春が忍び寄ってくる心地。

私は普通に生きていたい、限りなく普通に。

だけど、私の普通のごはんとあの子の普通のごはんが違うように、普通の基準なんてひどくあやふやで難しいので、私の「普通」は心が荒れることなく穏やかであることを指していこうと思う。

定年前に退職した元上司が手続きのため久しぶりに事務所へ来た。その晩、酔っぱらった彼が私に電話をかけてきて、色んなことを話し始めた。

要は、この職場は本心が見えなくて苦しい、ということらしい。事務所を訪れて、空気が気持ち悪いことに改めて気づいたと言う。

私は何て言えば良いかわからなかったし、胸が苦しくてたまらなかった。彼も私と同じことを思っていたから。

だけど、一緒に働いていた時に一番本心が見えないと思ったのは彼だったし、彼も私のことが同じように見えていたと思う。

この職場で働いていると様々な矛盾と不条理に気づいてしまう。ほんのささいなことだけど、そんな小さなことがすでにあふれるくらいに積もり始めている。だけど、上司のほとんどはそれには触れず、まさか気づかないなんてことはないだろうけど、そつなく日々を過ごしている。

私はそれを見過ごすことがどうしてもできなくて、変えたくて、だからとげとげしてしまうし、だけどそもそも言葉が通じている気がしない。話しやすいからと言って、それは本心を通わせているわけではなくて相手の愚痴を聞いているだけ。そういう相手は決まって、自分の考えのみ私にぶつけて他はすべてシャットダウン。変えようとする意志はない。考えはそこにない。

節分の食事を家族で楽しんで、すっきりしたつもりでいたけれど、今朝ひとりで会議室を掃除していたら涙があふれだしてきた。先輩に見られてしまったのが恥ずかしい。

私が続けてこれたのは、同じ考え方の同期などがいたからだな。昨日ですべてがわかったような気がする。私の普通はここにはない。

元上司からの珍しい電話で、私はとても動揺している。忘れたくないので残しておく。

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