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ヒマラヤ麓の避暑地の人々

「災い転じて福となす」。

インドで受けたヨガコースでは、そんな逆転の経験が立て続いた。それはインドではよくある事なのかもしれない。それともたまたま、私がラッキー(アンラッキー)だったのか。

予定通り進まない、とにかく思っていたのと違う ... 。

その時は災いと思える出来事も、長い目で見れば「損失」ではないこと。インドが私に教えてくれた事かもしれない。分かり切った事からは生まれない未来もある。

誰の責任とか何が悪いとか、そんな場所に留まるよりも、より大切な学びがその先に待ち受けること、私たちはもっと委ねてみても良いのかもしれない。

お金持ちのサンディヤ夫婦が3日間の旅行から帰って来た。旦那さんはスタジオに顔を見せることもなく、ムンバイにトンボ帰り。残されたサンディヤはまた不満顔だった。この頃にはもうコースを放棄して帰る事ばかり考えていたのか、先生には「家で簡単に出来て、すぐに痩せるヨガを教えて」と、そんな質問ばかり。

気分転換にと、休憩時間に彼女を誘い、通りのショップで天然石ペンダントやドリームキャッチャー作りの体験をした。最初は店の人の言い値をいかに下げるか交渉に躍起だった彼女。でも白い羽根をいっぱい付けたドリームキャッチャーが出来上がると「これで娘のために、手作りの特別なお土産が出来た」と満足そうだった。

その後すぐ、宿の主人には最後まで文句を言い、先生にも「ムンバイに来たら先生のワークショップ開いてあげるわよ」と皮肉な冗談を残して、お金持ちマダムのサンディヤはコースを辞め帰って行った。

別れはやっぱり少し寂しい。

思えばサンディヤの押しの強さがなかったら、私は陽が当たる2階の角部屋をもらえなかったし、朝のチャイもなかったろう。哲学クラスのテンポもスローなまま。食事はまだあのまずい食堂で食べていたかもしれない。

そしてこの後、宿の主人とヨガの先生との契約問題が浮上した時にも、必要以上に振り回されずに済むことになる。

口うるさい(積極的な)サンディヤの主張をいつも見ていたから、インド人のやり方に対応することが出来た。


コース2週目。そんな中新たなメンバーが現れた。カナダ国籍でインド系のミフルという20歳の男子。彼はカナダで重度の花粉症を発症し、それから引きこもりに近い状態だったとか。心配した両親がこの学校を見つけ、自信を取り戻そうと渡航して来た。

メンバーはリンとサンジタ、私とミフルの4人に。そしていよいよ、ティーチングの実習も始まった。

数あるアーサナとその由来を覚えて実践するプラクティショナーの能力と、それを教えるヨガ教師の能力はまた全く別もの。日々移り変わる自分の体調を律しようとしても、異国の考えに揉まれたり、メンバーの入れ替わりで中々落ち着かない。皆が、集中力の壁に突き当たっていた。

リンやミフルと知り合ってから、一緒に外にお茶しに行く時間が増えた。そこでリンのゲストハウスの仲間たち、ドイツ人のルヴァナやイギリス人のジェームスを見つけて更に話が盛り上がることもあった。

知る人ぞ知る静かな山合いの避暑地には、インド人外国人を問わず本当に様々なタイプの人が集まって来ていた。自主レーベルアーティストタイプ、スピリチュアル求道者タイプ、世界旅行のバックパッカータイプ、夏休みのバケーションタイプ、まんまチベット仏教のお坊さんなど。普段の日本の社会生活ではまず出会わない人ばかり。その多くがヨガのクラスを受けていた。

何がこの人たちを魅きつけるんだろう?

ドロップインクラスに飛び入り参加しては、また世界へと散って行く若者たち。いや、若者だけではない。時々は結構な年齢のソロトラベラーも。

よく見ていると、若者グループの多くはイスラエルから来ていた。男女とも兵役義務が2年あるので、その前後にインドへグループ旅行に来るのだとか。次に多いのは欧米人の長期の単独バックパッカー。彼らは旅先で意気投合し、国籍の違う者同士でヨガやメディテーションのコースを受けたり、各地に旅に出たりする。友情ありロマンスありで、まるで大学生のよう。

そして30〜40代の「オフグリッド」組(私が勝手にそう呼んでいる)がいる。先進国での生活を経て、自分のスキルを活かしながら新しいライフスタイルを模索する。ライターやオンラインショップで収入を得ていたり、田舎で自給自足コミュニティーを作ったりする。

50代以降は「ウィザーズ(魔法使いたち)」と呼んでいた。何をして生活を成り立たせているのか、もはや定かではない。長いヒゲを蓄えた風貌でたまにカフェの片隅に座り、気の向くままに1日を過ごす。姿を見ない日には、ヨガをしているのか瞑想をしているのか占いをしているのか、あるいはヒマラヤに旅立ったのか。30年前からインドに来ているという噂のある人たち。

コースに全力で集中したい思いとはウラハラに、味のある知り合いは増えて行き、毎日の出会いや情報交換が楽しくなって行った。そんなある日、先生の奥さんのサンジタの元気がないことに気づく。

「私の父が病気で、もう長くないみたいなの」と。

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チベット仏教のダライ・ラマ14世が住む北インド・ダラムサラ。


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