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レストラン論ぶつけませんか?

何日間かかけて、がっつりレストランのこと5000文字も書いてしまいました。

https://www.facebook.com/kenichi.inamoto
イナケンさんの投稿。

イナケンさんからは金沢のテチュバリの時に、このような話を聞いていて。

ボクは「飲食店」と「レストラン」というのは似て非なるものだと思っているという、最初のポジションが若干ちがうということも認識しつつ。。。
この投稿見て自分が感じてることをずらずらと。

ガストロノミーって言葉が、実はず〜〜〜〜っとしっくり来てなくて
「やべぇ、こいつはガストロノミーだ」なんて言ってみて、流行語みたいな感じに使ってました。

ぼくが駆け出しの頃(36歳前後が最後の世代かもしれないけど)朝5〜6時とかに出勤して、前日の帰りに漂白につけたタオルとかを流水にかけつつ、先輩たちの来る前に他のこと準備してってやったりしてました。

お坊さんでもないのに、修行の一環というか当たり前の段取りだと思ってスタート。

専門料理とか料理王国、本屋で見るアランデュカス、ジョエルロブション、ヤニックアレノの日本語訳された料理本なんかを参考にできる・イメージの源にする能力も無いような状態で眺めながら。

世界のレストラン=フランスにあるって感じで思っていたけれど、24歳の時にフランスのワイン産地を回って、25歳の時にフランス至上主義だった自分を変えるべく、NYのPer se / Daniel / Bernardin / Eleven Madison park とかに行ってみたところでやっと、海外やこういう所で働くことで見える景色もあるんだろうなぁと漠然と思って、読めもしないのに英語やフランス語で書かれた現地の本を買ったり、現地で働いてる日本人の話を聞いて憧れてみたり。

そうすると世界のレストランの名前がちょっとわかるようになって当時、超話題の三つ星カンテサンスのシェフはアストランスで働いてて、アストランスのシェフはアルページュってとこにいたらしく、そこのシェフは「肉の魔術師」って呼ばれてたのに、今は野菜しかやってないと知って、どんな料理やってるか本を探して見てみる。

お金を出して食べに行くか、リスクを背負って日本を出て様々な努力をしてそのレストランで働く。
そうすることでしか触れられなかった。

そんな感じでした。携帯でも、何も調べられる時代ではなかった。

何年か前から、世界中のどこのレストランのコース内容も「#」を使えば見ることができて
タイミングがあえば、今日提供されている料理をストーリーズで見れることができる。

それが今の若い子たちの「働き方改革された効率よく修行できる世界」の一端を担っていると思う。

今ボクが「最近の食は、国境がないボーダレスに向かってる」って言い出したら、だいぶ頭おかしいと思われるかもだけど、ほんとにちょっと前まで、他のレストランの仕事は見ることも覗くこともできなかった気がする。

今となると写真を見れば、どんな味なのか、どうやって調理してるのか、どこっぽいのかもわかる料理も増えてきた。

ボクだけの感覚かもしれないけど、お金を払って買った本で見ていた料理が目の前に出てきたときの感動が、Iphoneの画面越しに見ていた料理が出てくることの感動とイコールでは無い気がしている。

上には上がいるけど、いろんなものを食べたと思う。
だから今は、料理に対して不感症になっちゃっただけかもしれない。
それとも1周回って、自分はノーマルなプレイが好きってわかっちゃったのかもしれない。

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こんな服を買いに行って裾詰めしてもらってお客様に挨拶行くことで喜ばれるタイミングが来るとはおーはし青年は思っていなかったはずだ。

今まで食べて感動したものを聞かれると上位に出てくるのは、当たり前だけど経験が少ないときに自分が食べたものが多い。

食事した当日、本当に感動して「飲みにいかせてください」とお願いして話を聞くほどだった、天ぷらの楠。

その2ヶ月後くらいにまた行った時の感動は、当たり前だけど同じ感動の量ではない。
少なくなっている部分が多いし、より細部を落ち着いて見れたりもする。

だから、感動すりゃいいってもんじゃないんだなってのも思った。

初めて食べた鮨も、2回目の鮨も違う。
初めてのParisと2回目のParisだって違う。

ビクビクして降り立ったサウジアラビアだって、いまや何にもこわくない(笑)

それが体験だと思う。
その体験の積み重ねを表現するので、誰かのために働くのが飲食店で、自分の好きなことをやっていいのがレストランだと思っている。

これは自分の考え。

自分の好き勝手やっていい場所を作るためには、朝5〜6時からダスターを洗っていたことも必要な時間だったと思えるし、TIRPSEを始めたばかりの頃は出来ることも意味もないのに朝3時過ぎまでパソコンと向かい合ったり、お店の掃除をしてたりした。

たぶん意味はなくて、辛い時間を過ごしてる自分を褒めようとしているだけかもしれないけど、今となれば簡単に解決できたことを、本当に悩んでいたと思う。

なにか発見はないか?と、いろんなお店に食べ歩きに行き、いろんなドリンクを飲んで、いろんなサービスを受けてきた。

そんな時間を経て、いまボクはほとんど食べ歩きに行かない。
海外のレストランのインスタをフォローしてるわけでもない。
foodieと呼ばれる人の投稿を見るわけでもないし、世界ベストレストランも眺める程度だ。

昔、憧れを持って姿を追い、レストランの扉を開けることに緊張をし、食事をすることに感動した自分はいない。

本当に同じ所で同じ物を頼み、同じ音楽を聴きながら、同じ物を飲んでいることでも楽しく過ごしている。
ソムリエとして向上心があふれていた頃の自分が、アルコールの無いサウジアラビアに2ヶ月もいるなんて信じられないと思う。

昔の自分なら考えられない。もっと新しい刺激をと思っていたけれど、今の自分はこれでいい。
これが進化なのか?現状維持なのか?迷走なのか?はたまた退化なのか。

ありがたいことに仕事が作れて、今年は4分の1を海外で過ごしている。
移動した先でも、WORLD50みたいなところには自主的に行ってない。
ローカルで賑わいまくってるけど、じゃあそれが「美味しいのか?」と言うようなところに行ってしまう。

そういう体験への欲求は増している。
香港に行っても、超最高級の世界と戦うレストランよりも、人々が昔から愛してやまない飯屋の理由が知りたい。

昔は、ガストロノミーと言われるハイセンスでハイテクニックで、ペアリングなどの徹底されたサービスが存在するレストランに憧れ、大好きだったのに。

ここはサウジアラビアの首都・リヤド。
アルコールは一切無い。深夜あいてるカフェだろうがホテルだろうが、どこにも無い。
それでも地元で聞いたフレッシュジュースとケバブの店が、夜中1時をこえてレジが3列で何重も行列しているのを見ると、特に味気ないケバブを食べていても感動しかない。

世界のレストランを追いかけて、自分もレストランを作り努力し、最先端を追って旅行して食事をしていた自分は死んだ。

別に誰がどう捉えてもいいけど、良いサービスと良いペアリングを用意して、オペレーションを組んでレストランを作ることは、そこまでの努力をせずに作れる。

朝からず〜っとヘラヘラしてコーヒー飲みながらず〜っと携帯いじってても、なんか気に入らないと狂ったようにキレだすサイコパスみたいな自分も知ってる。

ではこれからは最先端を追い続け努力をし、情報収集にアンテナを立てて過ごし続けることに全く興味がないのか?
そんなことが、急に起こることがあるのだろうか?

高校の時に「ちょっと好きって感じなくなった」と急に言われて、理解できなくて別れる理由も把握できない状態に近いのか。

食事のために人を移動させたり、テクノロジーで食事が移動してきたりする。

ボクは楽しく生きていたい。

サウジアラビアでボクがオーガナイズしてるレストランに来てくれる友達もいる。
こんな移動してきてもらうのは、責任もあるし、嬉しさもある。

考えなくてもわかること。
いまマルゴットの加山さんがサウジアラビアで料理してるけど、西麻布のマルゴットで食べた方が美味いに決まってる。
食材も、場所も使い慣れた場所が良いに決まってる。

ポップアップなんて、おいしさのためじゃない。
全ては体験のため。

「楽しみです!」って連絡くれる友達がいる。
食の体験を作り出す。

日本食と言われてるものを食べたことはあったにしても本格的な日本の職人が、湿度が20%を切るような乾燥した環境のサウジアラビアで作る料理を今まで食べたことがある人は、この世にいない。
王宮の中に作られたレストラン。こんな環境で、料理した職人もいないと思う。

これも立派な食体験の創出。
ボクは楽しく生きている。

ボクはビジネスが出来ない。
どうにかこうにか、みんなに支えられ日銭を稼いで生きてるような人間だ。

なんか持ってそうに思われるかもしれないが、4月にオープンのとんかつ屋の支払いでヒーヒーだ。

修行を始め「レストランで出てくる一皿」を追いかけて「レストランでの食事」に興味が持てるようになり「レストランで食事をすること」を理解できるようになってきた。

じゃあ、なんか変わんのか?っていうと変わらない。

楠さんの天ぷら食べた時も、天本さんのとこですし食べた時も、ひでひこ君の作る酒を飲んだ時も、おぉ〜って感動する。

「そりゃ美味いだろ」です。

でも彼らの努力を飲みながら話したことがあって、それを知ってるから、もうちょい美味しく感じられてるって特別な食体験もボクにはある。

ダスターの漂白を抜いてた頃のボクには、絶対に理解できない食体験だ。

アンテナを下げたボクが受信できてない、若い才能がたくさんいると思う。
でも、フランス料理が食べたいなと思ったらソータアツミに会いに行くし、上海蟹が食べたいなと思ったら中国飯店へいそいそと出かけるんだと思う。

自分が進化してるのか?立ち止まっているのか?退化してるのか?
アルコールも無く、時間がゆっくり流れているサウジアラビアで考えている。
今はこれでいい。

自分が29歳でTIRPSE始めた時に、たくさんの歳上の方々に応援してもらった。
そんなボクが、こんな風にアンテナをおろして無責任に若い才能をほとんど知らないのは失礼なことだ。
カビの安田君にはもう抜かれちゃった感あるから、頑張らないとって思ってるくらいだ。

海辺でサンセット見ながらシャンパン飲んだら美味いのはみんな知ってる。
あっつい日のからっからのノドに流し込むビールが美味いのはみんな知ってる。

湿度20%切ってる環境で1日働いて飲むダイエットペプシがこんなに美味いとは知らなかった。
やはり食は体験なのかもしれない。

海の家でテツローが料理して、ペアリングでキレのあるドリンクを選んで、サービスを地元チームが全力頑張って一体感あふれるイベントが作れたら、どうなるか?

その空間で起きることは、それは描いた人と体験した人だけが感じられる特別なことだ。
本やネットで見たって「なんかやってる」が本音だと思う。

食体験を作ることに楽しみを感じてるボクには、ピンセットで作られる料理より、深夜1時に並びに並んでオーダーが通らないケバブ屋のほうが新鮮だ。

つまり「新鮮」なことだ。
でも地元の人にとっては、60年代からあるお店で、まったく新鮮でもなんでもないのに。
木村さんの鮨は「熟成」してるのに、初めて体験する人にとっては「新鮮」ってのと一緒か?

ここまで長々と答えの出ないことを書いて、ほんとに結局これだなってことに今年の後半やっと気がついた。遅すぎるくらいだ。
ほんとに、当たり前過ぎること。

それは「人」だっていうこと。
そしてボクは、食を通じてしかコミュニケーションを取ることが出来ない。

答えは出ない。こうやって考えても、明日には変わるかもしれない。
高校の時に「なんか好きって思わなくなった」と言って別れを告げてくる人と同じように(笑)

最後に、読んで頂きありがとうございます。
なにかご意見頂ければ嬉しいっす。
気にしないと思ってたけど、イイね気になってきたので、良かったらしてみてください(笑)

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