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「司馬遼太郎記念館」で感じた、人がみえる建築

コロナウィルスの影響で、急遽行くはずだったシンガポール行きが中止になりぽっかりと空いた休みができてしまった。
こういうことはあまりなかったので、ふと適当にどこか国内旅行でも行くかなと思い立ち、友人が以前おすすめしてくれた新神戸にある竹中大工道具館に行くことにした。
その道具館以外は、特に予定を決めることなく新幹線に乗車した。新幹線の中であぁそうだ関西といえば安藤忠雄作品が見れるなと気付き、その道具館以外は建築鑑賞にあてる旅にしようと決めた。

最初に新大阪に着き、光の教会に行こうかなと思ったのだが、検索するとこれまたコロナウィルスの影響で拝観が中止になっていた。以前買った安藤忠雄の建築本のノベルティで安藤忠雄直筆のポストカードが3つの中から1枚もらえたのだが、
・住吉の長屋
・光の教会
・あと一つなんだったかな。2121美術館だったかも。
私は迷わず光の教会を選んだほど、実物をいつかみたいと思っていた作品だった。今回の休みは、コロナウィルスから始まったのだがまたここでも影響してくるのかと苦笑したが、こういう時こそ正統派ではない旅ができるということも長年の旅の勘で知っているので気を取り戻してgoogle先生を利用して他の建築を観に行くことに切り替えた。

そこで選んだのが司馬遼太郎記念館である。

司馬遼太郎記念館もまた安藤忠雄が設計した建築物の1つである。大阪府東大阪市にあり、近鉄奈良線「八戸ノ里駅」が最寄り駅だ。この記念館がなかったら一生降りることはなかっただろう駅だが、こういう出会いがたまらなくいい。駅から司馬遼太郎記念館までは、満開にさいた菜の花ロードが待っていてこの季節ならではの風景に四季を感じた。

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結論からいうと、司馬遼太郎記念館は想像以上に優美な建築だった。
確かに安藤忠雄の美しい曲線、線、光と影、中と外、コンクリートと木などコントラストに溢れた素晴らしい作品だった。ただ、今回一番感銘を受けたのは、人を感じさせる建築だったということだ。

安藤忠雄の建築活動は、都市住居から始まる。住宅は、住む人の思いを背負い、そのほかの土地条件などももちろんあるが「住まう」ということは人間のもっとも根源的な営みを受け止める分、より難しいものだと彼の著書にも記載されていたのを覚えている。 
今回は、住まうではないのだが記念館の入り口、記念館に行き着くまでの道なり、建築の中に入った時の圧倒的量の本棚、そしてそれを優しく、神々しく照らすステンドグラス。ここは、司馬遼太郎という人物を偉大さと彼の生き様を直感的に受け取ることができる建築だった。まさに人と建築物が融合されている作品だと。

どちらかというと公のものを特定の誰かを彷彿させるのではなくみんなで共有する場の空間、建築を今まで多くみてきたので(例えば教会、美術館、駅)誰か人を中心にした設計の建物は、本当になにか宿っているなという感じがしてならなかった。1つのその人物の映画を見ているような、そんな空間だった。

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誰かを想像する、彷彿させる建築というものは、いままで見た中で一番インパクトがある建物だったかもしれない。


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(中が撮影不可。そこが残念・・)

司馬遼太郎記念館の中には、対話ノートというものがロビーに置かれている。来場者が思い思いに筆を動かし、共有するノートだ。この取組は建築が作られたあとどう使われていくのか、作ったあと中身をどう充実させていき、生身のあるものに保っていくかということが建築物をさらに魅力的にする要素の1つであることは間違いないと思わせてくれるものであった。

私自身はWebサービス開発に従事しているものだが、建築から学ぶことは本当に多い。Webサービスも同様で、設計、リリースも大事だが、リリース後どうそのWebサービスを生身を感じるものにし続けていくか。活かすも殺すもリリース後である。






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