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わたしの工具箱

それは、父からの少し早い誕生日プレゼントだった。
工作が大好きな私に、8歳の誕生日プレゼントとして父がくれたのだ。
箱の色は半透明のピンク色で、大きさは国語辞典2冊分程。
ギザギザに切れるハサミとセロハンテープ、きり、カッターナイフ、ホッチキスなどが入っている極普通の工具箱である。
父の工具箱をいじりながら、いつか自分の工具箱を持つことを夢見ていた当時の私にとって、このプレゼントは今でも忘れられないくらい、嬉しいものだった。

貰った次の日から、早速私はこの工具箱を学校に持って行った。
休み時間になった途端にギザギザのハサミを取り出し、意味もなく自由帳を切り刻み、それをセロハンテープで復元する。
それがこの工具箱をもらってからのマイブームだった。

ある日、クラスの子がセロハンテープを貸して欲しいと私に言ってきた。私が貸すと、その子はすごく喜んでくれて、こっちまで嬉しくなった。
すると、その子をきっかけにクラスの他の子たちも私にセロハンテープを貸して欲しいとか、ホッチキスを貸して欲しいと言ってくるようになった。
借りた子たちはみんな必ず、返す時に「ありがとう」と笑顔で私に言ってくれる。
この瞬間が大好きで、いつの間にかクラスの子たちに自分の工具を貸すことが、私の生きがいになっていた。
当時、学校に工具箱を持ってきているような子は私以外にはおらず、この小さな工具箱でもたくさんの人の力になれるんだ!と、自分の工具箱がすごく誇らしかった。

「もっとこの工具箱でクラスの子たちの力になりたい」
そんな思いが強くなるに連れて、私の小さな工具箱はパンパンになっていった。
消しゴムを忘れた子のための消しゴムを5個…
三角定規を忘れた子のための三角定規を3個…
コンパスを忘れた子のためのコンパスを2個…
そんな風に、元々入っていなかった物まで私が詰め込んだからである。
あと一つこの工具箱に入れていたら、あの子の力になれたのに…という後悔は絶対にしたくなかった。

父から貰った工具箱を誇りに思っていた私は、その誇りを汚すまいと、いつしか必死になっていた。
役に立たない工具箱に価値はない。
役に立つことこそが存在理由である。
そう思っていた私は、クラスの子の力になることこそ自分の工具箱の存在理由であり、誇りであり、喜びであると信じて疑わなかった。

8歳の誕生日プレゼントとして、父から貰ったあの日から相棒のような存在だった小さな工具箱に、私はいつしか自分の姿を投影していたように思う。
私の工具箱に入っていたセロハンテープをクラスの子に貸したあの日、その子が「ありがとう」と言ってくれた瞬間に感じたあの喜び。
私はここにいていいんだ、私の居場所はここなんだ。
そうはっきりと認めることができたことに対して、私は心から喜んだのだと思う。

あの「ありがとう」という言葉は、私に居場所を与えてくれた。私の工具箱は、そのきっかけを与えてくれた。
そう、私の小さな工具箱に一番助けてもらっていたのは他の誰でもない、私自身だった。
小さなピンク色の工具箱は私のヒーローだったのだ。

それから月日は流れ、私は大人になって家を出た。そんな私の傍には今も変わらず、その小さな工具箱がいる。
本棚の片隅にそっと佇み、いつも私を見守ってくれている。
ピンク色のその姿を見ると、忘れ物をした子のために、居場所を探している自分のために奮闘している8歳の私を思い出す。あの時、私の心を満たした、温かく優しい気持ちは今もなお、忘れてはいない。
私に「ありがとう」と言ってくれた子たちの顔はもう、はっきりと思い出すことはできないが、今でも工具箱を大切に持っているように、これは私にとって大切な思い出である。




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