マチネの終わりに

今はただ「過去は変えられる」のだと思いたい。/『マチネの終わりに』

基本的にあまり恋愛小説を読まない。

嫌いなわけではないのだけど、ファンタジーや推理小説、青春ものと違って、恋愛というジャンルはあまりにも身近なものすぎるのだ。

わたしは本を読むときは徹底的な”物語性”を求めているのだと思う。

そうなると自分に置き換えられすぎてしまうと苦しい。特に「泣ける」「切ない」だなんて恋愛ものは避けて通ってきた自信がある。

だから『マチネの終わりに』を読んだのも、本当に気まぐれで。

本屋さんで物色していたときにたまたまきれいな青と黄色の表紙が目に入って、
そういえばこの間読書の話を友人としていたときにおすすめだと言っていたな、と思い出して、
その日は他にピンとくるものがなかったから。だから、本当に気まぐれで手に取ってしまった。

結論から言うと泣いてしまった。

40代の男女の物語。きっともっと前だったら「大人の恋愛だったな」ときれいに終われたのに、ほんのちょっと理解できてしまう自分が出てきた。

全部を言わないことが必ずしも美しいとは思っていないけれど、
いろいろと飲み込むことが上手になってしまったから、心の中で無意識に取捨選択して選ぶ抜かれたものをほんのちょっとだけ表に出す。それで理解を求めてしまうし、解ろうとしてしまう。

そうやって宙ぶらりんなものだけが残ってすれ違っていく。きっとあの場所で、と引き返せる場所なんていくつもあって、だけど、それをするのは見苦しくて。

そんなふうにいくつ飲み込んでしまったんだろう、これから先、いくつ飲み込んでしまうんだろう。

ましてや天才だと言われるがゆえに周りに馴染む努力をしてしまうギタリストと、聡明であるがゆえに理性が廻りすぎてしまうジャーナリストの恋愛だ。

どこまでも掬いとって、慮ってしまうだろう。

自分が精神的に「大人」だなんて思ったことは一度もないけれど、わかると感じてしまったぶんだけ、変わってしまったのだろうか。

恋愛小説は一番自分に置き換えられやすいからすきじゃない。没入したいからと違うジャンルへと手を伸ばすけれど、身近なジャンルだからこそ見えてくるものもあるのかな。

読み終わってすぐ、熱量のまま上のようにつぶやいた。

不覚にも泣いてしまったこと。小説に流れている重厚な、だけど避けては通れない音楽や戦争や差別のテーマ。その全てに「わたしはこう思う」と言えないこと。

悔しいなあ、の気持ちがぐるぐるあふれてすぎてきて。

小説を読んで感じることはそれぞれ自由だからそのまま置いておいてもよかっただけど、もう少し、この小説のことを知りたくて余韻を掴んだまま考えることにした。

***

「過去は変えられる」

これは二人が初めて出会ったときの会話の中で出てきた言葉だ。

会話の中で話していた内容、わたしも彼女と同じくらい何度も肯いてしまった。

わたしの場合、学生時代にだいすきな歌手がいて、そのなかでも特別すきな一曲があった。そのときに同じ曲がすきだという共通点で仲良くなったことがあった

だけど、途中でその子とは理由もなくぎくしゃくとしてしまい、それっきり。あんなにだいすきだった曲も苦いものが一緒に思い出されてしまうから聞く回数が減ってしまった。

曲をすきになったきっかけはわたし個人のものであるはずなのに、その子と作った思い出が上書きされてしまった。いつか、どこかで再会してネタにできるくらいに戻れたらまただいすきになるのかもしれない。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

途中、ふたりは絶望的にすれ違い、そのまま年月を重ねてしまう。

そしてこれから先、二人がどうなっていくのか想像するのは野暮な気がする。

いまはただ、最後の最後「過去は変えられる」のかもしれないと感じさせてくれる笑顔が見られてよかったと心から思うままにしておきたい。


この記事が参加している募集

推薦図書

もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。