逃げ場のない男たち

最近、私は「逃げ場のない男たち」というテーマで取材をしていた。

これは最初から私が興味のあったテーマだったわけではない。「新しい家族の形」を考察していたところ、突き当たったテーマであるといえるだろう。

世間では、有名人男性の不倫や薬物問題のニュースが、ここのところずっと途切れなく流れているような気がする。男と女のいざこざは、とうのとうの昔からあるわけで、最近の社会と照らし合わせて話すことではないような気もするが、「セックス依存」の場合、話は別だろう。薬物やギャンブル、酒などの依存症は人生を棒にふってしまう。棒にふるとわかっていて、手をそめてしまわざるをえない人々を見るにつけ、そこにある背景がやはり気になる。

そういう話はテレビの向こう側の話だと思っていてはいけない。色々な周囲の女性と話しながら、家族のあり方や女性の新しい生き方などを考えていた私だが、ここ最近よく、本当によく、パートナーがそういうことになってしまったという話を耳にした。「なぜ、あんなに真面目な人が?」やはりそう思ってしまう。

その折にクロ現で「妻が夫にキレるわけ〜2800人の声が語る現代夫婦再考〜」という特集があった。離婚件数が5年ぶりに増加に転じ、その急増の理由に「妻からの精神的虐待」があげられていた。例のひとつとして取り上げられていたAさんは「ノー残業デイ」が「怖い」と言う。つまり、早く家に帰るのが「怖い」のだ。だから、会社を出てから、街をぶらぶらし、時間をつぶして家に帰るという。その一方女性は、男性との不公平感に業を煮やしている。番組では、共働き世帯より、専業主婦世帯のストレスの方が深刻だと報じていた。

そんな一連のことを見たり聞いたりしていて、私は、男性はストレスの発散の形が意外にないのではないのだろうかと思った。ママ友と話していて、なるほどと思った言葉で、「ストレスを小出しにしていくのは大事」というものがある。男性はストレスを小出しにする方法を、酒・ギャンブル・女以外でもっている人はどのくらいいるのだろうか。

例えば、日本における女性は、小さい頃から、集団からいかに外れないで過ごしていくかを突きつけられて生きていく。その過程で、自分の弱みを集団にみせて共有するという技を学ぶ。これには良い面と悪い面があると思うが、弱みを知り合いにある程度みせられるということは、その後大いに自分を助けることとなる。女同士でそういう話をし、「私もよ」「ウチもよ」と言い合い共有することは、最大に「ストレスを小出しに発散する」ことに成功している。

一方、男性はなかなか本音や弱みを仲間内で言い合うという文化がないのではないだろうか。ある雑誌で水無田気流さんが「男性が介護を抱えると孤立しがちで、助けてくれるのは母親の友人などの女性と言われます。」と書いていた。

私が、前クール毎週楽しみにしていたドラマに『ゆとりですがなにか』があった。このドラマの、というか宮藤官九郎脚本のドラマの面白さのひとつに、「男子の本音」が聞けるということがあると思う。ドラマの主な視聴者が女性ということもあると思うのだが、ドラマに限らずとして、女性の本音は世界にあふれている。しかし、男性の本音がきけるソフトって意外にないと思う。ドラマをとってみても、男性が主な登場人物のものは、それがヒーローであったり、刑事であったりと、デフォルメされたキャラクターであることが多く、リアルな男性が出てくることはなかなかない。(『おそ松さん』が腐女子を沸かせたヒット要因のひとつは、男子の本音が聞けるという部分にあると思っている。)

そんな話を友人の集まりでしたところ、「男に本音はないんだよ」という発言が女性からあった。

書籍『モテと非モテの境界線』で「男性と女性の自己肯定感の持ち方は違う」という面白い話があった。違う理由として、子供の生育に大きな影響を与える「母親」という存在が異性であることがあげられていた。異性というワンクッションがあると、母親に同一視もされない分、自己肯定感という分野であまり傷つかないで育つことができる。それ故に、あまり自分自身について深く考えないで育つことができる。社会に守られているということもできるけれど、その反面、男性は多様性のある人生を選べない。女性のように、仕事を辞める、海外留学に行くというリセット行動がとりにくいのが現状だ。そんな男性の人生が多様化せざるおえない分かれ道が「結婚」だ、と書かれている。妻になる女性の考え方によって男性は初めて人生の多様性がうまれると。話は、仕事でだけ自己肯定している男性は、それをサポートする女性だけを結婚相手として認めているから、なかなか結婚したくても結婚できないと続く。そのあたりも大変面白いのでどこかで話したいのだが、今回私が話したいのはそこではなく、では男性が、恋愛や仕事でだけでなく、他のもので自己肯定するにはどうすればいいのかという話をしたい。

最近、私の周囲で東京から離れ、地方に引っ越す知り合いが増えている。自分の実家がそこにあるという理由ではなく、「ライフスタイルの選択」という積極的理由での移住だ。

ある経営者と話をしていた際も、「できれば東京から本社を移転させたい。」という話がでてきた。それは、働く社員の生活の多様性を守るためだ。また、私の髪を切ってもらっている40代の男性美容師さんにその話をしたところ「まさに僕がそれで、全く興味のなかった山登りに最近めちゃくちゃはまって、毎週末行ってます。」と言っていた。

『NHKスペシャル』「キラーストレス 第2回ストレスから脳を守れ」にて、脳をストレスから守るためには、瞑想が大変効果があるとあった。「何も考えない状態」が脳にいいらしいのだ。そういう意味でも都会よりもある程度自然に囲まれていた方が、ボーっとできる時間があって、それだけでストレスを小出しにできるのかもしれない。また、都会であるとどうしても仕事中心になってしまい、生活がおろそかになってしまいがちである。生活を中心にして仕事をした方が、仕事も生活の多様さの一部となる。

自分のものとして味わえる、自分を満たしてくれる瞬間をもつことが、自己肯定を高めることにも繋がると思う。恋愛や仕事などにそれを求めると、どうしても辛くなる。他人やひとつのものに依存して生きるのではなく、色んなものに助けられて生きているという感覚をもつことが、自分を守るために必要だと感じる。

というわけで、私は30歳を超えた会う人会う人に、そして特に男性に、山登りや波乗りや畑仕事など自然と戯れる趣味や、オタク趣味など、何かしら意識的に仕事以外の楽しい時間を作った方がいいと言ってまわっている。意識的にストレスを発散する必要性があるのだ。そうでないと自分でも思っていなかった深みにはまってしまう場合があると。

そんなことを考えていると、男性の「高い時計」「高級車」などの買い物は、自己肯定の一つの手段であり、ストレスを小出し?にする一つの方法であるのだろうなと思った。

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