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きらきらした何かが見えなくても

いま思うと「ものをつくる」ということが昔からすきだったような気がする。

美術の時間も技術の時間もすきだったし、ちまちましたことを黙々とひとりでやっていることを苦だとは思わないタイプのこどもだった。

特にすきだったのは、何がきっかけか思い出せないけど色画用紙を切って組み合わせること。幼稚園とか図書館とかのこども向けのポスターにあるようなものをひたすらに切っては貼って作っていた。

パーツごとに色画用紙を切って組み合わせて貼りつけて作っていくのは達成感があって楽しくて、家族からも好評で妹がすきなアニメのキャラクターなどを深夜までちまちま作ってはあげていた。


会社で働くようになっていちばん楽しかったのは、チラシやバナーをつくることだった。最初はわたしの業務に含まれていなかったのだけど、ちょっとしたきっかけでやってみたらすごく楽しくて、やりたいやりたい!と声を上げ、独学で別の仕事の合間に勉強して、調べながらひたすらPCに向き合っていた。

最初は全くわからなかったIllustratorやPhotoshopが本当に少しずつだけどわかるようになってきて、グッズをつくるときにデザインを考えさせてもらったり、お知らせ用にポスターやチラシやバナーを作成してあちこちで使ってもらえたり、他部署の人から褒めていただけたりしているうちに、どんどんのめり込んでいった。

あんまりにも熱心にやっていたので、わたしが退職するときはWEBデザインの仕事につきたくてやめるのかと思ってた、と言われるくらいだった。


でも正直言って楽しくてやっていただけであって、これくらいのレベル誰だって出来るでしょって思っていた。新しい仕事としての選択肢としては考えることすらしなかった。部署の中にこういうことが出来る人がたまたまいなかったから。だから、わたしの拙い作成物でも「いいね」って言ってもらえていただけで、こんなのただの素人作品だと思っていた。

色画用紙を切っては貼っていたときも、すごいすごいと褒めてくれて、「売ってみたら?」って言ってくれたときもそれはただの家族の贔屓目だよ、売れるわけないって笑って答えた。

でも、

でも、あのとき、あのころ「そうだね」って言っていたらどうなっていたかなって思う。

「ものをつくる」には特別な才能がないと目指しちゃいけないと思っていた。それはきっと才能がある人にしか見えない何かがあって、わたしはそういうキラキラしたものは見たことがなかったから目指すことじゃないって思ってた、自分がやっていることなんて、他の誰にだって出来ることだからっていつもいつも思っていたし、そう答えた。


***


「文章を書くのがすきみたい。こういうことを仕事にしてみたい」と、少し前に実家に帰ったときにぽつりと話したら「結局ものをつくる仕事を選ぶんだね」と笑われてしまった。

すごくすごく遠回りをしているだけで、なんだ、わたしはやっぱりものをつくることを選んだのかって言われて初めて気付いて、笑った。

才能が見えないからやめようと思っていたけど、そんなのまじまじと考えなくても、やっぱりわたしは何かを作り上げることがすきで、楽しいと思うみたいで。それなら考えなくてもやってみればよかったのかなって今なら思う。

見えるか見えないかなんてわからないし、見えるかたちだって人によって違うかもしれないし、たとえ見えかったとしても、やってはいけないなんてそんなこと「わたし」しか言ってなかった。

今は、もっともっと適切な言葉で誰かに何かを伝える文章が書きたいって思っているけど、デザインや色画用紙だっていつだってまたやってみてもいいのかもしれないな。

それが売り物になるかなんてわかんないけど、何にも考えないくらい没頭できちゃう楽しいこと、自分から手放すことないなって思うようになった。

わたしはものをつくることがやっぱり結局、ずっと、すきみたいです。


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