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今年も時空を超えちゃった。

生の実感 

苦しみ、悲しみ、楽しみ、喜び、
そのすべてがかけがえのない私であり、
その今に頷きが与えられる。 

            西原祐治


今日はタイのバンコクで法事をしてきた!

タイのバンコクでも法事をした。

いや、タイのバンコクとも繋がっていた、法事が。

すごい時代というか、昨年、この状況のお陰で、SNS(主にLINEが多い)で遠方の方でも法事に参加できるということに気づけた。

で、今日は、うちんち(寺)で法事をされた方が、名古屋とタイに住まれている方にLINEで中継をして、わたしの読経の声と法話がそこまでほぼ同時刻に送られたってことなんだな。

昨年も、タイ・宮崎・名古屋・ブラジルと確認して覚えているだけでも時空を超えて私は飛び回らせてもらえていたのだ。

なんか、すんげぇ、売れっ子のスターさん気分!
ってことはない。

おかしなもので、慣れないというのも在るし、なんかビデオで撮られている感がしてしまい、どうもいつもと違う緊張感が走る。

ただ、去年から成長したのは、緊張感はあるが上がらなくは成った事に気づいた。

最初のときはなんか上がった。

別段いつもと同じことをするだけなのだが、照明を当てられるわけでも、メイクをするわけでもないのだが、いざ始めようと思った時に上がっている自分に気づいて、なんじゃ?となってしまった。

今日はそれがなかった。

うん、どうぞどこからでもご自由に参加してボクを見て!

と、悪いわたしが顔を覗かしたのには驚いた。
まだ、そんな見られたい気質が残っているとはビックリだった。

ま、始まってしまえば、誰が見ているとか忘れてしまうというか、そんな事を考えている余裕は一切なくなるのだが。

見られたい、目立ちたい、出たがり、その気質は変わっていないことを確認できた。(薄々気づいてはいたのだけれどね、見て見ない気づかないようにしていたのよ、意識的に)

自分の嫌なところ、嫌いなところ、情けなく思えるところ、駄目なところ、そんな負と言われるようなところが見えた時、実は自分の本質にいつもよりも近づいていて、自分自身をより実感できているような気がする。

いいとこ取りの自分は実質のない地に足がついていない妄想のような自分でしかない気もする。

負の自分、陰の自分、OUTな自分は、自己存在の肯定をしてくれる。

そういう自分に会えるチャンスはこれからも大事にしていきたい。

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