棒金 2023.05.11

 思い出せる幼少期の記憶、大半が、値札を見ている。物を見る前に値段を確認する。値段に見合った価値のあるものか検討する。なぜ、私はこんなふうに生まれたのだろう。誰に教えられたわけでもないのに。
 父が無職だった時期があるからケチなんだろうと言われるが、私の記憶は父が働いていた頃のものだ。父が働いていないときですら、お金に困った記憶がない。こうなると、前世とかを考えてしまうけれど、私の前世が人間だったとは信じがたい。
 ああ、こんな話がしたかったんじゃない。お年玉だ。お年玉。自分だけのお金がもらえる、とっても嬉しいイベントについて。100円、500円と、だんだんもらえる額が増えて嬉しかった。500円玉なんか、100円の進化版って感じでかっこよくて、使わないように大事に持っていた。でも、千円単位になったとき、親に苦言を呈したことを覚えている。紙のお金をもらえるようになっても、使えるのはまだ100円単位の年齢。100円十枚分の価値があると頭では理解していても、軽い紙などではまだお金をもらった実感を得られなかったので、「これなら100円十枚の方が良い」と言ったのだ。親は大層喜んで、次の年から棒金をくれた。硬貨が棒状になって出てくるとは思っていなかったので、多少面を食らったが、そのずっしりとした重みと、親が要望を聞いてくれたことが嬉しかった。
 今でも棒金を見ると、お年玉だと思ってしまう。フィルムをぺりぺりめくる瞬間は楽しい。

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