むじゃきな子供たちと戯れるノンバイナリの脳内での悲痛な葛藤
見出し画像

むじゃきな子供たちと戯れるノンバイナリの脳内での悲痛な葛藤

tikky

「今日こそ、男か女かはっきりさせよう!」

ゲストハウス。家族連れの宿泊者の子供たちと遊んでいた。

「髪が短いから、男だよ!」
「手の形が綺麗だから、女だ!」
「でもおっぱいがない!男だよ!」

僕の目の前にいる、可愛らしい子供たちが、僕の性別について議論している。好奇心に満ちた、無邪気で愛すべき子供たちの放つ、残酷な言葉。

子供たちは、外見上、男か女かわからない僕をみて、
僕が男か女かを暴こうと、興味津々だった。

「服を脱がせればわかるよ」
「部屋をしらべればわかるよ!かぎをよこせえ〜!」

ぼくは、他人に身体を触られるのが嫌いだ。子供たちの攻撃をかわす。隙をみて部屋の鍵をこっそり友人にパスし、守ってもらう。

身体の形状は、心のカタチとイコールなのだ。それがこの「社会」の前提なのだ。その「社会」を突きつけられた気がして、ぼくの心はしぶきをあげて血が溢れ出していた。その一言はあまりにも残酷に感じた。

相手は子供だ、許してやれ。

僕だって、子供のとき、たくさん無邪気で残酷なセリフをまわりの優しい大人たちに吐いて回ってたはずだ、きっと。
子供とは罪な存在だ。残酷で、愛らしい。愛らしいいきものの発する言葉の槍に、僕の心は貫かれる。子供の言葉は、社会を体現している。

目の前にいる、純粋で無垢で、輝く未来が待っているこの子たちに対して、愛しさよりも、ネガティブな感情が大きく勝ってしまうじぶんのことが、なんだか嫌になった。

どうして、こんな目に遭うのだろう。そう考えずにはいられなかった。

となりで楽しく遊んでいる友人、好奇心のターゲットにされる僕。

気づけば、自分の社会性のなさに、強く押し潰されそうにもなっていた。無邪気な言葉のやりに傷ついたまま、素直にいっしょに遊んでやれない自分が嫌いになりかけた。

大人対応なんてむりだ。いじめられるのが怖くて怖くて辛くて、ただ、接触機会を減らして、静かに、子供たちにつけ込まれないように、隙を見せずに滞在を凌いだ。

だれを責めたらいいのかわからなくて、僕は、この状況に混乱もしていた。

「僕だけが、なんだかおかしいのだ。」
そんな気持ちになった。

むしろそんなこだわり捨てて仕舞えばいいのに、と何度も思った。でも、そんなことできなかった。長い時間、ずっと苦しんで、ようやく言語化できたこの違和感に、いまさら、「気のせいでした」なんて、やろうとしても、できないのだ。

気のせいだったらいいのに。

でもそれが気のせいだったら、自分のアイデンティティがひとつ亡くなってしまうようなきがして、それもまた、違うと思った。

子供たちは知らないだけ、いま受けているこの仕打ちは、この子供たちが置かれている環境によるものだ。それだけは結論づいた。

この子供たちの周りは、「男か女、その2種類しかいない世界」でできているのだ。この国自体、何事にも(男・女)で届け出なければならない。そんな常識という偏見の塊が基盤の世界で、子供たちに理解を求めるのは無理がある。高望みしてはいけない、社会にその準備が整っていないのに、理不尽さを感じることすら、自分のことを愚かに感じた。

それでも僕は、どうにか、自分のような存在がいることを伝えたいと思った。「いるのだ」と信号を発信し続けることが、僕みたいな人間がいつか、自分のアイデンティティを隠さずに生きることにつながるなら。

もう偏見の押し付けに帳尻を合わせて嘘をつきたくない。嘘をつくたびに、自分を傷つけている気がするからだ。だから、子供たちに対してなら、なおさら、誤魔化さずに言葉にしたいと思ったのだ。

どう伝えたらいいかわからなかった、じぶんでもいまだ理解しきれていない自己認識を、あいまいなことを、無責任に説明できない。

「ねえねえ〜〜〜!!!いいかげんおしえてよお!オトコ?オンナ?」

「どっちもだよ。」
と精一杯のひとことを伝えたが、理解してくれた様子はない。

厳密には、「どっちでもないよ。」と伝えたかった。
しかし、『「男または女」「ではない」』よりも、『「男または女」』のほうがまだ伝わりやすいと考え、僕は自分の『性自認』のほう(「男でもあり女でもある」)を伝えた。
性自認と別に、『表現したい性』というものがあり、僕はそれが「男でもあり女でもどちらでもない」のだ。

今は、わかってくれなくてもいい。

それでも、この子たちが、理解不能な僕のことばを、頭の片隅に置いておいて、いつか大人になったときに、このことばに歩み寄ってくれればいいな、そういう願いから振りしぼったひとことだった。

馬乗りにされて髪をぐちゃぐちゃにされたり、何度も唾をはくフリをされたけど、暴言を何も吐かれていないだけ、むしろいい子たちだったのに、傷つき深く考え込んでしまった自分が嫌になった。

いまだにどう接するべきだったか、答えは出ない。
ただ、一緒に遊んでくれた、あの子たちの未来が明るく、いろんなことを知って成長することを願う。

そして、この絞り出した言葉の欠片が、少しでも、性的少数者で何がつらいのか、よくわからないひとたちに届くことを願う。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
tikky

いつも応援ありがとうございます! いただいたサポートは、生活費に充てます!!!!生きたい!!!

あっちらこっちら、試してもよいのさ。真剣に遊ぼや
tikky
どこにでもいる普通の宇宙人( #ノンバイナリ )。絵を描き、歌い、音楽を聴き、写真をとりながら、精神と肉体の不具合と喧嘩しながら暮らしています。 ダンス / 音楽 / 写真 / 映画 / アート https://potofu.me/tikky