんを困らせて気を引いて安心してた。でも一人でさけんでも誰もかまってくれないってわかってた。保育所で泣く子もいたけど女の子によしよしされるくらいで僕も見て同じようによしよししてあげるくらいだったからたぶん同じだろうって。保育所のことを思ってると保育所にいきたくなった。これが僕が初めて一人でお出かけした日だった。

その日は僕が迷子になったって家族が警察に連絡したみたい。一人で誰にもいわずに丘の上の保育園にいったなんてわからなかったみたいだ。後で聞いたんだけど母親に見つかった。僕はそのとき砂場であそんでいた気がする。

絵を書くことはそのころ色えんぴつを24色の買ってもらって喜んでた。紙がなかったし書いたらじゃまになるみたいだったからそのうちせんせいってお絵かきボードを買ってくれた。そこにスタンプをおしたりペンでニコちゃんマークを書いたりして遊んでた。絵を書く思い出はそれくらい。両親は家で絵を書くことはなかったし僕も何かを教えてもらうことがなかった。はじめて教えらしいことを親から受けたのは中学生になってストーブに灯油を入れることくらいだった。それ以外は規制されることが多かった。

とある日を境に絵については忘れていった。学校の夏休みの宿題で絵日記があったけどそれを書くこともなかった。毎日といわず描きたかったな。そうして小学生4年の頃とうじはスーパーファミコンが出たころでファミコンもあわせてずっとやってた。両親は僕が保育所にいたころのように静かになるからかずっとプレイさせてくれた。ファミコンこそぼくの人生みたいになってた。そうしてたまたまファミ通を見たときにシューティングゲームが作れる「デザエモン」ってソフトを見つけた。これだ!これならゲームを作って絵もかける。それが楽しそうだったから僕はずっと探してたけどどこにも見つからなくて...。そのうち忘れたけど次はRPGツクールを見つけた。これはちゃんと買えたから中学生くらいの頃にサスペンス物のゲームを作った。あっという間に容量がいっぱいになったから作ることを諦めたけどずっとつくれたら作り続けてただろうな。

その後紆余曲折あってデザエモン2を手にした。このソフトにはドット絵を書く機能がそなわってたけどどう書いたらいいかわからなくてぜんぜんうまくできなかった。コントローラーでドットをうつのが大変だったかのも。今はなんとなく分かるけどどうじはネットもなかったし親に聞いてもわからなかった。そうこうしてPRGツクール2とかSRPGツクールとかでゲームを作っては容量をいっぱいにするゲームプレイをなんどかした。

■ 僕にとっての英語と小説

中学生の英語の授業でトラブルがあってつまづいたから授業中にプリントの裏に空想を紙にまとめる小説書きを始めて中高と6年間かき続けた。それらを高校1年の頃にPCにまとめようと思い立った。通販番組でPCを買ったけど文章をうつソフトと表計算ソフトとペイントをさわって小説をまとめようと思い立った。

それから高校卒業までの2年間PCで小説を書いたりしてた。進路相談では進学校じゃなかったので就職か進学かで小説家になろうかなって相談したら先生に勉強がたくさん必要だよって言われて家族みんな勉強が苦手だったからそれならゲームを作ろうと思い立ったのが始まりだった。

ボードゲームとかカードゲームとかゲームと名前かつくものをいろいろ調べてゲームを作るなら任天堂になろう(いこうじゃなくてなろうだったw)としていろいろした。家では小説からゲームの企画書を書くようになった。ここでどんなイベントがおこってどんなシナリオで話が進むか。敵は何体いてどうすれば勝ちか。どんなアイテムが手に入るからどうやって攻略するかとか一通り書いた。とくに合宿イベントでいつ温泉に入るかで出会うキャラクターを分岐するところがキャラクターみんなのスケジューリングをしてシナリオも書いてとたくさんあって大変だったけどできたらうまくハマって盛り上がった。

それからメインキャラクターのエンディングまでのプロットを立てたところで卒業制作のカードゲームとか部活とか運動会の準備とかいろいろ行事ごとに参加することが増えていつの間にか卒業しちゃったけど。他にもいろいろあったけどこうして専門学校に進学した。

■ 始めての都会・始めてのプログラミング

いい友達ともたくさん出会えた。そこで始めてプログラミングを触った。真面目な感じのC言語の本でここからなんか勉強するのが日常になっていった。

企画の授業では企画書を1年間かき続けてきたこともあってほとんど苦労なく進んだけど物量にはこまった。夏休みの宿題で「一日一案」はほんとに大変で地元に戻ったり1日ゲームをしたり友達と遊んだりプログラミングをしたりバイトしてるとほんとに企画の宿題をする暇がなかった。人気格闘ゲームのストゼロ3を全キャラ攻略して30ページくらいの攻略記事にした。画面のキャプチャを入れて記事を書いてコンボを探し出して――――この頃の僕は硬派で攻略記事を参考にすることは考えつきもせず自分で全部なんとかしようとしてがんばった。夏休みは2ヶ月あるとはいえ今思ってもこの作業量はすごい気がする...。

何より気合をぬいたキャラはけっこう適当に記事を書くけどちゃんと見栄えのするものにできる水増しかたを身につけたのはある意味よかった。当たり障りのない無難な記事も仕上げられた。気に入ったキャラとかコンボがたくさんつながるキャラはとくにがんばった。さくらとガイとローズはコンボがつながってもちょっとのダメージ差なのにめっちゃ気合入れてコンボを探した気がする。

そうこうあって記事はさくさく一日一案の宿題は頭をひねりながらも順当にこなした。プログラミングはちょっとむずかしかったけどわかるようになると次第にできるようになった。C++のポインタのポインタが出たときはずっと考えてたけど寝たらわかった。二重配列だこれって。

そもそも chara * と string 型の違いがわからなかった。どっちも文字列じゃんって。配列にもポインタあるし chara * と array * は何が違うのとか。string * ってどうなるのとか。今となってはもっと単純でよかったんだけど。

ちょっと書いておくとコンピュータのメモリに番地があってポインタは番地番号が入るサイズの長さでどれも共通だ。ポインタの前に chara とか array とかつくのはどの型のメモリ番地か分かるように分類としてついてるだけ。string * は string の番地が入る chara * だと chara 型の番地が入るって別れてるとまとめて処理するときコンピュータが最適化できていろいろ楽ちんなんだって。さいきんは Python とかスクリプトつかうと最適化も内部でするからそのあたりは考えなくてよくて楽に組めるけど実行速度はその分おそくなるから早くしたいなら結局はC言語でメモリ管理するんだって。全体でとくに遅いとこだけ機能をC言語に切り出す感じで使い分けるみたい。

そうして C言語マスターしたり基本情報試験受けたりするとあっという間に1年過ぎた。2年時はプログラミングの専門コースとより深いところに入っていく。そういうのが怖くもあったけど企画・デザインはなんとなくできる気がしていてプログラミングに進んだ。

2年になると今までの穴を埋めるように VB と C++ と 携帯Java と DirectX と進んだ。課外授業で Direct3D を1年時に履修してたけど数学がちんぷんかんぷんで挫折した。Direct2D の課外授業はなんとかなったけどタンジェントとかわからなくてずいぶん苦労した。デザインの学科では Flash をしてたみたいであっちは画像の回転がソフトについてるし絵も書き込める。プログラマーはそういう中身も作るんだからスゴイってそのとき感じた。

■ 続・社会人

そうこうして卒業したらITの会社に入った。けっきょく絵やデザインする時間はなかったしゲームも作れなかったのでやめてゲーム開発に専念した。ネットで見つけたキャラ絵を使ったトランプゲームを作ったりしたけど自分で絵を書くことはできなくていろいろ困った。友達に相談したらこれからは Flash でゲームが作られるからこれで作ろうって。そこでは ActionScript が使われていた。Javascript に似ててなんとかなった。クラス (class) とかどうしよう...って調べたらプロトタイプチェーンでクラスにできることがわかったんでこれで必死にゲームに組み上げていった。いまでも覚えてるけど攻略ポイントを見つけてガツガツ進んでいく感じが楽しかった。

そうこうして Flash で2本目のゲームが完成していた。そこからまたいろいろあって魔法の玉のグラフィックをかいたり漫画みたいな集中線の演出を入れたりとかグラフィックのエフェクトを描けることもあったけど基本は友達が企画とデザインするから補助する役割だった。ゲームの根っこは僕が作るから友達はどんな花がさくのか決めるような役割分担だった。それでよかったんだけどある日いろいろあってプロジェクトが進行しにくい状況になった。その子とも合作でもう3本は作ってるしそろそろいいかと Flash で就職を目指した。

また別の記事に書くけど作品をコンテストに出した。詳細は省といろんな意見や評価がもらえて参考になった。それとは別に少しずつ話が大きくなってきた。次は○○をつくりませんか?とかメールが来たり別のWebの会社から問い合わせが来たり。広告営業をしようとかと...。今まで単に好きにゲームを作っていた2人にビジネスの話なんてちんぷんかんぷんだ。真面目に考えたってわかるわけないし。その頃からいろいろ難しくなった。

■ 舞い戻ったプログラマー人生

そんなこんなでまったく絵を書かないこともあって結局はプログラムやサーバーサイドを生業にする人になっていった。ゲーム作りはどうなったんだろう。僕は疑問を持ちながら毎日コードだけを深夜まで書いた。あるときもう変わらなきゃって転職を始めた29歳のときだった。そうして気づいたらゲーム会社でプログラマーをすることになっていた。

それらの合間にたまに絵を書いてた。ゲームを自作するために出始めた Android や ios を作れる技術をつけたりペンタブを買って絵を書いたりした。ペンタブはおもったよりむずかしかったけど続けてるとなんとかかけるようにはなっていた。そうこうしてプログラムを続ける毎日を過ごしてると担当しているソシャゲでUIとかに絵が全然増えないことに疑問を感じて自分で描き始めた。見せたら驚かれたけど使うことはなかった。いろいろ問題だし。そうこうしているうちに次は Flash か終わって Unity らしい。これもまた毎日勉強した。サーバーサイドも流行ってたからそっちのプログラムも身につけて。会社を退職してからはクラウドソーシングになった。

■ とりあえず始めた受注制作

そこでも Unity を使った案件とかをいくつか担当した。どれも楽しかったしPHP のノベルゲーム移植案件にも関わることもできた。Live2D が流行り始めていたのでそれもやった。Spine もやった。どれも楽しいかったけど結局のところ絵はなかなかかけなかった。ある案件でアニメーションデータの加工を担当した。その雇用主から絵はかかなくていいのか聞かれた。その頃から僕は何かを置き去りにしていた。自分の気持ちがわからなくなっていた。

ある日にプログラム案件でビジュアルスクリプトのカスタム案件を受けたそうしているうちにもうテキストコーディングに頼らなくてもなんとかなるんだってことに気づいた。自動化プログラムも僕の信じたプログラム主義もここで終わった。

■ 無我夢中

それからゲームエンジンをつかったゲームを作ることにチャレンジしてみた。素材を用意するところで無茶苦茶ながらなんとか動くものにできたけど僕がプレイしたいゲームではなかったことで僕は絵が書きたかったんだってことに気づいた。それまでも何度か絵を書く勉強をしたりもしたけどいろいろ理由をつけてはやらなかった。それでも人生は進んでいてなんとか生きてはいた。

結果的には絵はうまくならなくて 3DCG に着手した。それらをしてるうちにコロナが流行った。そうして毎日何かに追われるようにまた記事を書く生活に戻った。プログラムをやめて絵を書いて3DCG を作ってる間に記事をたくさん書いた。ただただ無我夢中だった。

そうしてある日テキストを見ることが楽になる日がきた。そうしてある日ソフトがいろいろ競合して問題がでてることがわかった。今まではインストールすれば使えたけどこれからはインストールした作業環境を作業に応じて変えることになるってわかった。そうこうして絵を書いたり記事を書いたり昔作っていたゲームを海外のサイトで公開したりしてようやく現代らしい作業ができるようになってきた気がする。

■ 自分の疑問に自分で答えていく

さいきんは疑問を放置せず自分で自分の疑問に回答するようにしている。すると意外と自分の疑問はいろいろ混ざっているからわかりにくいだけでいちど書き出して質問を短く分けて回答してると答えることができるとわかった。そうして疑問に答えて落ち着いてきた。

改めてオリジナルで作っていて頓挫したゲームを振り返った。とうじ「絵を書いてほしい」と思っていた自分はただ単に「ゲーム画面に顔を書き入れてほしい」ってことだった。...なんだせんせいで書いたニコちゃんマークでもとりあえずはよかったんだ。ついゲームの絵っていえばとキレイなものしっかりしたもの特徴があって愛されるもの背景とかもしっかりアングルとかもといろいろのめり込んでいったけどほんとに単純なことだった。後々でてくるかもだけどそこまで要求は大きくなかった。こんなにのめり込まなくても良かったな。

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今回付け足したキャラの顔。たしかに顔が見えると安心できる気がする。

■ 絵をかくことと向き合ったこと

記事として書いて読後の満足がある思い出にすればこんなにスッキリする。絵を書くとどうしても子供の頃を思い出した。それらにまつわる嫌だった思い出だってどこにも残ってないから思い出したってへっちゃらだ。

すこし嫌だなってなったらたくさん出てきて作業をやめちゃうのが僕だった。「嫌だった思い出のかたまり」ばかり気にしてたんだ。このひっつき虫をポイすれば絵をかくちょっとしたトラブルも乗りこえていけるよ。

ほかにも「まじめ虫」とか「おもに虫」とか「すご虫」とかいるけどポイだ。集めてる有名人を見つけたらそっちにあげる。ちょっと話がずれて「文字のなわ」「なぞのなわ」も学校の授業の合間にずっと編んでたらスゴく長くなった。短くても使えるとかお手頃な長さだとかちょうどいい。次に何か書くなら浅くて長いたまに少し深いくらいがずっと読めていいだろうな。

今のお気に入りはお絵かきチャット。ちょっと話したいときお絵かきできる仲間と楽しくすごすと描くのが楽しいんだ。

■ [PR] 参考にしたサイトの紹介

最後に今年になって僕が絵をかくときに参考にしていたサイトを紹介します。けっきょくは独学でもいずれはうまくなるんだけど一人だけでずっと孤独に描き続けてた時間を振り返るともっと早く知りたかった。先にここに来て絵を書く先生の話を聞けてたらたら早く気付けていたかもしれない。何もわからず無茶しなくていいんだってこと。

僕は始めて1周間くらいがんばってその後3ヶ月くらい放置した。燃料切れだ。たぶん誰もがそうなる気がする。ここでもしおすすめの6ヶ月コースじゃなかったらあえて見なかった。けど目星をつけて寝落ちしてたコースがあったの知ってたから3ヶ月したらちゃんと理解して吸収できるようになってびっくりした。

その後もいくつか講座をみていて自分の作品はこうしたいとかわかってきた。それから初心者漫画コースの1P漫画のトークを見て僕は広告を誤解してたって気づいた。伝えたいことを伝えられる技術なんだって。広告についての僕の考えが180度変わったしパルミーやこの講座に出会ってよかったと思ってる。絵をかけるようになりたいってあるけど迷うときはとりあえずで始めてとりあえずできるようになってもいいよね。始めるなら上のリンクからだとお得です。

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お子様なのでピルクル買います。ピルクルが燃料です。

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さいきんZBrushがお気に入り。MODOもちょっとはじめました。CGする前はスクリプトやプログラムする人でした。書き物は趣味です。