私と東南アジアの出会い1

コロナ禍で外での活動が制限されてしまったため, 以前より本を読む時間が長くなった。本を読んでいると, 不思議なもので, 無性に文章が書きたくなってくる。インプットばかりでは思考のバランスが取れないので, コロナ騒ぎが収まるまでの当面, その時々で考えたことを言語化してみることにする。

私は都内の大学で学ぶ四回生だ。

大学では文化人類学と地域研究という学問を専攻している。

私が学んでいる地域研究が意味する「地域」とは, 広義の意味においては, 北米, 東アジア,ヨーロッパなど歴史的・文化的なまとまりを指し, 狭義にはアメリカ, 中国, フランスなどの個々の主権国家から小さな農村共同体まである地域に根ざした社会的まとまりのことを指す。

もちろん前者・後者の定義は本質的・固定的なものではなく, 研究者それぞれが自身の問題意識に基づいて定義づけていくものである。

関心を持っている地域は, 東南アジア島嶼部, とりわけマレーシア, シンガポール, インドネシアの三国だ。宗教やエスニシティといった人々のアイデンティティを形作る要素が, いかに通時的に構築されるのか,そして構築された宗教・エスニシティをめぐる言説が公的な領域でいかに表出され, いかに制度や政治に反映されていくのかという点に関して問題意識を持っている。このテーマについて論ずる際の方法論として, 文化人類学的なフィールドワークを駆使したアプローチと地域研究の学際的アプローチの両方に魅力を感じている。

現在は大学院に進学するかそれ以外のキャリアに進むか検討中であるが, できれば東南アジアに関わる仕事がしたいとは思っている。進路を選択する際に考えなくてはならないことはたくさんあるのだが, そう時間的な猶予がある訳ではない。重大な決断をする時には, 一度過去を振り返って自分がどういう人間であるか, なぜ自分にとってある選択肢が他の選択肢より重要な意味を持つのかについて, 「客観的」に(自分を客観的に捉えられるかどうかは別にして)見つめ直す必要があろう。将来の選択肢の中からどの道を歩むべきなのかということについて長期的な視座での結論を出すために, 自分語りになってしまうが, 興味の対象として私の決断を大きく左右するであろう東南アジアという地域について, そして私がなぜその地域に惹かれたのかということについて言語化してみる。

断っておくが, 私は大陸部であれば, ミャンマー, ベトナム, ラオス, カンボジア, 島嶼部であれば, 東マレーシア, ブルネイ, 東ティモール , フィリピンには行ったことがないし, これらの地域についての専門的な論文を読んでいる訳でもない。このノートのタイトルにもある「東南アジア」という語は, タイ王国, マレーシア連邦の半島部, シンガポール, インドネシア共和国の四つの地域を指しているということはご留意いただきたい。

現在までに東南アジアを訪れた経験は四度あり, 一度目の渡航は高校二年生の冬だった。当時通っていた高校には「知の探求」という仰々しい名前がついたプログラムがあった。内容としては, 四、五人のグループに分かれてテーマを決め, そのテーマについて研究した成果をクラス内で発表し, 優秀だったチームはクラス代表として全校で発表するというものであった。今から振り返ると, 学術的な作法に基づいたものではなく高校生のお遊びとしか呼べないものではあったが, 当時の自分はそれなりに楽しんでいた。 高校二年生の時, 突然そのプログラムの全校発表優勝グループにはご褒美が与えられるというアナウンスがされた。優勝グループへのご褒美が六日間のタイ王国での研修だった。

高校二年生の時点でタイ王国に強い関心を持っていたかというとそんなことはない。世界史が好きで, タイ王国と聞いて「親日国」「観光立国」「微笑みの国」というポジティブなイメージを連想するくらいにはナイーブな田舎の高校生だったので, 「タイに行きタイ」と思っただけである。そんな訳で, 学校内プレゼン大会での優勝を目標に掲げて, 研究を始めることにした。しかし, 研究をするためにはまずグループを作らなくてはならない。ここで一つの問題が生じた。当時, 私にはクラスに友達がいなかったのである...

長くなりすぎたので, このノートはここで終えて続きはまた後日書くことにする。こんな冗長な文章につきあってくれた皆さん, 厳しい日々が続きますが, なんとか耐え忍びましょう。




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