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自分は画家なのかという話

昨日思った事があって、つらつら書きますよ。

個人的な制作を半年とか、1年近くしてないって
思って、さすがにこれはまずくて、笑

まずいっていうのは、
「何か作りたい!」とは思ってるんだけど
全然行動に移せてなくて。

VRで絵が描きたいわけでもなく
絵の具を使って描きたいわけでもなく

じゃ何がしたいねんと。

そんでスマホのメモ機能じゃなくて
紙に書いて自分の気持ちを整理したのね。

(美術予備校に通ってた時に、作品を作る前に
スケッチブックを使って計画を立てるんだけど、その感じ)

そしたら、
うんちを使って絵を描くことになったの。

意味わかんないと思うけど、
こういうかんじ↓

うんちの魚拓ね。笑
キャンバスにうつそうかなと思って。


これは別に幼稚園児のおふざけ的発想じゃなくて
(別に笑って貰えるならそれでいいんだけども)

うちは うんちをまず神秘的な目で見てるのね。
というか万物全てが奇蹟だと思ってるんだけど

体内の生き物たち(自分)の命の営みが具現化した形なんだよね。
それを写し取ると、
うんちは大腸だとかの丸いパイプを通ってくるから 断面は円になる。

この円っていうのも、うちは神聖なかたちだと思ってるんだ。

1番シンプルで美しくて、
ありふれてる。
命の根源のかたちが、うちは 丸 に現れてると思うんだ。

だから、
自分のいきもの、自分だったものたちが
体内での役目を終える。

そして新しい旅に出るんだけど、
(通常はトイレを通って)

そのゲート、境目、いわば死から次の生に移り変わっていくようなタイミングで
丸に立ち返る。

それを うんちの魚拓で表せればなって思ってるんだ。

何言ってるんだって人もいると思うし
そういう人の話もききたい。

本題に戻ると、私は別に画家じゃないというか、
画家ってより宗教家みたいなもんだろうなって思った。笑

媒体が絵だったりするだけで。

小さい頃からゾーンに入るように描くのが好きで
もしかしたら、描くのが目的じゃなくて
ゾーンに入るのが目的だったのかもしれない。

というかそう。

これからも、頭をひねって 日常に溢れる奇蹟を
表現できたらいいなって思うよ。

おわり!
(まだ便意が来てないので制作はこれから☺️笑)

展示もしたいので、一緒にしてくれる人いたら
こえかけてね!


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