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キッチンをひらくための7つの観点

「コークッキング」ということばができてから、どれくらいの時間が経っただろう。気がつけばきょうは会社の二周年記念で、随分と長いあいだそのことばに魅了されていたんだなと改めて感じています。そのことばは、いつの間にか「一緒に料理する」以上の意味を含み始めていて、少しずつ概念自体が独り歩きをするようにもなったいま、少しだけまとめてみようと思って筆を執りました。

みんなで料理するときに生まれる雰囲気は特別で、その華やかにして絶妙なあやしさを伴う場には、どことない懐かしささえ感じられます。おいしいものを食べたいという気持ちがアイデアの連鎖を巻き起こし、料理の腕前にかかわらず、誰しもをクリエイティブにする力が料理には秘められています。こうしてできあがる一期一会の料理には、ひとりでつくる料理や飲食店での食事とは一味違った「ストーリー」が伴い、その場の参加者一人ひとりの記憶の固有の体験として内在化されていきます。


この魔力に魅了され、以来、趣味として、研究として、そしてビジネスとして、様々なかたちでキッチンの可能性を拡げる場やしくみ、ツールをつくってきました。湘南台のアパートの一室から始まり、富士吉田でのコミュニティキッチンスペース、SFC-SBC の Kitchen in the School / School in the Kitchen 計画、そして今はオフィスとしてのキッチン@麻布の坂の上。
住居、地域、学校、職場と変遷はあったけれど、思えば常に「ホーム」としてのキッチンを持ちながら、ゲリラ的に他のキッチンに「遠征」しに行くスタイルを続けてきました。

そして、こうしてさまざまなキッチンでのコークッキングを経ていく中で、少しずつ、キッチンの魔力を高める「原理」のようなものがいくつかあるように思えてきました。いつもは「行為」としての「料理」にばかり注目しがちだけれど、思えば場としてのキッチンにも同じくらい重要性がある。その部分について、今回はいつもと違う切り口でまとめてみようと思いました。
キッチンを開くための7つの観点


以下に並べるのは、いま見え始めている、キッチンの可能性を拡げる原理の7つの「種」です。(まだ「原理」と言えほど洗練されていないので、今のところはキッチンの「観点」くらいに捉えてもらえれば幸いです)。これらはいつもの「パターン」ほど洗練されているものではなく、それ自体がそれぞれ一つの分野を切り拓けるほど大きなテーマでもあります。また、どれか一つだけが群をぬいて重要というわけでもありません。しかし、これらの7つのテーマを日常の中で周回していくことで、次第にキッチンのあたたかで創造的な魔力が増幅するのはまちがいないでしょう。

【クリエイティブ】

みんなで料理をするときは「正解のない料理」がレシピの基本。メニューは具体的に決めすぎずに、その日の気分や状況、その日のキッチンに集まった食材をもとに、何をつくるかみんなで悩みます。こうした「即興の料理」では、みんなが空腹の探究心を尖らせて、五感をフル活用させます。問題発見解決を繰り返しながら料理を美味しくするアイデアを出し合うなかで、やがて一期一会の料理が生まれます。再現性や一意性を追い求めない事によって、その日のストーリー性を強めるかたちで料理が生成されていきます。

【ハングリー】

基本的中の基本だけれど、時に忘れがち。どんなにクリエイティブな料理でも、おいしくなくては意味がありません。おいしい料理の体験こそが、コークッキング・スペースのさまざまな要素をつなぎ合わせる糸になります。「おいしいものを食べたい」という気持ちが人々をキッチンに惹き付け、モチベーションのドライバーとなり、キッチンで生まれるさまざまなアイデアやコミュニケーションのきっかけとなります。

【インクルーシブ】

キッチンは、いつのときも排他的であってはいけない。星付きレストランのシェフも、パスタを茹でるのが精一杯の学生も、コークッキングの時には一緒に料理します。様々な料理の腕前の人が同じキッチンで肩を並べることによって、自然な教え合いがうまれ、また、思いがけないアイデアの発端にもなります。子どもや身体的な制限などによって普段は中々料理をする機会のない人でも、てできることから参加したり、お互いに助け合ったりしながら行なうことで、変わらずその場の一体感を共有することができます。

【ローカル】

二つとして同じキッチンは存在しえない。キッチンとは本来、その地域の風土や文化そして人の影響を大きく受ける場所です。地の食材を使うのはもちろんのこと、そこで行われる料理は、そのキッチンに関わる人や地域のニーズやアイデアが反映されているべきです。こうしてそれぞれのキッチンがそれぞれの地域と馴染むことで、食と地域の多様性がお互いを強めあい始めます。

【サステナブル】

キッチンの持続可能性は、プロセスに組み込まれていなければならない。設計段階から持続可能性をデザインに組み込むのも素敵ですが、既存のキッチンでできることももちろんたくさんあります。料理に使う食材を自分たちが納得できるものを選んだり(それは決して高くて良いものを買うという意味ではなく)、キッチン内でのフードロスを出来る限りゼロに近づけたり。多様な食材を使う、形や大きさがバラバラの野菜も使う、ロスにならないように余った食材でもう一品つくるなど、こうしたルールが逆に思考のフレームワークとなり、より創造的な料理の糧にもなります。

【エデュケーショナル】

キッチンには無限の学びや発見が潜んでいる。これは決して、料理教室やワークショップの形式で何かを学んだり、あるいは学校の食育の授業をキッチン内で行うといったことだけを意味していません。食の世界は無限に広がりがあり、日々、仲間と一緒にキッチンで様々な食材や料理に触れていくなかで、新しい学びや発見に出会うことができます。また、食は世の中の殆どのことを理解するための「レンズ」になりうるため、食欲をモチベーションにしながら多くのことを学ぶ事が可能です。

【プレイフル】

キッチンは新しい「遊び場」になる。友達や家族と一緒におしゃべりを楽しみながら料理をすることは、純粋に楽しい行為です。おいしく、あやしく、一人では決してやらないような無茶な料理や新しい料理でも、仲間と一緒に挑戦すればそれは一つの「遊び」になります。みんなでつくるから「共犯」の感覚が生まれ、たとえ味が微妙でも、その日のストーリーと一緒に美化されて思い出となっていきます。こうして、より多くの人をキッチンに巻き込んで一緒に「あそぶ」ことで、なんら強制力がなくても訪れたいと思う場所になっていけば、その周りに賑やかで温かいコミュニティができていきます。

これらの側面をあわせ持つキッチンのことを、僕らの中では「コークッキング・スペース」と呼びはじめています。これは、コークッキングが日常的・ゲリラ的に行われるような、学びの場、遊びの場、仕事の場、そして生活の場が折り重なる特別なキッチンの構想でもあります。

キッチンは長らくの間「裏」の部分として捉えられ、お客さんには見せてはいけない、汚い部分として扱われてきた歴史がありました。あるいは「土間」のように家の隅っこにあって、必要なときにしか訪れない場所でもありました。しかし今では段々と生活の中心に近い部分に進出し、今では街なかやオフィスのコミュニティスペースとして機能するオープンキッチンも珍しくありません。

こうした文脈とコークッキング・スペースのそれは、多くの部分を共有するけれど、完全に一緒だとは思っていません。もちろん、よりコークッキング・スペースとして機能しやすいキッチンはもちろんあるけれど、本来はどんなキッチンでも(たとえそれが普通私達が「キッチン」と呼ぶような場所でなくても)コークッキング・スペースと指摘のし得るはずです。
つまり、重要なのはそのキッチンの設計や見てくれではなく、それをそのように利用しようという気持ちの方です。実際、街なかのオープンキッチンが一部の料理好きしか入りづらい場所になっていたり、オフィス内のキッチンスペースが買ってきたお弁当を温めるだけの場所になったりしていては、それは上に挙げた7つの側面は到底持ちえません。

コークッキング・スペースの構想は一種の理想論でありつつも、既に局所的・突発的には実現している場でもあります。料理の場をデザインする際、これら7つの側面を取り入れることでその場のいきいきとした空気感が補強されるのではないか。そんな仮説を持って、今後も様々な料理の場をつくっていこうと思います。

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