「魔法の秘薬にりんごを漬けよう」

■サイモン・シン『暗号解読(上)』


一九三八年、チューリングはぜひにと言って『白雪姫と七人の小人』という映画を見た。後にチューリングの同僚は、ぞっとするような不気味なセリフを、チューリングが歌うように口ずさんでいるのを聞いた。「魔法の秘薬にりんごを漬けよう、永遠の眠りがしみ込むように」(P.304)

第二次世界大戦中、イギリスのブレッチリー・パークでの暗号解読を引っ張ったアラン・チューリングという天才数学者は、ドイツ軍の「エニグマ」による暗号を解読するなどの偉業を成し遂げた。しかし業務の性質上その功績は隠され続け、いざ公表された時点で彼はすでに亡くなっていた。41歳、自殺だった。

当時のイギリスで、彼の性的嗜好……同性愛、は重い罪だった。天才的な暗号解読者としてではなく犯罪者として世間に認知された彼は、精神を病み、本当にりんごを青酸カリに漬けてかじり、命を失った。

……という暗い話でこの上巻は幕を閉じる。

他に印象深かった話は「ビール暗号」。巨額の富が眠る場所が書かれているとされる暗号が、1885年に小冊子として発行されて以降、今に至るまで解読されていないという。

そもそもこの暗号は偽物かもしれないし、悪戯かもしれない。答えなどないかもしれないし、辿り着けたとしてそこに財宝はないかもしれない。

戦時中に必死で解読を試みたメッセージだって、ただ撹乱させるための罠かもしれない。

そんな足元の脆さが暗号にはある。

しかも少なからず闇を引っ張ってきてしまうような、苦しい仕事という印象だ。なのに多くの人が暗号を解読したいと思うのはなぜか。


ビール暗号の著者からはこんな忠告が。

暗号解読をやるのは生業の余暇だけにしておくこと。余暇がなければ、この件にはかかわらぬことだ。……繰り返すが、夢かもしれないことのために自分と家族を犠牲にしてはならない―この私がいい見本だ。しかし、一日の仕事が終わり、暖炉の前でくつろぐわずかな時間を捧げるのであれば誰にも迷惑をかけはしないし、それが報われることもあるかもしれない。(P.189)

自分も、目の前に未解読の暗号があるとどうにも気になって、眠りが浅くなる。夢の中でもずっと解こうとしている。そして「解けた!」と思って目を覚ますと必ず見当違い。一般的な学習でこのように「焼き付く」という経験はない。暗号だとなぜだか頭が支配されてしまう。

でも、それが解けた時に脳内でアドレナリンが大放出される感覚……その瞬間は嬉しくて幸せでたまらない……。

あぁ、すでに答えは出ている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?