見出し画像

20240916

自分が自分であること
我を押し通すこととはちょっと違う

ほんのわずかな違和感も見過ごさずに掬いとり、よりしっくりくるほうへと軌道修正する

こうしたことって、劇的な変化を伴うものでもないし、明確な切り替えがあるわけでもない
たとえば、とれかけたボタンをつけなおすような感覚と重なる
ささいな兆しや変化、ほころびが目が留まったとしたら、それをなかったことにはせずきちんと応じる
そのあたりにひとの本質があらわれるように思う

あるいは、手がけていた掃除をどのあたりでおしまいにするか見極めるといった局面でもにじみ出るかもしれない

どこまでやりこむか、あるいは手を抜くか
誰かに指南されたり、もしくは監督されているわけでないかぎり、その匙加減を決めるのは自分自身なわけで
結局、己が納得できるあたりで落としどころとするのだろうか

“お天道さまがみているよ”
これが備わっているかいないかが、変わり目なのかな

ふと、そんなことを思ったので記しておこう

気に留め、目を通していただきありがとうございます 記事から得たエネルギーを、なにかしらの糧としていただけたらうれしいです もしよろしかったら、お気持ちに応じたサポートとしてお返しいただけたらしあわせに思います さらなる活動の原動力としてめぐらせてもらいますね