「恋愛なんてやめておけ」浮気と恋愛の本当の違いの話
こんにちは。ゆりです。
「恋愛なんてやめておけ」
衝撃的な言葉ですね。。。。
しかもこれ、50年以上も前に小児科医である松田道雄先生が、青少年向けに書いた著書のタイトルです。
(これは私物の写真ですが、現在Amazonではなんと6,000円越えで出品されています!それだけ現在でも人気なんですね。ちなみに松田先生は永遠のベストセラー「育児の百科」の著者でもあります。あなたのパートナーも一度は読んだことがあるかもしれません)
私自身、高校時代に読んで衝撃を受けてから、ずっと大事にしてきた本です。
大人になってから久々にこの本を読み直すきっかけがありましたので、今回はそこから見えてきた「男女の恋愛における平等性」や「恋愛をする資格」についてお伝えしたいと思います。
あなたに恋愛する資格はありますか?
先日、朝日新聞「折々のことば」にこの本が紹介されていて、ものすごくびっくりしました。
あんたや君が知らないのは、恋愛におまけがつくということだ。
(松田道雄)
50年前、小児科医が少年少女に語った『恋愛なんてやめておけ』から。恋愛は甘美だ。だが「めいめいちがう人間が、本気で相手の人生にはいりこむんだから」当然やっかいなこともいろいろ絡んでくる。何かあった時「けがが大きい」のはたいてい女の子の方だ。「恋愛をほんとうに明るいものにしようとしたら、性の不平等を、社会的平等で補強工作をしていくことだ」と。(引用:2020年8月27日付朝日新聞朝刊)
1970年に発行されたこの本が、50年の時を超えて朝日新聞の一面に紹介されるとは・・・。
この本は青少年向けなので、欲望のままに恋愛に突っ走るとけがをしてしまうのはたいてい女の子、つまりは妊娠の可能性について丁寧に説明を重ねて、「男女が恋愛においても真の意味で平等である必要性」を説いています。
そんなことすら出来ないのなら・・・・
「恋愛なんてやめておけ」
そんな資格は、まだあんたにも君にも、ない。
そう語っています。
さて。いま、浮気をしているあなた。あるいはしたことがあるあなた。あなたはもう充分に大人ですが、
あなたに恋愛をする資格はありますか?
恋愛と浮気の違いとは?
さらに、松田先生は大人の恋愛と浮気についてこうも語っています。
恋愛をしている人間の心の中は苦しい。自信と不安がしょっちゅう心の中で入れかわって休むひまがない。だが、浮気ってのは、そんなに深刻じゃない。じょうだん半分だ。生きるか死ぬかなんてことにはならない。一時的に好きということだ。
いま、浮気をしているあなた。あるいはしたことがあるあなた。
浮気はじょうだん半分でしたか?
私がいろいろな方のお話を聞いてきた中で、浮気の言い訳に一番よくあるのが「初めはほんの出来心で・・・」です。
本気ではなく、深刻でもなく、じょうだん半分の出来心で、そして体の関係で始まった恋愛。お互いにまったく責任がない都合のいい関係ですから、そりゃあ楽しいです。快楽だけを共有すればいいのですから。
そこには、子どもの進学問題や、家計のやりくり、明日のゴミ捨ての担当も何もなく、とても楽ちんです。
でも、その快楽の果てに浮気相手が「けが」つまり妊娠したら・・・あなたはどうしますか?
そこには今までのお気楽な都合のいい関係ではなく、大きな責任が伴います。
そして、このように女性のみが「けがをする」関係においては、決して男女は平等ではなく、ゆえにそれは本物の恋愛ではありません。
男の自由恋愛の歴史と女性の不自由
この本では、過去の歴史における男女の様々な関係についても言及しています。
明治末の作家、岩野泡鳴(いわのほうめい)は恋愛至上主義で、本能のおもむくままに奔放な恋愛を繰り広げました。女性の前ではいつも本気の恋愛のふりをしていましたが、そのすべての不利益は相手の女性に降りかかってきました。子どもとともに捨てられた女性たちは、生活することも出来ず多くの不幸を招いたのです。彼の恋愛至上主義が成り立っていたのは、女性の不平等を踏み台にしていたからでした。
一方、福沢諭吉は、男女関係においてはとても開けた考えの持ち主でした。日本の風習に残っていた一夫多妻制をやめさせようとして、儒教にある男尊女卑の考え方を批判しました。儒教は「女を弱小だから」とさげすみ、「女を愛する時は、おもちゃとして愛するだけだ」と全否定し、男女には同等の友人関係が存在すべきであると説き、男女共学の必要性も訴えています。(さすが1万円札になる方は違いますね!)
そしてこの本で一番多くのページを費やして紹介しているのが、伊藤野枝です。(伊藤野枝は、私が歴史上で一番好きな女性です。よかったらぜひググってみてください)
野枝は、とても自由奔放で様々な事件を起こしましたが、恋愛と結婚に関する素晴らしい論文をたくさん残しています。
如何に愛し合い、如何に信じ合って、一つ生活を営んでいても、要するに、二人の別な人間だという事実、その二人が各自に自分を生かそうとする努力を長く愛のために犠牲にして、幸福を捉えておくことはできぬと知りました。人間の本当の幸福は、決して他人から与えられるものではありません。(中略)私どもの本当の結合の意味は、夫婦であるというよりもむしろ一つ道を歩く、一つ仕事をする、最も信じ合うことのできる『同志』になるということの方に本当の目的があったことは、お互いに、一番最初からよく知っていたことです。
結婚していても、夫婦はそれぞれ別の人格である、そして本当の意味での結婚とは、最も信じ合える『同志』になることだと、野枝は語っています。
(ちなみに、野枝はこの論文を書いた約半年後に、大杉栄とともに惨殺されてしまいます・・・)
いかがでしょうか?
あなたはパートナーと「最も信じ合える同志」でしたか?
やすっぽい生き方をしているのなら「恋愛なんてやめておけ」
恋愛は楽しい。
恋愛は幸せ。
恋愛は快楽。
でもそれだけではないからこそ、結婚という法的な制度が存在しています。楽しいだけでは、最も信じ合える同志になるのは不可能です。
逆に言えば、最も信じ合える同志だからこそ、結婚という制度のもとで、同じ道を歩くことが出来るのです。
結婚生活をしていながら、他の女性と浮気をするのなら、その浮気相手の人生すべてを引き受ける覚悟でない限り、絶対にするべきではありません。
なぜなら、その関係は決して男女平等ではないからです。女性が「けが」をすかもしれない可能性がある以上、あなたが常に優位に立ち主導権を握ることが出来るのだから。
初めはほんの出来心で始まっても、その代償はあなたひとりではなく、周りのたくさんの人を傷つけます。
最後にもうひとつ、松田先生の文章をご紹介しましょう。
恋愛のことをうまくいえないのは、恋愛は人間の生き方、人生といってもいい、それとからみあっているからだ。やすっぽい生き方をしている人間は、やすっぽい生き方しかできない。やすっぽい生き方ってのは、本気でない生き方だ。いいかげんなんだ。遊び半分の生き方だ。そういう生き方をしてる人間は本気の恋愛はできない。恋愛というけれど性のあそびなんだ。
あなたはやすっぽい生き方をしていませんか?
遊び半分の生き方をしていませんか?
もしあなたが少しでも思い当たることがあるのなら、
恋愛なんてやめておけ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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