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ちんちんがゲームマーケットに行った。

 ボードゲームの即売大会、ゲームマーケットというものに、いってきたんだよなあ。

 この空間に「現実空間で出会って対面で遊びたい」と思っている人たちが山ほど集まっている、と思うと、ものすごく面白い。愉快な空間で、とてもたのしく、うきうきした。
 うきうきふらふら歩いていると、いろんなブースの売り子の人から「このゲームで遊びませんか?」と、たくさんアピールされる。こんな楽しい空間あるだろうか。みんな私と、対面で、実際に会って、遊びたいと思っているのだ!!!!

 現実空間で集まることで成立するのがボードゲームだった。現実空間で集まらないとできないことって、セックスとスポーツくらいだろうか。あとは一緒に温泉とかかあ。つまりこの状況、考えようによっては、セックスか、温泉に、誘われているようなものである。
「私の考えたすごいセックスがあるんですよ! あと庭から温泉が湧いたんですよ! 野球やろうぜ!」
 ってなもんである。売り子さんにはコスプレしている人も多い。コスプレ温泉野球セックスかあ。
 なんていうか、ソフトオンデマンドだなあ。

 セックスでもなくスポーツでもなく、遊ぼう、と、人はどういう風に言うのかなあと思いブースをぐるぐるした。
 いろんな人の声掛けがある。
 「正体隠匿ワーカープレイスメントでーす」
 とか言われる。そうか。正体隠匿でワーカープレイスメントなゲームを、いまこの人は私という他人にやらせたい、知られたいと思っているんだなあ。

 「すごい美麗なイラストのものが多いなあ」と思った。ボードゲームの、「デザイン」の比重がすごい。
 もし仮に、将棋が今、誕生したとして、手に取ってくれるんだろうかと思った。表面上が美麗でないとまず、目について、遊ぼうとしてくれないのではないか。
 というか、日本に今、こんなたくさん、美麗イラスト、美麗漫画絵が描ける人がいるんだなあ。2/3が同人・個人ブースで、その大半が美麗イラストのパッケージ(コンポーネント)で机の上に並べられ、動画やのぼり、看板でプレゼンしている。びっくりしますよ。ほんとうすげえ。

 私は文学フリマによく参加するんだけど、文フリでもここまで美麗イラスト・デザインはないなあ。どのブースも立体的に組んでたりして、あと、若い。すごく楽しい。すごい活気だ。

 私は実はおじいさんなので、最初期のゲームマーケットにも参加経験がある。あのころはたしか浅草で開催されていて、今のようにきれいなパッケージで販売している人は少なかった気がする。ジップロックに、はさみで切ったチップと説明書が入ってるようなものを売ってた気がするんだよなあ。
 知り合いのボドゲベテラン勢に前、どうしてこうなったのか聞いたことがある。

「小ロット印刷できるデジタル環境が印刷界隈で異様に発達し、ボドゲ制作環境が大きく変わったものじゃ」

 とのこと。特に2010年代中盤からデジタル発注できる印刷が異様に発展したらしい。

 美しさが、もう標準レベルになってしまった。
 かわいいが普通。きれいが普通。イケメンが普通。それ以下は、存在すら気づいてもらえないのではないか。

 そのきれいという普通を乗り越えて、それでも手に取ろうと思うものが、「面白そうな題材」……つまり「自分の興味に関わりのある題材」とかになるのか。
 そのときの自分の興味関心、自分に関わるものにだったら、少しだけ足を止めて、手に取る。
 その時、手に取るというときって、……ゲーム性とかあんまり関係ないんだよなあ。
 美麗(という基準を満たし)で、自分に関係がありそうかどうか。
 見た目がよくて、そのうえで、その人とそもそも関係性があったかどうかで、未知の遊びに参加するかもしれないという選択肢が、ようやく発生するというか。
 そして、多くのゲームは、物事は、私にとって関係がない。
 だから、私は、スルーしてしまう。関係ないので、興味を持たない。かかわりがない。私とあなたには、何の接点もない。
 あなたとは関係がない。だから、遊ぶことができない。

 かつて私もボードゲームプレイヤー(というかTRPGプレイヤー)だったんだけど、きっかけは「友達が遊んでいたから」がスタートだった。将棋もはじめたきっかけはゲーム性が面白かったからと、自分が選択したというわけではなく、「親父がアマチュア棋士だったから」と、その影響で始めたところがある。
 まず人の関係性があって、ゲームを、遊びを、始めた。
 多くの物事も、きっとそうなのではないか。人間関係があって、その後、コンテンツがやってくるみたいな。

「美麗さ前提」で「人間関係」、それ以外で、新しい遊びは始められないものだろうか。
 おれ、もう人間関係でスタートするの、なんかもう、いやなのよ。

 人間関係ではなく、それそのものが美しいorそれそのものが楽しい、で、スタートしたいんだ。それは、できないものか。むつかしいものか。

 そういう意味で、いま、短歌にはまっているのは、短歌って、たった一首で心をつかむこと、その中に入ることができるコンテンツだと思うんですよ。
 平仮名の音の、たった31文字の組み合わせだけで。たいした力も使わず天地を動かし、人の心を揺さぶり、頭をおかしくさせる。
 その、たった一首で、人の目を止めることができて、その人との関係性を始めさせるような……。

 でもなあ。そうでもないんだよなあ、短歌にしても。このことはまたあとで考えよう。たった一首、いい歌があったからといって、「だから何だ」って最近思ってしまうんだよなあ。

 ボードゲームでもそれはできないものなのだろうか。
 そのルールを制定し、勝ち負けを決める儀式に、人をいざなうという事。そこに、人間関係とか美麗さから入るのではなく、純粋に儀式のおもしろさで入りうるような……。

 ゲムマで、一つもゲームを買うこともなく、帰ってしまった
 ゲームに興味があり、遊びたいという動機をもっている自分が、何もしなかった。
 なんでだろう。買うに至る、頑張りや、エネルギーが、全然出せなかった。ほしいという気持ち、遊びたいという気持ちが、出せなかった。

 今日も人と関われなかった。
 今日も遊ぶことができなかった。今日もセックスはできなかったし、今日も友達はできなかった。きっと明日も、明後日も、この日常が続くのだろう。

 それでも楽しく店巡りをしたのだった。

 そしてゲムマのような場所も楽しいけど、そうでない場所……。デザインや人間関係が交わる場所ではないところ、ない方法で、新規の人が入り込める方法ってどんなのがあるのかなあと、その日はたしか、ずっと考えていたのだったんだよなあ。

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