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小説家志望のオレによる辛口小説批評 貴志祐介「天使の囀り」

今回の批評対象は、貴志祐介の「天使の囀り」だ。

貴志祐介は、僕が一番好きな小説家である。彼以上のエンターテインメント作家はいないと、個人的に思っている。

彼の最大の持ち味は、その圧倒的な知識量にある。

京都大学経済学部を卒業した後、大手保険会社を経て小説家になった彼は、社会科学はもちろんのこと、なんと自然科学の知識にも長けている。その豊富な知識をフル活用して練り上げられた物語には、唸らされること間違いなし(その上ユーモアのセンスもちゃんと持っているため、堅苦しさがない)。

今回批評するのは、そんな彼の傑作群のなかでも、おそらく最高の密度を誇ると評判の、「天使の囀り」だ。

ここから下ではそこそこ”ネタバレ”してるので、これから読もうとしてる人は、このリンクからAmazonのページに飛んでください。

さて、この作品の感想を率直に、簡単に申し上げると...



...怖えぇ!(;゚Д゚)でも、スゴイ!Σ(・ω・ノ)ノ!


いいところ

・エンターテインメント小説として非常に完成度が高い

・スリル満点

・とにかく完成度が高い

悪いところ

・プロットを入念に練るのはいいが、この作品は少々やりすぎな感がある

・グロすぎて女性の皆様にはお見せできない

・犯人...(-ω-;)

まず、いいところから解説していこう。


やっぱ凄いぜ貴志祐介

何度も言うが、とにかく完成度が高すぎる。

まずこの作品は、アマゾンから新種の病気(厳密に言えば病気ではない)が持ち込まれるというストーリーなのだが、その”新種の病気”の正体が、”ありそうもない”はずなのにもかかわらず、そこに抜群のリアリティを付与させていることだろう。これは一重に、貴志祐介の卓越した科学知識(特に生物学)のたまものである。

当然のこと、小説では視覚情報が使えない。そして”恐怖”は、多くの場合、視覚情報によってもたらされる。つまりホラー小説というジャンルは、視覚情報という決定的な情報抜きで、恐怖を読者に与えねばならないのだ。

視覚情報を用いて恐怖感情を与えるのは簡単だ。とりあえず、血とか貞子みたいな髪の長い女とかを出しておけば、なんとかなる。ホラー小説はそういった手段に逃げることができないのだ。

じゃあ、読者に怖さを与えるために何が必要かと言うと、”リアリティ”である。小説のなかで起こった出来事が現実世界でも起こりえると、読者に納得させるだけの説得力のある緻密なストーリーである。

この命題をクリアして成功を収めたのが、皆さんご存じ、「リング」(貞子)である。

映画のイメージが非常に強い本作だが、原作の小説が非常に高い評価を受けているのはご存じだろうか?

映画版「リング」は、視覚メディアの性質を存分に生かした”例のシーン”によって人気を博したが、原作では、あのシーンは存在しない。

視覚的な情報を用いず、現実世界と物語の出来事とを密接にリンクした設定を用意することで、多くの読者を恐怖に陥れ、ホラー小説の大きな可能性を切り開いたこと(補足すると、ホラー+サスペンスのスタイルを確立させたこと)これが、リングの本質である。

リングの成功を皮切りに、日本のホラー小説界(というより、角川ホラー文庫)は全盛期を迎える。そのなかに、「天使の囀り」の前作「黒い家」があった。

リングは、現実世界と密接にリンクしているといえども、ラストのオチは少しリアリティに欠けるというか、納得できなかった人も多かったと思う。

しかし「黒い家」は、その粗すらも”完全に”潰してしまったのだ。

貴志祐介が元々保険会社で働いていたこともあって(その経験をもとにして、この傑作はわずか三か月で執筆された)、ここには、リアリティしかない。いつ、これと同じ出来事が起こってもおかしくないという、絶対的な恐怖がある(この小説を読んだ保険会社勤務の多くが、気分が悪くなったそうである)

そしてその後出された「天使の囀り」は、前作以上に衝撃的へと進化を遂げている。

ノンフィクションに近い黒い家と違って、天使の囀りは圧倒的にフィクションである。こんな出来事、あらゆる偶然が重ならないと起きようがない。しかし、それがしっかり重厚なホラーサスペンスとして成立しているのが恐ろしい。


他にも見どころたっぷり!

さて、本書の見どころはそれだけではない。主人公の早苗が、恋人の死の真相に迫る過程、本筋とはあまり関係のないキャラクター同士の掛け合い、果てには28歳フリーターのシーンまで、読者を楽しませる工夫が施してある。

貴志祐介のもう一つの特徴として、面白くないはずのシーンでも面白いというのが挙げられる。

例えば、28歳のフリーターがパソコンをいじるシーンがある。

インターネットのシステムである、World Wide Webという言葉を思う。それは、世界中に張り巡らされた蜘蛛の巣を意味している。自分は、この蜘蛛の巣に危うく絡め取られてしまうところだったと思う。これは、偶然の暗合なのだろうか。そもそも自分は、なぜ、いつから、これほど蜘蛛を恐れるようになったのだろうか。
信一は、被害妄想めいた思考の断片を追い払うと、デスクトップにある『FLマスク』というソフトを起動した。このソフトは、ネット上で自由に手に入れることができる、いわゆるシェアウェアだった。本来は、画像にモザイクをかけるためのソフトだが、ほとんどのユーザーは、モザイクを外すのに使っているはずだ。
彼は、『FLマスク』の上に、先ほどデスクトップにダウンロードしたロリータの画像を呼び出した。・・・・・・このソフトの作者は警視庁から刑事告発を受け、たしか有罪判決が出たはずだった。今後、ネット上の『有害情報』を規制しようとする動きは、まずます活発化していくのだろう。

少し生々しいのでここまでにしておこう(ちなみに本作は、1997年頃執筆された)。

このシーンは、フリーターである信一が”あるサイト”を発見するのを目的とする章の一部だ。内容はさておき、この文章は信一のなかでのインターネットのうんちくが語られるページである(この後信一お気に入りのエロゲをプレイするシーンが十ページほど続いたあと、あるサイトを発見する)。

普通の作家なら、こんな細かい描写はしない。おそらく、インターネットの起動が遅くてイライラした。みたいな描写を入れるだけで、さっさと目的のシーンに辿り着く。しかしそれでは、物語が表面的に思えてしまい、何か目を引くような展開があっても、大して驚きがない。説得力を感じないのだ(そもそも、自分でも普通に書けるような凡庸な文章を見せられても、つまらないだけである)。

しかし、貴志祐介は何気ないシーンでも、一般的な人間では知らない情報をちりばめて、そこにわずかな”エンタメ”と、この先の物語を盛り上げるための説得力の担保をしている(ついでに伏線もさりげなく張っている)豊富な知識を持つ貴志祐介ならではの職人ワザである。

アニメや漫画と比べたときの小説の大きな弱点として、途中で挫折しやすいことが挙げられる(面白い箇所に至るまでの”過程”の部分がつまらないから、このようなことが起こる)貴志祐介の作品には、それがないのだ。


良い意味でも悪い意味でも、”らしい”作品

こんなにほめているが、欠点というか、悪い部分がないわけではない。

まず、グロい。多分、進撃の巨人以上にくる。グロいのが嫌いな人は、シンプルにおすすめできない。

貴志祐介の特徴に、”グロ”に頼りがちというのがある。かなりの確率で物語のなかに、常人では理解不能な情緒を持つ化け物が現れるのだ。

僕はそういったものが大歓迎なタチなので最高に楽しめるが、苦手な人からすれば、嫌悪感しか抱かないだろう(メチャクチャ面白いのに学校の先生が薦めてこないのは多分このせい)。

あとこの作品、

犯人当て簡単すぎじゃね?


多分、勘の悪い人以外ならだれでもわかる。

貴志祐介は、メチャクチャ知識量が多い代わりに、天才的なヒラメキを感じさせるトリックとか謎を生み出すことが苦手というか、そういったことをしない(一つの仕掛けにすべてがかかるような物語は、リスクが高すぎるからだろう)。あくまで、魅力的なロジックにロジックを重ねて作品を作っていくタイプである。

さらに、彼の持ち味である圧倒的な知識が、本作は少し”やりすぎ”というか、生物学的な話無理!って人はちょっと抵抗感を覚えてしまうかもしれない。小説にしては若干、情報量過多なきらいがある。

なので、この「天使の囀り」は、圧倒的な知識、それらを総括して一級のエンターテインメントに昇華させる筆力、グロ度高め、犯人当てゲームを作ることへの若干の不得手、そして情報過多という、貴志祐介のいい特徴と悪い特徴がすべてつまった、いろんな意味で、”らしい”作品だと言えるだろう。


追記

この記事で紹介した他の二作品もメチャクチャ面白いので是非読んでね!

以上、最後まで読んでくれて、ありがとうございました!


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