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老人が書き残す(主観的)マイクラ現代建築/都市開発の軌跡

2023年現在、世界で最も多く販売されたゲームタイトルは、スウェーデン初のサンドボックスゲーム「Minecraft」です。そんだけ売れた事もあり、マイクラでは現在までに多種多様な遊び方をされてきました。
その中でも「街を作る」という遊び方は、割と多くの人にとって想像に容易いかと思います。

しかし、中には変わった人達もいるものです。「シムシティ」をこよなく愛し、中学時代にはノートに「架空都市」の設定やイラストを落書きする…そんな彼らにマイクラを渡したらどうなるのか。
当然、ビルを建てインフラを整え都市を築き、牧歌的な原風景を破壊します。

今回はそんな人達のお話です。


あいさつ

どうもこんにちは、ちーさらです。
わたしはこれまで約10年以上、日本の「マイクラ現代建築界隈」で活動をしてきました。少なくとも10年間わたしが活動していると言うことは、10年以上の歴史がある界隈なのですが…気付けば10年間続けている人は私ぐらいになっていました。

今回は、いかにしてこの界隈が生まれ、発達し、変化していったか。私の主観的な立場からこの歴史を書き記していきます。

(私の記憶ベースでのお話のため、正確でない部分、主観的な部分が含まれています。もし記事に誤りがあった場合、教えていただけると助かります。)

~2011 : はじまり

マインクラフトというゲームは2009年に世に公開され、その斬新なゲーム性から話題になりました。

発売当初、ベータ(またはアルファ)版の頃よりインターネットでは多くの作品が公開されます。日本においても、マイクラ人気の火付け役になるような人気実況プレイ動画が投稿されました。
しかし、マイクラが世に出てから「現代都市」が作られ始めるまでには数年の差があります。と言うのも、当時のマイクラにはクリエイティブモードすら存在せず、基本的にはサバイバル生活を楽しむゲームだったからです。

MOD等も当時は種類が少なく、「マイクラで都市を作る」といった遊び方は現実的ではありませんでした。

2012 : 舞倉市の登場と、現代建築というジャンルの確立

2010~2011年ごろになると、ツール・MOD類も充実してきます。中でもWorldEdit、MCEditといったツールの登場によって、ブロックの範囲設置、コピー&ペーストといった機能を使うことが出来るようになります。最も大きなものとしては、2011年9月、Java Edition Beta 1.8にてクリエイティブモードが追加されました。これによってツール等に頼らずともある程度大規模な建築をすることが可能となります。

これらの変化によってマイクラにおける建築のハードルが下がったことで、2011年頃より「建築勢」の活動が盛んになっていきます。

と、ここまでがマイクラにおける現代建築が生まれる前の流れです。


では、ここからどうやって現代建築というジャンルが生まれたのか。
2011年頃より、一部ではビルや道路などを作って遊ぶ人たちがいました。いわゆる現代建築、都市開発の始祖はここ辺りになるかと思います。

ただ、基本的に現代建築や都市開発の界隈において「原点」とされるのは、ある一本の動画です。2012年、インターネットに建築勢による力作が投稿され始めたころ、一本の動画がニコニコ動画に投稿されます。

2012年4月に投稿されたこの動画は、あまりにも衝撃的なものでした。まるで都市開発ゲームのようなマップ、一面ビルで埋め尽くされた風景、作り込まれた設定…舞倉市はその後の日本のマイクラ現代建築勢にとても大きな影響を及ぼしました。

少なくとも私は影響を受けています。

舞倉市の開発が進む中、インターネットにはちらほらと他にも現代都市を作る人が出現します。

Minecraftの機能面においても、1.1アップデート(1月)でスーパーフラットの実装、1.2アップデート(3月)で高度限界が倍になった事などによって高層ビルの建設が可能となり、これも現代建築の発展を促しました。

これらの作品によって現代都市や都市開発といったジャンルが確立され、
「都市開発部」といった形で呼ばれるようになります。当時はニコニコ動画におけるマイクラ建築動画が流行のピークを迎えていたこともあり、魅力的な都市開発動画がいくつも投稿されていました。

2013 : ジャンルの衰退

この年、舞倉市はますます成長を遂げます。

2013年の6月、先ほどの舞倉市がマップの公開を開始し、非常に大きな話題となります。各種ネットメディアにも取り上げられました。そのクオリティは当時として非常に高く、また規模においても他に類を見ない大きさです。
またマップ配布による影響も大きく、多くの動画投稿者にマップが使用されるという形でも知名度を伸ばしていきます。

しかし2013年にもなるとニコニコ動画でのマイクラブームも落ち着き、定番ゲームとして扱われるようになりました。動画の流行りもストーリー系や茶番実況などに移っていき、建築した作品を投稿するだけで多くの人に見てもらえる時代は終わりつつありました。
そもそもニコニコ動画がこの頃から衰退の一途をたどっていた事もあり、都市開発といったジャンルの動画はあまり投稿されなくなります。

純粋な都市開発動画が投稿されなくなった一方、物語形式で展開される「ストーリー系」の中でも建築面でのクオリティが高く、"現代建築動画"の要素を含むような動画は存在します。
「ニュータウン建設物語」はその代表例と言えるでしょう。


2014~2015 : 再び賑わいを見せる

2014年。いよいよニコニコ動画もオワコン化し、かつては賑わいを見せていた建築動画も殆ど伸びなくなりました。しかし、人々の建築欲が消えるわけではありません。
一体建築勢はどこに行ってしまったのでしょう…

答えは「Twitter」です。
この頃、日本ではスマホが一般市民に広く普及したことで各種SNSの人口も急増しました。動画などと違って発表のハードルも低いTwitterは、これまで作品をネットに投稿していなかった層にも使いやすく、結果として建築界隈は次第にTwitterがその中心となりました。
Twitterへの移行によって界隈の人口が増えただけでなく、コミュニケーションも積極的に取られるようになりました。互いに技術を教え合えるようになったことで、この頃から現代建築のクオリティは飛躍的に向上していきます。

その他に特筆すべきものとして、この頃は外部ツールや影MODなどによる撮影環境の向上も進みました。反対にMODの追加ブロックなどを使った建築は次第に下火となり、バニラ状態での建築が主流となっていきます。


一方、動画においてもマイクラ現代建築におけるターニングポイントとなるような動画が投稿されます。

まあその、私の動画なんですけど…

佐山県は「都会だけに限らず郊外、田舎の再現も試みる」「マルチプレイによる多人数開発」といった部分において従来の動画との差別化がされていました。というかそういう意図でやっていました。

自分で言うのもなんですが、佐山県もまた大変話題となりました。
佐山県の及ぼした影響もまた大きく、これ以降の現代建築界隈は、リアルな日本の都市風景を描くジャンルが主流となって発展していきます。


2016~ : Twitter建築勢の時代

2016年以降、現代建築界隈において最も大きな変化としては「装飾技術の発展」です。細かいブロック表現による"見立て"、"再現"等の技術が急速に発展していきました。技術の発展は表現可能な都市風景の幅も広げ、結果として各都市のオリジナリティを生むことにもつながっていきます。

(まあ、そもそも2013年ぐらいまではブロックが少なくてそんなもん出来なかったのも事実です。)

装飾技術の発展においては、MinecraftがMicrosoftに買収されて以降、多種多様なブロックの追加が増えていったことも大きく影響しています。10年前は本当に殆ど四角いブロックしかなかったことから考えると、現在のブロックは驚くほど充実していて、数々の表現技法を可能としています。


また、ゲーム機やスマホでマイクラが遊べるようになったことで、次第にJava版以外のエディションで遊ぶ建築勢の割合も多くなっていきました
特にスマホ版に関してはTwitterへの画像投稿との相性が良かったこともあり、建築勢が増える大きな要因となりました。

ただ当時のPocket Edition(PE)ではまだまだ機能不足の面も多く、MODやプラグインの充実したJava版があくまでも主流であるという点は変わりませんでした。



2017年~2018年頃、Java版以外のエディションのマインクラフトが「Bedrock Edition」に統一されたことにより、統合版でのプレイ人口は更に拡大します。コマンド機能などの充実、更には統合版・Java版でのクロスプレイなども行われるようになり、今ではデバイスによる機能の差は殆ど存在しません。

味噌汁市」はそれを象徴するような都市であると言えるでしょう。
Twitterを中心とした大規模なプロジェクトとして、現在では多くの参加者、多くのフォロワーを集めています。



現在の現代建築勢

現在においても、現代建築界隈の主な活動場所はTwitterです。ここ数年はTwitterでのマイクラ現代建築の人気も高く、ここ10年でも最も賑わっている時期と言って良いでしょう。

もはやTwitterでバズる事すら珍しくなくなった今の界隈において、「歴史」を語る事は難しいです。そして何より、これからの歴史を作っていくのは私のようなおじさんではなく、若い世代です。
私はここに古き時代の記憶を書き記し、次の時代は若人に託すことといたします…


でも私の動画は見てね!!!


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