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【小説】大桟橋に吹く風 #8 冬の大桟橋

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#8 冬の大桟橋

奏太がバイクで大桟橋にやってきたあの雨の日から8年が過ぎた。

雲一つない澄んだ青空が広がる午後、奏太は由紀と横浜をぶらついていた。

今日は由紀との3度目のデート。と言っても、まだ正式に付き合っているわけではない。

2度目のデートでは、小田原城へドライブに行った。城内巡りをしている最中、奏太はそっと由紀の手を握った。由紀も拒むことはなかった。

奏太は次の”ステップ”にいきたいと思っている。だがもう歳も歳だ。由紀を想っているなら、ちゃんと”言葉”で伝えるべきだろう。

30代になり、眠っていた結婚願望が突然沸き上がった。毎日、暇さえあれば”結婚したい”という言葉を口にしていた。すると、由紀という一人の女性との出会いに恵まれた。

奏太は、幼なじみから「それは言霊だ」と言われた。その友達にも同じような経験があるらしい。以来、良い言葉も悪い言葉も口にすることでそれが現実に跳ね返ってくると信じるようになった。

2人が乗り込んだエレベーターが、高さ94mの展望デッキへ向かって動き出した。エレベーターの中は、2人だけだ。

「ハマを見守り約半世紀~始まりは1961♬ 東洋一の灯台 港のマリチャン マリンタワ~♬」

クレイジーケンバンドの曲「マリンタワー」がやけに大きな音量で流れながら、エレベーターはゆっくりと展望デッキへ動いている。

最後にマリンタワーに上ったのはいつだろう。小学生の頃、親父に連れられて来たのは覚えている。山下公園の前で停泊する氷川丸*の船内を見て回ったり、シーバスに乗って横浜湾クルーズを楽しんだりしたことを思い出した。

奏太と由紀は、展望フロアを歩き始めた。座る場所や飲食スペースなどはなく、単に眺めを楽しむだけの場所だ。

「HOTEL NEW GROUND」

みなとみらい方面を眺望すると、英文字のネオンサインが見える。そのずっと向こうには、ランドマークタワーやヨットの帆型をしたインターコンチネンタルホテル。今では横浜の顔といえる建物群が夕焼け色に染まった空の下に見えていた。

そんな景色を眺めながら、由紀が口を開く。

「私のお母さんは横浜で生まれ育ったんだけどね、子供の頃なんて横浜はなーんもなかったんだって。私の子供の頃もみなとみらいなんか、まだ空き地ばっかりだったんだよ」

「へぇ~、それが今ではこうなるのか…」

「ほら、あそこに陸橋の遊歩道が見えるでしょ? 昔、貨物列車が走る線路だったらしいよ」

「列車!? 時代の流れってやつは凄いもんだなぁ」

奏太は気の利いた返答ができない上、どこか落ち着かない。絶好のロケーションにも関わらず、完全に告白するタイミングを見失っていた。

そのうち、なぜか話題はお互いに旅した外国の話になっていた。

由紀は大学時代、ドイツに1ヶ月間行っていたことがある。ベルリン郊外にあるヴィッチェルという小さな田舎町に行き、国際ワークキャンプに2週間参加した。残りの2週間は一人でドイツを旅した。その数年後には、フランスのパリへ一人旅もしている。

パリへの旅では、ワークキャンプで知り合ったパリっ子のシャルロッテと再会した。シャンゼリゼ通りを一緒に歩いている時、由紀はシャルロッテに「オー・シャンゼリゼを歌って!」といきなり懇願したらしい。それでも、シャルロッテは恥ずかしそうにしながらも歌ってくれた。

(結構むちゃぶりをすることもあるんだな...)

奏太も大学時代、1年休学してヨーロッパ、北米、アジアの3大陸を一人旅した。奏太にとって、パリといえばサクレクール寺院の目の前にあるサン・ピエール広場である。黒人数人に腕を掴まれ、絡まれた思い出がすぐに浮かんだ。しかも、夜ではなく人もそれなりにいる真昼間にである。

(もしかして俺が絡まれているときにシャンゼリゼ通りにいたのかな?)

マリンタワーから出て歩き始めた時、由紀が言った。

「お腹空かない? ホテルニューグランドのレストランに行ってみない?」

「あぁ~いいね! ここから近いしね」

マリンタワーの前から銀杏並木に沿って歩き始めた。海辺から吹いてくる風が冷たい。銀杏の葉がすっかり落ちて、黄色い絨毯が歩道を一面覆っている。

わずか数分後には、石造りの西洋建築ホテルが目の前に現れる。1階部分には低い常緑樹が並び、赤いキャノピーの下に格子ガラスの出窓がいくつか飛び出している。そこがホテル・ニューグランドの「The・CAFE*」だ。

このレストランは、ナポリタン発祥の地としても有名だ。創業時の料理長はフランス人だった。それまで日本人の口に馴染みがなかった洋食をメニューに取り入れて評判になった。ナポリタンは、2代目の日本人料理長が米兵の食べていた料理を基に考案したものだ。

奏太たちは入り口から一番近い窓側のテーブル席に座った。銀杏並木が西洋式のガス灯を模したオレンジ色の街灯に照らされ、葉がほとんどない枝先が潮風によって寂しそうに揺れている。

2人はどれも値段が高いメニューを見ながら話し合う。由紀は、やっぱりナポリタンを食べてみたい、といってそれに決めた。奏太は、海老カレーにした。それと食後のドリンクにコーヒーと紅茶を一つずつ。

まもなく、金縁の白い8角形のお皿に添えられたナポリタンが愛想のいいウェイターによって運ばれてきた。さすが名門ホテルのレストランだけに、身なりも接客もいい。

ハム、玉ねぎ、ピーマン、マッシュルームなど一緒に盛られたスパゲッティナポリタンからトマトソースの香りが漂う。パルメザンチーズやパセリもたくさんふりかけられている。

由紀は嬉しそうな表情をしながら、さっそくスプーンの上でスパゲッティをフォークにくるりと絡ませ、ゆっくりと食べ始めた。

レストランで空腹を満たした後、正面の通りを挟んだ山下公園の中へ入って行った。噴水広場の中を抜け、海沿いの広い歩道にでた。

夜20時前。歩道に整然と並ぶベンチには、横浜の夜景に酔いしれながら肩を寄せて座るカップルたちの住処になっている。

歩道を大桟橋の方向に歩いている途中、光のデコレーションに身を包んだクルーズ船が近い距離で動いているのが見えた。船体に「マリーンルージュ」と書かれているのが分かるほどだ。

「おっ、マリーンルージュ!」

奏太は船を見ながら声に出して言った。

「マリーンルージュ?」

「そうそう。サザンの歌にも登場する船なんだよ」

奏太は、得意げになってその曲を歌ってあげた。

「マリーンルージュで 愛されて大黒ふ頭で♬ 虹を見て シーガーディアンで 弱されて まだ離れたくない♬」

「あー!その曲ね!知ってる、知ってる!」

サザンオールスターズの「LOVE AFFAIR ~秘密のデート~」は、奏太が小学生の頃にヒットした曲だ。その頃は歌詞や意味などは深く分からず、ただメロディだけが気に入って歌っていた。

まさにこの山下公園付近を舞台にした曲だ。奏太が陽気にこの曲を歌う姿を見て、由紀はクスクスと微笑んだ。

じつは奏太より由紀の方が、この歌の深部について知っていた。

この歌が不倫をしている男と女のデートの情景を歌っているということを。

「ねー、大桟橋まで行ってみない?」

奏太は由紀にそう言うと、2人は陸橋の遊歩道を通って大桟橋に向かった。

(もうここしかないな)

ついに大桟橋までやってきた。

(うわぁ~ 夜は雰囲気が全然違うな)

どこを見渡しても、カップルしか見えない。奏太は一人でバイクで来ることは何度かあったが、夜に来ることはなかった。

2人は、大桟橋の端まで歩いて行った。「クジラの背中」として親しまれる展望デッキは起伏が多い。奏太は由紀の手を引きながら、展望デッキでも高く盛り上がった場所の方へ行った。

仕事帰りでスーツ姿の男が、女の腰に手を回して囁き合っている。そんなカップルの近くで2人は立ち止まり、みなとみらいの夜景を見渡した。

コスモワールドの大観覧車が、花火のように色鮮やかな光を放っている。

奏太は真横に立っている由紀の右手を握っていた。

「あのさ…」

「んー? どうしたの?」

二人は向き合って見つめ合う格好になった。

「俺と、これから一緒にいて欲しい」

奏太はそう言うと、握っていた由紀の手を自分の方に軽く引いた。由紀の体はふわりとなり、奏太は右手で由紀の腰に手を添えて抱き寄せキスをした。

*** (#9 へつづく) ***

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。毎週土曜日に小説は投稿しています。

*国際ワークキャンプ・・・世界中のボランティアが2~3週間共に暮らし、住民と環境や福祉などに取り組む国際協力事業。現在は、100カ国約3,000カ所の地域で国際ワークキャンプが開催されている。

*氷川丸・・・日本郵船が1930年にシアトル航路用に建造した貨客船。1961年より山下公園の前に係留保存されている。2016年、重要文化財に指定。

*Tfe・CAFE・・・ニューグランドホテル内にあるフレンチをベースにした洋食レストラン。ナポリタンのみならず、ドリアやプリンアラモードなどもニューグランドから世に広まった。

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